※上の写真はイメージです。

ムツゴロウさんが決意した
ヒグマとの共存生活

フジテレビ系の大人気番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」などを通じて、また、「ムツゴロウの青春記」などの数々の小説を通して、多くの国民に親しまれた「ムツゴロウさん」こと、作家の畑正憲氏が4月5日、心筋梗塞で亡くなった。87歳だった。

1986年には自身が監督・脚本を手がけた映画「子猫物語」が約750万人の観客動員を記録している。

ムツゴロウさんが、麻雀がものすごく強いとか、幼少期を満州で苦労して過ごしたという解説をする人も多いが、やはりムツゴロウさんといえば、動物研究家としての活動だろう。子どもの頃から動物と共に過ごし、小学3年生で日本に帰国してからは、大分県日田市で暮らし、手づかみで魚を捕るなどして過ごしたという。

東京大学を卒業後、33歳で「われら動物みな兄弟」で第16回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したことを契機に、作家の道に進んだ。

1970年、ムツゴロウさんは猛獣として知られる「ヒグマ」を北海道の無人島で飼うことを決意し、その模様を「どんべえ物語」という小説に書き記している。この本は、ムツゴロウ流の動物記なのであるが、いわゆる動物観察日記かと考えて読み進めると、面を食らうハメになる。

instagramView full post on Instagram

ムツゴロウさんによれば、それまでの北海道民とヒグマの関係というのは、暗いものであったという。

あるとき、稚内の近くでヒグマが一頭、海を泳いでいたそうだ。これに驚いた漁師たちが総出で船を寄せ、カイ(オールのこと)でめった打ちにして沈めたのだという。そんな話を聞いたムツゴロウさんは、「キザな言い草だが、ヒグマと共同生活をするために必要なのは力ではなく、やさしい粘り強い愛であろう。害を与えない仲間として人を認識させねばならぬ」と決意したのだ。

20年飼育していた
ヒグマが飼い主を
惨殺する痛ましい事件も

しかし、ムツゴロウさんは当然知っていたと思われるが、ヒグマは「友情」などという概念を基本的に理解できるか、できないのかがよく分かっていない動物である。

ちょうど最近も、クマが20年間にもわたって飼っていた飼い主を惨殺するという痛ましい事件が起きている。

2022年11月28日午前9時20分ごろ、長野県松本市五常の住宅で、この家に住む丸山明さん(75)がクマに襲われたと家族から警察に通報があった。警察官が駆けつけたところ、扉が開いたおりの近くに倒れている丸山さんの周辺を、体長1メートルほどのクマがうろうろしたり、おりから出たり入ったりしていた。そのため、地元の猟友会のメンバーがクマを射殺したという。その後、松本市内の病院へ搬送された丸山さんの死亡が確認された。

この事件を扱ったNHKの記事『飼っていたクマに襲われ 75歳男性死亡 松本』は次のように報じている。

「警察によりますと、丸山さんはおよそ20年間、このクマを飼っていたということで、丸山さんの73歳の弟は『兄は山に仕事に行った時に親からはぐれた子グマを見つけ、それからずっと飼っていた。こんなことになって残念だ』と話していました」「松本市保健所によりますと丸山さんは、クマの飼育の許可を受けていたということで、ことし5月におりの構造や施錠などについて検査を受け、問題はなかった」

「友情」という人間の概念を
クマは理解できるのか

『人間とクマは「友達」になれるのか?』(GIZMODO、17年3月23日)でインタビューに答えたイスラエルの生態学者によると、クマは野生動物で、「友情」という観念は人間の作ったものであり、クマは人間の作り出した「友情」というコンセプトが理解できないのだという。よって、母グマが子どもを守ろうとしたからか、冬眠前で手当たり次第に食べ物を探していたからか、人間の手からものを食べていたクマが、次の日にはその人を食べてしまうこともあり得るのだという。

やはり、クマは「友情」を理解できないのだろうか。

その報道に真っ向から反論していたのが、一般社団法人日本熊森協会の顧問である宮沢正義氏(96歳、22年11月29日当時)だ。宮沢氏は10頭のツキノワグマと20年間家族として暮らしてきたという。宮沢氏は、人間とクマの間に友情は存在すると話す(以下、引用は「一般社団法人日本熊森協会ホームページ」より)。

「クマはね、噛むことで親しみを表す動物なんだ。クマ同士遊ばせておくと、楽しそうに首とか絶えず噛み合っているよ。好きな人がいたら、どんどん噛んでくるよ」

「クマの皮はものすごく厚くて硬いから、クマ同士はどうもないが、人間は皮膚が薄いから、こんなことされたらひとたまりもない」

つまりクマにとっては戯れているつもりなのかもしれないが、丸山さんは不幸にも人間としてその戯れに付き合っていたら死んでしまったのではないかということだ。先の丸山さんが殺害された事件については、こう解説している。

「事故後、クマ(オス、80キロ)は、丸山さんのすぐ横をうろうろしていたというから、逃げ出そうとしたわけでも、丸山さんを噛み殺してやろうとしたわけでもなく、最大の親しみを込めて抱き着いていっぱい噛んだら、丸山さんが倒れてしまったので、戸惑っていたことが考えられます。クマ君は、自分がなぜ射殺されねばならないのか、訳がわからなかったと思います」

ムツゴロウさんが「娘」の
ヒグマを棒で
殴り殺そうとした理由

向こうが殺すつもりはなく、ただ戯れて遊んでいるだけなのに、人間にとっては致命傷になるというのは、いかにクマが危険な動物かを表しているようにも思う。ムツゴロウさんは、こうした危険を承知した上で、「(離乳期から育てることができれば)ヒグマといえども友だちになれるだろう」と考えて、無人島でヒグマを飼うことにしたのだった。

果たして、ヒグマの子どもを育てるというのは、動物研究家のムツゴロウさんといえども、やはり命懸けだったようだ。

一緒にいて、おならをすると、まず耳を立てて、それからにおいを嗅ぎにやってきて、鼻を引くつかせた後で、おしりをガブリと噛むのだという。ヒグマはふんのにおいに敏感らしく、ムツゴロウさんにとってトイレの時間が一番危険な時間なのだという。

さらには、ヒグマは戯れているつもりで鼻を噛んでくるのだ。気分にもムラがあり、自分より弱いと判断したムツゴロウさんの妻や娘のいうことを全く聞かない。

そんな毎日のイライラがついにピークに達してしまったムツゴロウさんは、娘として育てると誓ったヒグマを棒でぶん殴って殺そうとしてしまう。

「僕の腹ワタは煮えくり返り、胸に熱い怒りが込み上げてきた。もうこれまでだ。僕は左手で持っていた鎖を手放し、両手で棒を引きむしると、ありったけの力を込めて棒を振り下ろしていた。ガツン。鈍い音がした。渾身の力をこめて振り下ろした棒は、どんべえの右腕に食い込んだ。―――死ね! 隠さず正直に書こう。その時の僕の怒りは、どんべえ(子ヒグマのメスのこと)をぶち殺しかねないものだった。手をかけて愛育しておきながら、棒には愛などひとかけらもこめられていなかった」

激しいムツゴロウさんの怒りをぶちまけられたヒグマの子だったが、幸いにして命に別状はなく、また怒りの甲斐があって、ヒグマはムツゴロウさんのいうことをきちんと聞くようになったのだという。「世界中の人に誇りたい気持ちだった」というムツゴロウさんは、ヒグマとの共存ができると確信したのだった。

ムツゴロウさんのようにヒグマと命懸けで共存を図るならできなくもない。しかし、多くの人にとっては、そしてクマにとっても、やはりクマと人間とは、別々に生きていたほうが良さそうである。本書を読んで、ヒグマの生態が嫌というほどよく分かった。今はただ、ムツゴロウさんのご冥福を祈りたい。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
第49回 クマとの共存 山里の役割
第49回 クマとの共存 山里の役割 thumnail
Watch onWatch on YouTube
ダイヤモンドオンラインのロゴ
DIAMOND online