亡き父を偲んだ“ダブルリスティング”

現地時間2月19日(日)に開かれたBAFTAS(英国アカデミー映画賞)授賞式のステージには、ド派手なマント姿で登場したイギリスの俳優リチャード・E・グラントの姿がありました。そこで彼は、腕時計を左右の手首に巻いていました。右手にカルティエの「サントス」、左手にはブライトリングの「ナビタイマー」が巻かれていたのです。しかも、「サントス」のほうは針が2時間後を指していました。

アフリカのエスワティニ王国(旧スワジランド)出身のグラントですが、現在も現地の市民権を持っています。そんな彼は、死の床につく父親から1本の腕時計を譲り受けたそうです。グラントはその亡き父を偲び、今でもエスワティ王国の首都ムババーネ時間に合わせたその腕時計を、いつも身に着けているというわけです。

左右の手首に異なったタイムゾーンの腕時計というスタイルですが、これはグラントに限ったことではありません。1991年の次湾岸戦争で「砂漠の嵐作戦」を指揮したアメリカの軍人、故ノーマン・シュワルツコフも片腕にセイコー、もう片腕にロレックスの「オイスターパーペチュアル デイデイト」というスタイルで、現地時間とワシントンDCの時間を把握していました。

あの(キューバ革命を成功に導いた革命家)フィデル・カストロもまた、ロシアへ赴いた際には左右に巻いたロレックスを、ハバナ時間とモスクワ時間に合わせていました。一つはロレックス「GMTマスター」ですが、4本目の針が異なるタイムゾーンに設定できる仕様であり、ワシントン時間にも気を配っていたのです(現在はハバナ時間と一緒ですが、1960年代には1時間の時差がありました)。

「あのリチャード・グラントの姿を見て、その背景にある物語の美しさに打たれました」と語るのは、イギリスのカスタム時計メーカー、バンフォード・ウォッチデパートメント(BAMFORD WATCH DEPARTMENT)の創業者であり、自身も“ダブルリスティング”、つまり二刀流の使い手であるジョージ・バンフォード氏です。彼も2種類の機械式時計を巻いていますが、そこには「自分なりの理由がある」と言います。

「片方の手首には新作のプロトタイプを、もう片方にはいつもの時計というのが通常のスタイルです。袖の内側に隠すようにしていますが、手首に巻いた感触を確かめたくて、そうしているのです」

時計の存在意義を考えさせられます

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ウィリアム皇太子は、ガーミンとオメガ。

現代における“ダブルリスティング”は、その様式と同時に、機能を求めて着用される傾向にあるようです。英国のウィリアム皇太子であれば、イートン校在学中にダイアナ妃から贈られたオメガ「シーマスター300M」を愛用しながら(母のダイアナ妃もまた“ダブルリスティング”を象徴する存在でした)、最近ではガーミン「フォアランナー245」とのペアを楽しんでいます。

1969年以降のクオーツショックこそ、歴史の変わった瞬間でした。この出来事を通じて、ラグジュアリーウォッチ業界による時計の再定義が進められるようになりました。時計とは単に時間を計る以上の、家宝となり得る、芸術品と呼ぶべき、ステータスシンボルであり、時計の名門工房の本拠地ジュラ山脈の裾野に暮らす名工の手による嗜好を理解する、そのような人々のためにつくり出されるものである、と…。

アップルウォッチは、あらゆる情報を届けてくれる優れモノです――とはいうものの、心拍数やメールの着信、スケジュール管理といった、ごくごく個人的な情報に過ぎません。役に立たないとは言いませんし、それによって命拾いすることもあるでしょう。しかしながら、おそらく、あなたの胸を高鳴らせてくれることなどないでしょう。

時計業界が「ポスト・アップル」の時代を迎えて、もう7年になろうとしています。正確な時間だけでなく、心拍数まで記録してくれ、さらにトレーニングのサポートまでしてくれるのがアップルウォッチです。そんな時計を前にして、人々はそれでも「クロノメーター」を手にするだろうかと、案ずる人も当時は少なくありませんでした。「iWatchが登場すれば第2のクオーツショックに襲われる」、そんな不安もささやかれていたのも事実です。

しかし、スイスの高級時計ブランドはそんな心配を見事に乗り越えました。時計ブランド各社はどこも、今や需要を満たすのに苦労するほどの好調の波に乗っています。コロナ禍による「リベンジ消費」が起きたこともあり、新品時計もヴィンテージ時計も、どちらの時計も高騰することになったのです。

ただし、機械式時計の需要が高まりを見せる一方で、スマートウォッチもまた新たなユーザーを獲得しています。2022年の時点で300億ドル(約3兆9832億円)という市場規模に達したスマートウォッチ業界ですが、今後の5年間でさらに3倍に迫る市場が生まれるという予測もあります。ちなみに現在の高級時計市場は、約500億ドル(約6兆6387億円)ほど。まだ機械式時計優勢ではありますが、いずれ逆転現象が起きるかもしれません。

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カンヌで見かけた俳優のビル・マーレ―は、カルティエとタイメックスのダブルリスティングでした。

ところで、高級時計とその敵と呼ぶべきスマートウォッチ。本来であれば対立すべきもの同士が、なぜ共存できているのでしょうか? 実は敵対しているようでいて、想像以上に好相性であるという場合だってあるのです。そして、それらは“共にあるべきもの”かもしれないのです。高級時計がひしめく飛行機のファーストクラスや超高級レストランを覗けば、片方の手首を貴金属で輝かせ、もう片方にはラバーバンド――そんな人々の姿を見つけることができるはずです。

ただのひけらかしには、目も当てられません

さて、“ダブルリスティング”をするに当たり、いくつか留意しておくべき点はあるでしょう。まず、グラントやウィリアム皇太子のように、時計に備わるストーリーは重要です。そして、あまりにも派手なものは避けるのが賢明でしょう。女性向け時計雑誌『Dimepiece(ダイムピース)』の創刊編集長ブリン・ウァルナーの言うとおり、「高級時計をこれ見よがしに見せびらかすのはいただけない」ということです。ちなみに彼女自身は、時計は片腕だけという主義です。もしくは…、時計を全く見せないことで、「心配の種ごと消し去ってしまう」という方法もあるでしょう。

Source / Esquire UK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です