《概要》
- テストドライバーであるアンディ・ウォレス氏は、ドイツのエーラレッシェン・テストトラックにおいて、わずかに改良を加えたブガッティ「シロン」プロトタイプで、公式に時速304.773マイル(490.48km)のスピードを出すことに成功。
- このクルマには「シロン」のW型16気筒を、1600馬力になるように調整された、よりパワフルなエンジンを搭載。
- ブガッティのCEOステファン・ヴィンケルマン氏は、「スピード競争は今回で終了する」と述べました。つまり、ブガッティはこれから最速の記録を狙うことから撤退し、「別の分野にフォーカス」していく予定。
ブガッティ「シロン」は、最高速度420km/hというスピードリミッターを搭載し販売されています。そんな中、「もしそのスピードリミッターを解除したら、はたしてどれほどの性能を発揮できるだろう?」と気になってしょうがない人も、少なくないことでしょうか… 。
そうしたファンの期待に応えるカタチで、ブガッティは2019年9月初め、ドイツの広大なエーラレッシェン・テストトラックで「シロン」を走らせ、量産車の最高速度記録と時速300マイル両方の壁を打ち破るという偉業を成し遂げました。
テストドライバーであるアンディ・ウォレス氏は、過去にも「ジャガーXJ220」と「マクラーレンF1」で量産車の最高記録を残していますが、わずかな改良を加えた「シロン」で時速304.773マイル(490.48km)を計測し、この記録がドイツのTUV(技術、安全、証明サービスに関する認定機関)によって公認されました。
今回使用された「シロン」は、ブガッティによると「市販車に近い仕様」のもので、そのマシンにはセーフティーセルが加えられ、エアロダイナミクスも変更し、より高パフォーマンスが可能な7速トランスミッションを改良していたようです。
この仕様は、最高速度更新の記念用限定モデル車に組み込まれるかもしれません。さらに通常の4ターボ+W型16気筒エンジンを少々パワフルにしたものを搭載し、最近発表された「チェントディエチ」と同じように、トータルで1600馬力へと向上させているものでした。
今回の記録は、「シロン」のボディを製造し、そのエアロダイナミックキットを開発したイタリアのレーシングスペシャリストであるダラーラ社とともに、1分間に最大で4100回もの回転数となって巨大な抵抗に耐えうる能力を持つ特殊タイヤを製造したフランス大手タイヤメーカーのミシュラン社とともに達成しました。
特別に製作されたミシュラン・パイロットスポーツカップ2というタイヤは、今回の走行で使用されることが決定する前から、X線検査までも入念に行っていたそうです。
今回取材を行った米ライターが、記録を打ち出した走行後にウォレス氏に話しかけた際、タイヤについてはこう説明してくれました。
「タイヤのインサイドのエッジの周りには、細い金属の線が等距離でそれぞれが接触しないように放射状に配列されていました。多くのタイヤでは、こういった線が接触してしまう部分は一箇所か二箇所はあるものです…」。
「通常、法定速度を超えた走行となっても、そこに問題は生じないよう設定されています。ですが、今回は我々も未知なる重力がかかると予想できるスピードですの走行になります。データから推測された走行時の動き、そして発する熱にも耐えうるよう設計されています」と答えてくれました。
この58歳のベテランレーシングドライバーと今回の専門家チームは、1週間以上にわたって最速の記録を目指し、徐々にスピードを上げながらリフト時とダウンフォース時のマシンバランスが取れるよう、空気抵抗予測に従ってマシンをコントロールしていったわけです。
それでも、「シロン」の構造を貫くような巨大なGがのしかかります。そのことを、ウォレス氏はこのように説明しています。
「ボディの表面に受ける2000kg近い空気の圧力は、車体を地面から離そうという力として働きます。そして同時に、別の2000kg近い空気の圧力が、車体を地面に戻そうとする構造になっています。つまり、ざっと考えても4トンになるその2つのひしめき合う力は、つまりをこの車体をバラバラにしようとしているのも同然なわけです。その状況下、そのクルマを安全かつ最高速で走行しなければならなかったわけです…」とのこと。
タイヤの非常に速い回転速度によって生じるジャイロ効果(=物体が自転運動をすると自転が高速なほど姿勢を乱されにくくなる現象)も、また別の問題としてあったそうです。
それは超高速スピードで走行する際、実際に影響し始めたそうです。
「時速200マイル(321.86キロ)ではほとんど感じなかったのですが、時速300マイル(482.80キロ)になると、それは非常に大きくなりました。主にそれは前輪で感じられましたので、ステアリングですね。コマのように動き始めたら、そのまま動き続けようとするのです」と語っています。
「シロン」が速度を上げていくと、予期していなかった別の問題も生じました。
「エーラレッシェン・テストトラックの一区画は再舗装されているのですが、バンクを通り抜けると、8.8kmの長い直線になりスピードを上げます。すると、ちょうど時速447キロ(277マイル)で、マシンがその新しい舗装部分から以前の部分へと移動します。私(ウォレス氏)はその部分を、『ザ・ジャンプ』と呼んでいます。普通のクルマであれば、ほとんど気づかないでしょうが…高速状態では、とても大きくな段差に感じるのです。 そこを通過し着陸したところにちょっとした横風でもあったものなら、我を忘れ、どうしていいかわからなくなってしまうでしょう」と、振り返りました。
しかしウォレス氏は、チームへの深い“信頼”を持っていました。だからこそ、今回の記録を成し遂げることができたのです。このチームへの“信頼”こそ、最高速度を達成しようとするドライバーにとって最も必要なものと言えるでしょう。
例え「シロン」の安全装置、特別な清掃が行われたコース、現場における緊急の際の医療体制が十二分に準備されていたとしてもです。「このようなハイスピードでの運転中では、どんなに小さな事故と言えども大怪我…そして死につながるものですから…」と、ウォレス氏は淡々と答えてくれました。
続けて、「私はすべてのエンジニアに多大な信頼を寄せており、すべてのエンジニアを尊敬しています。同じようにダラーラ社とミシュラン社へも…。 このプロジェクトが始まり、我々は一緒に取り組み、一緒にリスクを背負って、1から大きな挑戦を描き始め、考えられるリスクを取り除くための方法を考えたのです。しかし、そうは言っても、完全にそのリスクをなくすことはできません。それに、まだ制御することのできない『Sodの法則』や『マーフィーの法則』のような、“失敗する余地があれば、失敗するといった不運の法則”もあるからです。このようなことを十分に繰り返すことで、一緒に働いている仲間たちに対して日に日に信頼を増していきます…。それが100%の信用へと達し、最終的にはただ実行するのみとなったのです…」と、振り返っています。
エーラレッシェンで4日間が過ぎ、このチームは時速482.5キロ(299.8マイル)の最高速度を達成していました。それでも彼らは、300マイルの壁を突破することを選択したのです。そして記録の挑戦がかかった周で、ウォレス氏はあの「ザ・ジャンプ」を越えたときに、これまで以上の自信を感じたことを覚えているそうです。
「着地して少し進路を修正した後、『これまでで一番うまくいったのでは…』って感じました。横風はやや少なく、安定を保てたのです。ですが、不思議なことにレーダー速度表示はまっすぐ下がっていて、一目瞭然でこのような高速スピード用に調整がなされていなかったこともわかりましたが…」とのこと。
「何が何だか分からない状態で、速度表示は時速502キロ(312マイル)の点滅がしたのすが、ゲージを見るとGPSでは時速476キロ(296マイル)しか出ていませんでした。だからアクセルを踏み続け、時速490キロ(304マイル)を超えたことを確認しました。しかし道路の直線は、もう少しで終わるところだったんです…」
エーラレッシェンの三つの面から構成されるコースのレイアウトは、コーナーはバンク(カーブの外側が高くなっているコーナー)になっていて、最も長い直線の終わりの南側ベンドの制限速度は時速200キロ(124マイル)となっています。
「時速毎秒136メートルの運転の中にブレーキポイントを見つけるのは、非常に困難なものです」と、ウォレスさんは言います。
「それから、ゆっくりと減速をしなければならないので、全本能でブレーキを踏むタイミングを察知し、空気抵抗を大きく変化させないにようにします。そうすれば、マシンのコントロールも失うことはないわけです…」とも教えてくれました。
ブガッティ「シロン」は、その記録達成の走りにおいて驚異的なスピードだったので、現場のチームにタイムを伝えるはずのテレメトリーシステム(遠隔測定システム)が追いつくことができなかったようです。そのため数分間は、ウォレス氏だけが記録を更新したことを知っていたようです。
そのことに関して、彼はこう振り返っています。
「GPSで速度を確認して、ピットエリアに向かう途中でラジオを通じチームのみんなに感謝を伝えていたのです。けれども、なぜ私がそんなに喜んでいるのか、彼らは理解できていなかった(笑)。彼らが確認できていたのは最高速度479キロまでだったのですが、すでにマシンは482.5キロを達成していました。ピットに戻り、みんながマシンの車載データレコーダーに飛びつき、その速度計を確認し、その最高速度を確認してお祭り状態になったのですよ…」
もしも世界最長の直線を持つこのテストトラックの直線距離が、もう少し長かったとしたら、ブガッティ「シロン」はもう少し速いスピードを出せたのかもしれません…。「加速度のトレースは、ピークを迎え横ばいになった状態ではありませんでした。つまり、まだ上昇するポテンシャルは大いに示していたとうことです」と、ウォレス氏は言っています。
エーラレッシェンの海抜は、わずか150フィート(50mメートル)ということ。なので、空気密度も高かったわけです。つまり空気密度が高くなると、最高速度を維持するためにより多くの力も必要となります。つまり、より高度が高ければ、マシンへの抵抗はより少なくなるワケです。
◇ブガッティが目指す次の高み
他社が今後、この最高速度記録を更新するかもしれません…。ですが、ブガッティ社は最高速度への追求は終えることを決断しました。同社は、「最速の量産車を生産する競争から撤退する」と意思を固めていたのです。
「我々は世界最速のマシンを製造していることを、これまでに何度か証明してきました。次の将来は、別の分野にフォーカスしていく予定です」と、ブガッティのSEOであるステファン・ヴィンケルマン氏は話します。
「ブガッティは、時速300マイルの壁を破った最初のクルマです。その名は、永遠に歴史に刻まれることになるでしょう」
最後にウォレス氏にとって、ル・マン24時間レースやデイトナ24時間レースの勝者など輝かしい記録を獲得しているキャリアの中で、「今回の世界記録を再樹立したことはどのような位置づけとなるのか?」と聞いてみました。
「多くの人が、『ブガッティで最高速度300マイルを叩き出した。あなたが運転していたから達成できたのでしょうね』と言うでしょう…。多分、それが本当なのかもしれません。ル・マンやデイトナで勝つことは、多くのことはドライバー次第ということが、私にもよくわかっていますので…。そして、そのことについて考えると、自分自身に誇りを持つことができます。しかし2年前に、誰かが『君はいずれ300マイルを超すでしょう』と私に予言して言ったとしたら、私はきっとその人は頭がおかしい人だと思ったでしょうね(笑)」
ウォレス氏はさらに、記録達成の後の興味深い“副作用”に関しても教えてくれました。
「この記録達成の走りを終えた翌週は、本当にゆっくりと運転できることを楽しみました。どこを運転するときも、制限速度を16キロから25キロ下回る速度で走りましたね」と。
Source / CAR & DRIVER
Translation / Kazuhiro Uchida
※この翻訳は抄訳です。