はじめに連載のタイトル、「若き日本へのラブレター」について、G5に名を連ねる先進国の日本に対し、「若き日本」という形容詞をつけることに違和感を感じる読者も少なくないかもしれません。ですが本連載では、技術的にも文化的にも成熟していると言える日本社会に潜む問題点を、外国の文化にも精通する人たちの視点から自由に論じてもらいたいと思っています。鋭く、時に厳しく、日本の大衆に迎合せず、しかし心は大衆と共にある…そんな愛のある指摘を含む考えをエッセイ形式でおおくりいたします。

 そんな連載第1回目は、上智大学に留学経験があり、現在フィンランドのヘルシンキ大学大学院に在籍する若者からのお便りからご紹介しましょう。


《Profile・経歴》
サカリ・メシマキ(Sakari Mesimäki)

大学院生

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高校時代に初めて来日し、ホストファミリー宅に住みながら日本の高校へ通い、一年間の日本留学を経験。その後母国フィンランドで高校を卒業し、イギリスのケンブリッジ大学の日本研究学部へと進学。三年目には上智大学にて、再び一年間の日本留学を果たし卒業後は、東京でビジネス開発やコミュニケーションのコンサルティング会社で数年間働くことに。2018年にはフィンランドに帰国し、ヘルシンキ大学で社会文化人類学を勉ぶ。今年(2020年)の秋からは、ケンブリッジ大学で社会人類学の博士課程を始める予定。今後、現代日本社会や東アジアを専攻する研究者への道を目指す。
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 私が10年前、本格的に日本と関わり始めて以来、「国際化」は常に日本社会でバズワードとして存在していた。「国際化」はいつも緊急で、望ましくて、良いこととして促進されている。しかし、日本社会が全く国際化していないとは言わないが、「デジタル化」と同じように、常に促進されているにもかかわらず、常に手の届かないままのようだ。

 新型コロナ感染症が拡大していく中、多くの知事の支持を得て加熱していた「9月入学変更案」を機に、国際化の促進がまたしばらく議論されていたが、緊急事態解除宣言が発出され、その議論もあっさりと立ち消えた。

 そんな「9月入学変更案」の議論では、「海外の大学との連携が容易になり、日本の大学の国際化をより推進できる」というのが利点としてあげられていた。

 私は高校と大学、二回日本に留学したことがあるが、学年のズレは正直それほど大した問題ではなかった。関係ないことではないにしても、そのズレをなくすことに国際化の鍵があるのだろうか?と。

 学生と社会人として日本で過ごした合計4年間に、より大きな国際化を妨げる要素を感じた。それは、「日本的なもの」と「国際的なもの」の間に存在する頑丈な壁だ。国際的な日本が常に手の届かないままに感じるのも、この壁のせいなのかもしれない。

 もちろん日本の歴史は、海外からあらゆる文化を吸収し、その寛容さの賜物ではあるが、ある一線を越えると「日本的なもの」が牙(きば)をむき、寛容さは失われ拒絶が姿を現す。

 日本社会のあらゆる場面に、その「国際的なもの」を持ってきて取り入れようとしても、それによっていつも「日本」と分断されてしまう。決して交わることもなく、いつも二項対立なのだ。

 日本の大学に留学したとき、「国際交流会館」という大学の寮に住んでいた。ほとんどの住民が外国人留学生で、残りの数割が「国際交流したい」と希望して入った日本人だった。

 一方で、私が4年間留学していたイギリスのケンブリッジ大学と、母国フィンランドのヘルシンキ大学大学院には、日本のような国際交流会館はなかった。留学生と地元の学生を分けずに、学生用の住まいは学生たち全員の間で共有されていた。日本だけが、外国人用につくられた「国際化ゾーン」みたいな場所に入れる。そして、国際化意識の高い日本人のみが、その「国際化ゾーン」に入ってくるのだ。

フィンランド国立図書館
Subodh Agnihotri//Getty Images
フィンランド国立図書館。フィンランドで最も重要な研究図書館で、管理上、図書館はヘルシンキ大学の一部。 2006年8月1日までは、ヘルシンキ大学図書館として知られていた。

 日本の大学生活では、他のシチュエーションでも同じような「国際化ゾーン」がいくつか点在していた。留学生はみな、原則として英語で教えられている国際教養学部の授業しか受講することはできなかった。日本語で行われる社会学の授業に挑戦してみたかった私は、特別に教授から許可を得なければならなかった。

 また、大学のサークル活動に視線を向けてみると、多くの外国人留学生は「国際交流サークル」を通して、日本人の学生と友だちになって遊ぶことができた。もちろん私もその一人で、多くの新しい友だちができ、楽しい時間を過ごすことができた。「いい思い出ができた素敵なサークルだったな」と、今でも思う。

 しかし、しばらくその国際交流サークルで活動している中で、日本人メンバーと留学生メンバーの立場の差に気がついた。留学生は、そもそもそのサークルには正式に部員になることがなく、好きなときだけサークルのイベントに参加できるのだ。一方で日本人メンバーは、部費を払って部員となり、打ち合わせに参加してはサークル運営と活動の企画をすべて担っていたようだった。

 しかし外国人留学生のほうは、「国際化ゾーン」の象徴とも言える“国際交流サークル”ではゲストとしておもてなしされるだけであった。イベントの参加費も、留学生のほうが安かったことも覚えている。留学生はいつも、おもてなしを受ける側で、日本人学生はいつもおもてなしをする側なのだ。

 もちろんフィンランドのヘルシンキ大学でも、国際交流に熱心な学生団体がある。

 例えば日本語など、アジア圏の言語を勉強する学生サークルの活動に、多くの日本人留学生も参加する。あるいは、社会科学を専攻している国際的学生のサークルもそうだ。しかしこのサークルは、留学生におもてなしする面は多少なきにしもあらずだが、メンバーは「中の人」と「外の人」に分けず、現地メンバーも留学生メンバーも同じ立場から正式メンバーになったり、執行委員会に入ったり、運営に関わったり、イベントに参加したりしているのだ。「外」からきた留学生であるにせよ、サークルに入れば役割は同じなのだ。

 しかし日本で連呼される「国際化」は、「日本」と「海外」が混ざり込みすぎないよう、気を遣うことを怠らない国際化だ。言葉だけでは、この2つは近い交流のように見えるかもしれない。だが、実は接客する店員と客の関係のように、いかに暖かくて楽しい関係が築くことができても、その間(あいだ)にまだ壁が残っている。

 しかしながら、このような壁のある国際化が、必ずしもよくないことでもない。私は一概に、否定する気はさらさらない。

 いろいろな迷惑や、生活の不便を避けられる国際化のカタチだ。

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Klaus Vedfelt//Getty Images

 例えば、外国人と日本人が同じ寮に住むと、外国人にゴミの分別の仕方など、“日本風”の共同生活の習慣やマナーをみんなで教える必要もあり、英語でコミュニケーションをとる自信がない人や、国際交流に興味のない人に負担がかかる。いわゆる、外国人の世話をしないといけないワケだから。

 共同生活する外国人と、さまざまな摩擦もあるかもしれないし、日常的に理解し合う努力をしなければならない。おもてなしを受ける「国際化ゾーン」は、はじめて日本に来る外国人にとっても便利で、生活しやすい居心地の良いスペースなのである。

 しかし私は、「本当の国際化」は日常の不便にあると思う。

 文化(や意見)がぶつかったり、摩擦したりするような日常の挑戦の中にこそ、お互いについて学ぶ機会があると思うのだ。

 英語に自信がなくても、夜中にワイワイする隣の留学生たちに、「ちょっと静かにしてくれない?」と、勇気を出して嫌でもコミュニケーションを頑張る。同じ授業で留学生とチームを組み、異なるチームワークの仕方や不完全な言語能力から生まれる問題に挑戦する。何か特別の文化交流イベントではなく、平凡な日常を共有せざるを得ないことにこそ、別の意味の貴重な国際化は潜むと思う。

 このような交流をするためには、何か異文化コミュニケーションの「プロ」ではなくてもいい。文化交流を上手にできる前に、まずは下手でもいいから交流すべきだと考えるのだ。私も16歳の留学生として、ホストファミリーに起こしたであろう、いろいろな問題や迷惑を思い返すと、今さら恥ずかしく思う。でも、その(たまには大変な)経験を通してこそ、お互いに多くを学ぶことができるのだ。

 もちろん文化交流の場を、「国際化ゾーン」と銘打って制限することのない空間は、日本にも存在する。そこでは、国際交流とあえて定義しないことによって、気づかぬまま国際交流が進む場合が当然多いだろう。例えば、私が日本留学時に入ったダンスサークルは、そういう場であった。

 外国人は数人しかいなくて、日本語能力のレベルもさまざま。しかしみんなが、日本特有の部活カルチャーを理解するように頑張り、日本人部員もできるだけ外国人部員を「ダンスサークルの生活」に馴染めるよう努力していた。

 どうすれば良いか、だれも正しい答えなどわからないままお互いにコミュニケーションをなんとかして、不安や混乱のときがあっても、一緒に楽しくダンスしていた。思い返せばとても実り多い、意味のある国際交流だったと思える。私もみんなと同じ一部員にされたおかげで、先輩後輩などの上下関係と日本風の組織の行動などについての理解が、初めて本当に身についたように感じた。

 ダンスサークルには当然、「国際交流したい」よりも「ダンスしたい」と思って入る人のほうが多い。私のような、よくわからない外国人部員に対応しなければならないことを、「面倒くさい」と思った人もいたかもしれない。それでも、国際交流を謳(うた)うサークルよりも、“深い国際交流”ができたと思う。

 このような“深い国際化”こそ、不便や迷惑、混乱や誤解の可能性にあふれている。そこには「(居心地の良い)国際化ゾーン」の壁から漏れた者たちが存在し、それらを相手に国際交流に興味ない人も対応しなければならないわけで、コントロールしづらいことも多々あるだろう。これは和を乱さないことを大事にする日本のお国柄に合わない、辛い思いをした人も確実にいるはずだ。

 確かに、同調を強いるそのような日本を完全に保ちたければ、国際化は「国際化ゾーン」のみに制限したほうが良いだろう。しかし、そうなれば、9月入学にするにしても、今の状況から大した変わりなど期待できないだろう。つまり、外国人とコミュニケーションする機会も少ないまま、依然、外国語をあまり話せないままの日本人の「国際化」は続いて行くではないだろうか。そしてこの「国際化」は、今までのように一部の国際化の「専門家たち」に任せられていくのである。9月入学もなったとして、その結果、例えば留学生の数が増えたとしても、日本は未だ国際的な社会に成り得ない可能性は高いと思える。

 そもそも日本は、本当に国際的な社会になりたいのだろうか?

 「国際化」を訴える前にぜひ、この問いを真剣に考え、日常に浸透するような“より深い国際化”がもたらし得る社会の変化すべてを認める必要があるのではないだろうか。

 もしや「国際化」に伴って、「暗黙の了解、阿吽の呼吸などのような、古き良き日本の文化コミュニケーションが機能しない日本社会になってしまう」と恐れを抱く人が少なくないのであろう。そんな人々によって、現状のような「ゾーン化」することが継続しているのかもしれない。しかし、日本で“深い国際交流”を通して多くを学び、素晴らしい経験をした私としては、ゾーン化の壁を取り払って「より深い国際化に勇気を持って進んで欲しい」と願うばかりだ。