ル・マン クラシックがフランスに初夏の到来を告げる

リシャール・ミル、ル・マン クラシック
RICHARD MILLE

フランスはル・マン市郊外にあるサルト・サーキットにて、「ル・マン クラシック」が6月29日から7月2日にかけて開催されました。2023年は1923年に開催された第1回ル・マン24時間レースから100周年を迎え、いつもにも増して祝祭の記念大会らしい熱気がサーキット全体を包み込みます。

主催者発表によると、今年の来場者は合計23万5000人。4日間の会期を考慮すれば、1週間以上かけて行われる本戦のル・マン24時間レースの観客動員数、32万5000人に勝るとも劣らない盛り上がりだったと言えるでしょう。

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ル・マン クラシックのコース上のプログラムは、1923年から1981年までの年式ごとに六つのクラスに分けられ、ひとクラスあたり82台が出走。これら六つのクラスによるメインレースの他に、サポートレースとして1980~90年代前半のグループCカーや90~2000年代のGTカー、あるいは戦前のベントレーや60~70年代のポルシェによるワンメイクレースも行われています。

今回は初回の2002年から数えて11回目の開催でしたが、本来ル・マン クラシックは2年に一度のペースで行われてきました。パンデミックの影響で2020年の第10回開催は2022年に繰り延べて開催され、翌2023年がル・マン24時間レースの100周年に重なるタイミングということもあり、例外的に2年連続による奇数年開催となったのです。ちなみに次回以降からはこのまま奇数年開催に移行し、第12回は2025年6月下旬に予定されています。

20年以上続くその芳醇な営み。パートナーはリシャール・ミル

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のべ800台以上ものヒストリックな競技車両と、900人以上のドライバーが金曜の練習走行と予選を経て、土日に50分間の決勝セッションを8時間に一度、3回繰り返して順位が決まるという24時間耐久レースが繰り広げられます。

それにしても、ル・マン クラシックが世界中のどんなクラシックカー・ミーティングとも比べられない、唯一無二の規模とクオリティを誇るイベントになったのは、なぜでしょうか? 

そもそも論になりますが、まず世界耐久選手権(WEC)シリーズの一環で、メーカーやプロのレーシングチームがしのぎを削る競技として、ACO(フランス西部自動車クラブ)が毎年主催するル・マン24時間レースの本戦と、ル・マン クラシックでは、スポーツ・イベントとしての性質が元から異なっています。後者は、往年のル・マン24時間レースに魅せられ、憧れたジェントルマン・ドライバーたちが当時そのものか同じ型式のル・マン参加車両を持ち寄って、公認の競技という形で走らせます。あくまでアマチュアイズムとオマージュを基本とする、単独のヒストリックカー・レース・イベントなのです。

とは言え、全長13km超にもおよぶ世界屈指の高速サーキットを競技として走る点では、本戦のル・マン24時間レースとまったく同じです。同じである以上、参加車両たるヒストリックカーを手元に用意して、レストアや整備を重ねてメカニカル・コンディションを整えてくる準備は、セキュリティ面でクリアすべき条件はもとより、予算以外のところでかかる時間からしても並大抵のことではありません。情熱を要する遊びだからこそ、2年に1度という「快適な」スパンが設けられていると言えるでしょう。

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フランスのヒストリックカー・オークションではしばしば、ル・マン クラシックに出走できるほどの来歴を備えているか、要件を満たせる車であれば、競売にかけられる際に「Le Mans Classic Elisible(エリジブル、参加車両として選ばれうる、の意)」というひと言が添えられています。つまり、それほどにル・マン クラシックに出場できるか否かが、ヒストリックカーの価値の一部として認められているのです。

また、ル・マン クラシックには往年の名車だけではなく、サルト・サーキットで現役当時に名勝負を繰り広げた往年の名ドライバーらも多数エントリーしています。自ら進んで参加する、もしくは出走車両のオーナーやチームに請われるかして走りたくなるような枠組みであり続けているのです。観客の側には、車好きで知られる他競技の著名プレーヤーも少なくありません。今年もリシャール・ミルのファミリーであるテニスのラファエル・ナダルや、サッカー コートジボワール代表のエースストライカーだったデイディエ・ドログバの姿がありました。

ヴィンテージカーカルチャーに魅せられた23万5000人が来場

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ル・マン クラシックは年齢や性別の分け隔てなく、車を愛する人々の祝祭。12歳ぐらいまでの子どもがミニチュアカーを駆るプログラム「リトル・ビッグ・マン」も開催されました。

レース・パートの始まりを告げるのは、ホームストレートの反対側からドライバーが一斉に車に駆け寄ってスタートを切る「ル・マン式スタート」の儀式。これは往時のル・マン24時間レースを象徴するシーンでもあり、次の世代へヒストリックカー・カルチャーを受け継ぐ試みとして行われる「リトル・ビッグ・マン」こと、12歳ぐらいまでの子どもがミニチュアカーを駆るプログラムでも踏襲されています。子ども向けの体験プログラムとはいえ、幼いドライバーたちは大人のドライバーと同じようにドライバーズ・サロンで社交を楽しみ、コースに出る前にブリーフィングをこなします。これはひとえに、モータースポーツは規律とリスク管理を実践する場でもあるからに他なりません。

もうひとつ、ル・マン クラシックが特別であり続けている理由に、観る側の要因が挙げられます。まず時期的要因ですが、ル・マン クラシックが行われる6月最終もしくは7月最初の週末はフランスや欧州ではちょうど長期休暇、バカンス・シーズンの幕開けに当たります。フェリーやユーロトンネルで英仏海峡を渡ってやってくる英国ナンバーのキャンパーもいれば、ドイツやオランダやベルギー、スペインやスイスといった隣国から数百kmのドライブをこなして訪れる車好き、あるいはブルターニュ辺りの別荘やキャンプ場へ出掛けていく地元フランス人のファミリー層も少なくありません。たとえ車で来場しなくとも、パリからサルト・サーキットへはモンパルナス駅からTGVとル・マン市内を走るトラムを使えば、片道2時間弱でアクセスできる近さでもあります。

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写真左上:1923年から1981年までの年式ごとに、6クラスに分けられてコースを走ります。写真右上:リシャール・ミル ファミリーから、テニスのラファエル・ナダルと、プロフットボーラーとして活躍したデイディエ・ドログバも会場に姿を現しました。写真左下:夜間に走るカテゴリーも。闇夜のル・マンを一瞬の鮮やかな閃光が彩ります。写真右下:リシャール・ミルがスタイリングしたカーガレージ。クラシックカーに合わせて、往年のガレージがイメージ。

観客が求める最たるものは当然、ヒストリックカーが一団となってコース上を駆けまわる姿。ですが、そのスペクタクル性は静止画像のようなビジュアルだけではとても伝わり切らないでしょう。往年のV12のような大排気量の多気筒エンジンを搭載するレーシングカーが全開で目の前を通り抜けていく様子は、耳をつんざくほどのごう音を響かせているだけではありません。エキゾーストノートのニュアンスが同じ車でも1台1台で異なり、さらに地面にたたきつけられたエンジン内の爆発による振動が、足元にびりびりと伝わってくるのです。

一方でル・マン クラシックという特別な週末は、ル・マンにゆかりのある車種のオーナーやクラブにとって、レースには出走しなくても社交や交歓の機会となります。該当する車種のメーカーにとっても、コアなオーナーたちに直接に働きかける絶好のタイミングでもあります。決して台数の多い車種やクラブが、規模の小さい他の集まりに対して威張っている訳でもありません。むしろ希少で少ない車種にこそ、「人目に触れるこの場まで、よくぞ貴重な車を披露しに足を運んでくれた」と言わんばかりのリスペクトが払われています。24時間を競い合っていた頃はライバル同士の車でも、逆説的ながら同じ24時間を共有していたからこそ、国籍やメーカーで線引きするのではなく互いの「推し」である今や、同じくヴィンテージな時間を分かち合える同好の士…そんなノーサイドの感覚なのです。

つまり、時計メーカーとして、そして1人の熱心な車好きとして、リシャール・ミルが第1回からル・マン クラシックという特別な24時間を象徴するイベントを支え続けているのは、ごく自然の成り行きでもあるのです。今回もリシャール・ミル本人は、1972年~1981年までのクラスにTOJ SC 304という、元ポルシェのメカニックらが設計した希少かつマニアックなスポーツプロトタイプで出走しました。ル・マン クラシックの主催者であるピーター・オートのパトリック・ピーターとリシャール・ミルの関係は、オーガナイザーとスポンサー以上のパートナーシップであり、2人がこの唯一無二のイベントの両輪でもあります。2人ともパドックや会場内を動き回り、足を止めて雑談にも応じてくれる光景を何度も目撃しました。

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現在の盛り上がりを前にして時折、2人が思い出したように口にするのは、「2002年の初回の観客動員数は3万人でしかなかった」という事実です。当時の3万人はそれほど少なくはありませんが、観客が10万人を超えたのは2012年、10年ほど前のこと。毎回、ル・マン24時間レースの一時代を画した、あらゆる自動車メーカーや車種の何十周年目かの記念や機会が、ル・マン クラシックの場で丁寧にとり上げられ称揚されることは、つくり手やドライバーなど熱意をもって関わった人々やオーナーにとって再び忘れられない時間となります。

その歴史を初めて知った観客にとっても同じで、24時間という長いようで短く、しかし象徴的で、誰にでも等しく与えられた時間に想いを馳(は)せる機会は、このイベントならではと言えます。そうして少しずつ積み上げてられてきた情熱や祝祭の時間を、今年は23万5000人もの観客が分かち合うまでになったのです。

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唯一無二のレースに賞賛と敬意を込めて。
「RM 72-01 ル・マン クラシック」誕生

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そんなル・マン クラシックを祝福すべく、リシャール・ミルはル・マン・クラシックの度に開催記念となるスペシャルなモデルを発表し続けています。ル・マン24時間レースの100周年と重なりあう今回は、「RM 72-01 ル・マン クラシック」、ダブルスイングピニオンクラッチ機構を備えた初のフライバッククロノグラフが、150本限定でリリースされました。

文字盤上の表示にはル・マンならではのストーリーが込められています。5時位置の24時間積算計の目盛りで、ル・マン24時間の伝統的なスタート/ゴール時刻である16時を赤地で強調。スタートから再び積算時表示が16時を指す位置まで戻ってきたら、その針はすぐ左下の7時位置、デイト表示を囲うようにあしらわれたチェッカーフラッグ柄を指し示します。チェッカーフラッグとは無論、ゴールにたどり着いて完走した者だけが受けられる栄誉。チェッカー内の日付表示も当然、翌日に切り替わっているので、24時間を戦った者だけが見つけられる歓びに違いありません。ちなみに9時位置は秒針で、2時位置は60分積算表示です。

ベースのホワイトクオーツTPTⓇを彩るグリーンは、ル・マン・クラシックの第1回からのイメージカラーで、颯爽とした雰囲気のツートンカラーはユニセックスのスポーツモデルです。モータースポーツに関わる女性へのエンパワーメントを続ける、リシャール・ミルの今を巧みにかけ合わせたアピアランスと言えるでしょう。

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ル・マン クラシックはそう、まるで時間を刻みつけて走るような伝説の耐久レースの地に誰もが過去への憧れを持ち寄っては、自らの経験とする――。その時間を味わいに再び集まってくる。そういうマジックな週末なのです。

RM 72-01 ル・マン クラシック


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  • ムーブメント:自社製キャリバーCRMC1
  • ケースサイズ:38.40 × 47.34 × 11.68mm
  • ケース:グリーンクオーツTPTⓇ
  • ケースバック:ホワイトクオーツTPTⓇ、グリーンクオーツTPTⓇ
  • ストラップ:ラバーストラップ
  • パワーリザーブ:約50時間
  • 防水性:30m
  • 限定:世界限定150本
  • 価格:4873万円

●お問い合わせ
リシャールミルジャパン
TEL 03-5511-1555

公式サイト