MAX GUTHER

前編から続きます

ハイプウォッチを巡る状況でさらに無視することができないのが、eBay、StockX、Chorono24といったサービスを通じて行われる二次流通(※編集注:中古品業者や個人消費者が出品や転売などを行う流通経路)です。ハイプウォッチの認知が高まるにつれ、このようなプラットフォームがまるで小規模な投機市場のごとき役割を担うようになり、それに伴いInstagramやYouTubeを通じて繰り広げられる「市場価格」の吊り上げがますます目につくようになったのです。

このような二次流通市場については、見て見ぬふりを決め込むというのがこれまでの大手ブランドのスタンスでした。「新品同様」と称して出品される未開封の時計がグレーマーケットを助長していることに気づいていながら、それを黙認してきたとも言えるのです。

しかし、ハイプウォッチの世界においてはこのような二次流通市場が新たなフロンティアを切り開いているのも確かです。「ムーンスウォッチ」や「ロイヤルオーク」などを転売して大きな利益を貪(むさぼ)る「転売業者」に軽蔑の眼差しを向けないコレクターなどいないでしょう。しかしながら、愛する時計に高値がつけられるというのは、コレクターにとっての喜びでもあることは否定できないはず。誰だって、自分の贔屓のミュージシャンには上手く行って欲しいと願うものです。しかし、それが手の届かないほどの成功となると、話はちょっと変わってきます。

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大手ブランド各社も対応には手をこまねいています。

「われわれタグ・ホイヤーについては、幸運なことにヴィンテージウォッチとコンテンポラリーウォッチ、その両輪が安定した評価を得ています」というコメントを発しているのは、同社のフレデリック・アルノーCEOです。

「例えばタグ・ホイヤー『モナコ』といった当社のベストセラーモデルのウェイティングリストには多数の方々が登録くださっており、私たちはその価値を貶(おとし)めることのないよう細心の注意を払わねばなりません。生産数をいたずらに増やすことなどあり得ません。つくればつくるだけ売れるであろうことは百も承知していますが、格調高いタイムピースですから、その品質と魅力とを最高のレベルで維持すべく努めるのが私たちの責任です」

その一方で、転売を歓迎するという声も

その一方で、「良きにつけ悪しきにつけ、転売行為によって新たな需要が生み出されている」という、よりオープンな見方もあります。例えばイギリスのカスタム時計メーカー、バンフォード・ウォッチデパートメント(BAMFORD WATCH DEPARTMENT=BWD)のジョージ・バンフォード氏などは、「多少の転売はむしろ歓迎」という態度とも言えそうです。

「考え方としては最悪かもしれませんが、ありがたくないとは言えません。ですが、そのせいで気分を害される上顧客がいるなど、相応の問題が生じているのも事実です。しかし見方を変えれば、転売業者がいることで時計の価値を確認できるというのもまた事実だと思うのです」

一方で「危険な徴候だと思う」と警戒心を深めているのは、2014年に設立された時計ブランド、MING(ミン)の創業者ミン・シン氏です。

「なぜなら、製品そのものの価値とは異なる需要だからです。時計そのものではなく、その周辺にある諸要素によって価値が吊り上げられているのです。ただし、ある程度の二次的な需要があるというのは、正規の顧客にとっては価値の保証ともなり得るもの。なので、良い面がないわけではありません。

しかしながら定価の4倍、5倍もの金額で売り買いされるというのは、私にとってはあまり気分の良いものではありません。例えば、販売価格が3000スイスフラン(約42万5000円)の時計を私たちがデザインしたとします。その時計を初めて手にする誰かが、それを1万スイスフランで買わされることのないよう、二次流通市場を適切に管理する必要があるのではないでしょうか。本来であれば3000スイスフランの時計に対し、1万スイスフランの価値を期待するのは間違いだと思うのです。不当に高い額を支払った後に失望されるようなことだけは、私たちとしては絶対に避けねばなりません」

ハイプウォッチとは距離を取るという選択肢も

A Collected Man(ア・コレクテッドマン)の創業者、サイラス・ウォルトンCEOは、独立系ブランドによる最高品質のヴィンテージ時計および新型時計を扱う専門ディーラーです。

「例えばハイプウォッチのような時計とは、「できるだけ距離を置く」というのが私たちの方針です。過剰に商品化された時計にはそもそも関心がないのです。ご存じのとおり、昨今の二次流通市場は店頭価格を大幅に上回るようになっています。このような状況が温存され続ける限り、プライマリーマーケット(一時流通市場)の価値も過大評価されることになります。そして購入のチャンスがあれば、この機を逃すまいと飛びつく人々が生まれます。かなり不健全な状況と言えるでしょう。

現在のハイプブランドの中には、その実態以上に神格化されてしまっているものも少なくありません。今でこそ数倍もの価格で取り引きされていますが、3~4年前であれば30~40パーセントオフでなければ売れなかったような時計です。スイスの名門の家族経営ブランドも、以前は自社の時計の転売には厳しく目を光らせていたものです。ですが私の知る限り、近年では1年以内の売却でなければ目をつぶるようになっています。そのような時代になってしまった、ということです。このモンスターのごとき投機市場を生み出したのは、果たして一体誰でしょう? 誰もが一度胸に手を当てて考える必要がありそうです…。好むと好まざるとに関わらず、今やそれが市場の一部となってしまったのです」

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Anadolu Agency//Getty Images
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ブランド側にも忍び寄る“歪(ひずみ)”

制御不能かつ無根拠な転売価格の高騰への対応策として考えられるのは、小売価格の引き上げ、そして供給量の増加という2つの方法です。しかし前者についてはPR上の問題が懸念され、ブランド各社も消極的にならざるを得ないでしょう。また後者についても思うほど簡単な話ではありません。ロレックスを例にとってみても、スチール製の時計の供給量を増やすべきか否かの論争が、もうかれこれずっと続いているのです。

年間100万本の時計を製造している現状において、希少性は人為的につくり出されたものであると考えるのが自然です。他のブランドにおいても、状況は大差ないといえるでしょう。「生産量の倍増など、一昼夜にしてできるわけがありません。年間10パーセントの増産であっても、かなり大きな挑戦ということになるのですから」と、ウブロのグアダルーペCEOはこぼしています。

A.ランゲ&ゾーネのヴィルヘルム・シュミットCEOも全く同じ意見です。

「ウェイティングリストに名を連ねる顧客の皆さまにお詫びをしなければならないという、なんとも厄介な状況が生まれています。特殊なモデルをつくるためには極めて高度な職人技が求められるのですから、時間がかかるのは仕方のないことなのです。私たちの仕事に対する理解の深いお客さまであれば、あえて言うまでもなくご存じのことです」

生産のためのリソースを大企業に奪われ、サプライチェーンを維持できない可能性のある小規模ブランドにとっては事態はさらに深刻です。需要を予測することは「最も難しい問題だ」と、ミン・シン氏も顔を曇らせます。

「『市場からの発注を受けて、初めて生産量が確定されるもの』と、誤解する見方もあります。が、事実は全く異なります。時計市場におけるリードタイム(※編集注:一般的には商品の発注から納品に至るまでの生産や輸送などにかかる時間のこと)が通常18~24カ月であるのに対して発注後の納期は6~9カ月となっているのですから、そもそもそのような計算は成り立つわけがありません。できるだけ早く納品ができるよう努力を重ねたところで、不測の事態による遅延がついて回るというのが小規模ブランドの現実です。

その一方で大手ブランドは、リベンジ消費とEコマースのブームを当て込み、今後5~6年分の生産体制を確保しています。パンデミック後にはサプライヤーの多くが自らの生存をかけて保守的になり、事業を縮小してしまいました」

ゼニスのジュリアン・トルナーレCEOも、次のように述べています。

「伝統的に、この業界はのんびりとした世界だったのです。しかし加速する一方の世界にあって、私たちもついに適応を迫られています。ファッションの移り変わりはさらに目まぐるしいものです。その影響は生産体勢に直撃しますが、私たちはブランドの財務状況より、顧客を第一に考えたいと苦心しています。派手な宣伝を目にしてから、時計を実際に手にするまでに6~12カ月も待たなければならないというのは、すでに過去の話となってしまいました。

若い世代に対しては、そのように悠長なことは言っていられません。展示会場のウインドウで目にした時計がなかなか手元に届かないようであれば、彼らはたちまち動揺し、不満を抱き始めるでしょう。業界全体にとって好ましい状況とは言えません。私たちのすべきこととは、顧客を誠心誠意にもてなすことです。乱雑になってしまってはいけません」

結局、ハイプウォッチがもたらすものとは?

つまりハイプウォッチのトレンドは、時計業界にとっては歓迎すべからざるものなのかもしれません。次々と投下される新作時計がたちまち完売となる状況がある一方で、それらをデザインし生産するためには相応の時間を要するという、何ともしがたい現実があるようです。

しかし、サイラス・ウォルトン氏は問題の本質が“ハイプ”にあるとは考えていません。言うなれば、これは世代交代にまつわる状況だと見ているのです。

「本来、“ハイプ”という言葉に侮蔑的な意味合いはありません。より若く、よりファッションに敏感な世代に備わった行動パターンの一種、つまり文化的な現象と解釈するのが妥当であり、もはや現代の常識と考えるべきでしょう。不均衡なパワーバランスこそが問題の根源であると、私はそのように考えています。

品定めを楽しみ、ときには楽し気な売り文句にあおられながら、買い手は売り手から感謝されて然るべき存在であるとさえ考えるコレクターにとって、肝心の商品が待てど暮らせど届かないという状況はまさに不満でしかないでしょう。新たな時計を投下するということはすなわち、買い手から売り手へのパワーシフトを意味してもいるのです」

いわゆる“ハイプエコノミー”がソーシャルメディアやEコマース、オンライン上で展開されるBtoBのマーケットプレイスなどを介して出現したのは、決して偶然ではないでしょう。こと時計業界において現在起きていることは、デジタル革命と呼ぶべき現象です。この先の真の課題は、歴史と伝統とを重んじ、腰の重いこの業界が、どのように時代に適応していくのかということになるのでしょう。

Source / Esquire UK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です