この記事はアメリカの「CAR AND DRIVER」に掲載された、ANDREW WENDLERによる2018年9月20に公開の記事「Ferrari 308GTSi Formerly Owned by Miles Davis Goes up for Sale」に加筆したものになります。


2018年9月、「モダンジャズの帝王」であるマイルス・デイヴィスがかつて所有していた1980年型のフェラーリ「308GTSi」がebayでオークションにかけられました。これは、「カー&ドライバー」に執筆する自動車ライター、アンドリュー・ウェンドラーに言わせれば 「アメリカの文化意識の欠如を示す悲しい実例」としています。

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それは程度のかなりいい
1980年型のフェラーリでした

売り手はBeverly Hills Car Club(ビバリーヒルズ・カークラブ)は、eBayおよびその他の手段で、マイルス・デイヴィスのこの遺産を競売にかけました。そして売り上げの一部をThe Grammy Museum(グラミー博物館)とその財団に寄付しています。ですが出品されたときにそこには、「Celebrity Owned(有名人所有)」「Jazz Musician(ジャズ・ミュージシャン)」というだけのタグが付与されているだけでした。

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このことから、「偉大なアーティストの1人であるマイルスの名前と、その彼のキャリアも知らないまま購入してしまう可能性も低くない」という懸念も微妙にありました。ですが、それはアメリカのジャズ・ミュージシャンでフェラーリを代表とするスーパーカー好きと言えば「マイルス・デイヴィスしかいないでしょ」という発想できる人にしか購入させたくない…という思惑もあったのかもしれませんが、今となってはわかりません。

気まぐれな性格で有名なことから 、“Prince of Darkness(闇のプリンス)”とも言われていました。これは1967年にマイルス率いるクインテッド(+サクソフォン:ウェイン・ショーター、ピアノ:ハービー・ハンコック、ドラム:トニー・ウィリアムス、ベース:ロン・カーター)がリリースしたアルバム、「Sorcerer」(魔術師の意)の最初の楽曲『Prince of Darkness』楽曲名でもあります。

そんなマイルスは自らとの親和性を強く感じたのでしょう、いわば偉大なる“気まぐれ”イタリアスポーツカーを愛し、この1980年型のフェラー「308GTSi」をのほかフェラーリ「275GTB/4」、フェラーリ「テスタロッサ」、ランボルギーニ「ミウラS」などを所有していました。当時のebayにこの「308GTSi」は「走行距離は9589マイル(約1万5432キロ)」とされていたので、それでも比較的静かな生涯をおくった1台のようです。

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Beverly Hills Car Club/Ebay//Car and Driver

基本的にこの車は、1973年に先行デビューしていた2+2クーペの「ディーノ 308GT4」をベースに2シーターのミッドシップスポーツカーとして、1975年のSalon de l'Auto(サロン・ド・ロト=日本では 「パリサロン」と呼ばれていた)でデビューした「308GTB」の系譜としています。ちなみにGTBの「B」は、イタリア語の「ベルリネッタ」で「クーペ」を意味します。

ボディはフェラーリらしい
ジアッロ・フライでした

当時、年々厳しくなる排ガス規制に対応するため、フェラーリは1980年には燃料供給装置を機械式燃料噴射「インジェクション式(Kジェトロニック)」に変更したものとして「308GTBi」と「308GTSi」を登場させ、従来のキャブレター式モデルを廃止します。1982年には、エンジンヘッドを4バルブにしたモデル「308 クワトロバルボーレ(308 Quattrovalvole=イタリア語で4バルブの意)が追加されます。そして1985年のフランクフルトモーターショーにて後継車として「328」が発表し、10年にわたる生産・販売を終了します。

ボディカラーのGiallo Fly(ジアッロ・フライ=「イエロー・フライ」とも言われる)は、フェラーリにとって「第2の魂」とも言えます。この色は、ファラーリの故郷モデナの色であり、戦争の英雄となったイタリア空軍のエースパイロットであるフランチェスコ・バラッカの紋章から受け継がれた跳ね馬(カバリーノ・ランパンテ)と共に、世界で最も有名なフェラーリのアイコンの一部となっています。フェラーリの顧客の間でも人気の高いカラーの1つです。

そんなカラーのボディに、伝統的なゲート式シフトで操作する5速マニュアルトランスミッションを搭載。さらに新車時に付属していたスペアタイヤやジャッキ、ツールキットが付属していました。

この車のモデルイヤーである1980年は、マイルスが「空白の5年間」(なぜ空白なのか? それは多少に演出もありますが、映画『MILES AHEAD / マイルス・デイヴィス 空白の5年間』で確認を)を経て、演奏とレコーディングに復帰した年にあたります。

彼がこの車を、いつ次の持ち主へと引き渡したのかは不明です。eBayの商品リストに掲載された譲渡書類の一部のスキャンも、文字どおりあまりにもぼやけていて読めません。とは言え、やや判読可能な文書には「デイヴィスからWWへ」という手書きのメモがあり、1987年10月1日にマイルスがニューヨーク州スプリングバレーのワイド・ワールド・オブ・カーズに車を売却したことが示されています。

かすかながら判読可能な文書には、「"Davis to WW,"(デイヴィスからWWへ、」と手書きのメモが確認できます。また、「1987年10月1日、ニューヨーク州スプリングバレーのワイド・ワールド・オブ・カーズに売却」ということも。しかし、それ以降の経緯は明かされていません。

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Miles Ahead | Official Trailer HD (2016)
Miles Ahead | Official Trailer HD (2016) thumnail
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名義変更時の走行距離は
約2万1276キロメートル

マイルス自身が新車で購入したのか? それとも少し中古で購入したのか? もわかりません。また、拘束された生活を送っていたような痕跡も見えません。車両が完成してから現在までの累計走行距離を表示する計器走行距離の写真は、9589マイル(約1万5432キロメートル)を示しています。が、不思議なことにその譲渡書類には、1987年の名義変更時の走行距離は1万3220マイル(約2万1276キロメートル)と記されています。マイルスはこの時代、多くの健康問題や薬物乱用に悩まされていたので1万3220マイルも走っていない可能性も否めません。

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Car and Driver

2018年9月18日に始まったeBayでのオークションは、1991年のマイルスの命日である9月28日に終了しました。オークションにかけられたばかりにハガティ保険が管理するオンライン査定ツールで確認すると、この1980年式フェラーリ「308GTSi」の見積価格は7万ドルということ。これは「以前の所有者がモダン・ジャズの帝王」という説明なしで算出された数値です。さて、落札額がいくらになったか? 残念ながらその額は不明です。

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このフェラーリ「308GTSi」をマイルスが所有していたことが確認できる写真が、上のXでの投稿にあるように、東京キララ社の 『マイルス・デイヴィス写真集 NO PICTURE !』(著:内山繁)に掲載されています。

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