同性カップルへの
祝福を認める見解を
ローマ教皇が発表

時折、私(筆者チャールス・P・ピアース)は、ローマ教皇フランシスコがイエズス会の一員であることを忘れそうになります。ですが、彼はバチカン内の権威者たちをうまく出し抜くことがあり、そのたびに「なぜイエズス会が数世紀にわたり多くの政府を神経質にさせてきたか?」を思い出させるのです。次の内容は、『ニューヨークタイムズ』誌に掲載されたものになります。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
バチカンは長らく、同性カップルに祝福を与えることは「(教会の考える)結婚は男女の間だけである」とする教義を崩壊させるとして、それを行うことはできないと拒んできました。しかし、バチカンは新しい規則で、「同性カップルに対する祝福は結婚の秘跡(カトリック教会の結婚)、つまり、正式な儀式とは異なる」と述べました。

この新しい規則はバチカンの重要な文書である宣言文の中で、教理や未成年者保護などを担当する教皇庁教理省の長官を務めるビクトル・マヌエル・フェルナンデス(Víctor Manuel Fernández)枢機卿によって導入されました。フェルナンデス枢機卿は、「この宣言は、教会の結婚に関する伝統的な教義を修正するものではない」と述べています。その理由は、新しい規則は結婚の秘跡と混同されるような典礼を認めていないからです。

フェルナンデス枢機卿は、「まさにこの文脈において、非正規な状況にあるカップルや同性カップルに祝福を与える可能性は認められます。しかし、教会の結婚に関する長年の教義を何ら変えるものではなく、公式にその状態を承認するものでもありません」と述べています。

外から見れば、小さな一歩のように見えるかもしれません、ですが、教会にとってこれは、いや人類にとってもこれは大きな飛躍であり、同性愛者を第2バチカン会議(カトリック教会を時代に合わせて全面的に刷新しようと、1962~65年にかけて開催されたもの)でいう「神の民」(信者)の一員のように扱うというものではないでしょうか。

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今や同性愛者のカップルは、神父に見立てた人物を市役所に連れて行き、世俗的な儀式を行った後、その人物による祝福を受けることができ、みんながビュッフェとオープンバーでのお祝いにも参加できます。これは結婚の秘跡ではありませんが、もし同性カップルがカトリック信者であり、そのことを大切にしている場合に行うものとなります。

日曜日(12月17日)に87歳になったフランシスコ教皇は、ここ数週間、教会で最もデリケートなトピックについての議論を再開しようと努めてきました。同時に、頻繁に批判を浴びせる保守派の批評者に対しては、厳しく対応しています。

この新しい宣言は、彼が好んできた熟慮的なプロセスから外れた大統領令のようなものです。そして、彼が同性カップルの祝福の問題を、「より牧歌的でより柔軟な教会」というビジョンの一環として考えていることを示しています。

「祝福の願いは、人生の千差万別の具体的な状況において、超越性、慈悲、神への親しみを表現し、育むものであり、これは私たちが生きている世界において決して小さなことではありません。聖霊の種であり、妨げられるものではなく、育まれなければならないものなのです」

これに対して、教会内保守派のメンバーたちが強く反発するでしょう。そんな中、この発表は全くもって驚嘆すべき非常に巧妙な見解だったと言えます。

Translation / Yumi Suzuki
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

From: Esquire US