サッカー日本代表・田中碧選手は、自身のサッカー選手としての歩みについて、「自分はエリートではなかった」と振り返る。だからこそ、置かれた状況を冷静に分析し、目標を定め、やるべきことに取り組んでこれまでのキャリアを築いてきた。目標に対してやるべきことを地道にやり続けることが大切なのは、ビジネスの世界にも共通する。目標に向かってどう行動するのか。また、慣れない環境でどう挑むのか。田中選手と、キャリア形成に詳しいヘッドハンターの奥井亮氏、“異業種”の2人が語る。

試合に出られなかったデビュー1、2年目
壁をどう乗り越えたのか

奥井亮(以下、奥井) 田中選手は、小学校の卒業アルバムに、将来の夢は「18歳でプロデビュー。日本代表になって、世界でプレーするサッカー選手になる」と書かれたそうですね。実際に、プロのサッカー選手になることを意識したのはいつ頃だったのでしょうか。

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Toshiaki Usami / ダイヤモンド・オンライン
ヘッドハンターの奥井亮氏(左)とサッカー日本代表・田中碧選手(右)。

田中碧(以下、田中) サッカーを始めたときから、ぼんやりとサッカー選手になりたいな、と思っていました。元ウクライナ代表のアンドリー・シェフチェンコや、元アイルランド代表のリアム・ミラーが憧れの存在でした。でも、彼らがサッカーをしてお金をもらっていることすら分かっていませんでした。

そんな中、小学校6年生のときに、当時の指導者に「プロになることを意識しろ」と言われて。そこで初めて、彼らが「プロ」だということを理解しました。そこからは、プロのサッカー選手に「なりたい」ではなく、プロのサッカー選手に「なる」ことを意識して、毎日サッカーをするようになりましたね。

奥井 プロサッカー選手としての中長期的なキャリアを考え始めたきっかけはありますか。

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Toshiaki Usami
対談時の田中碧選手。

田中 プロ1年目、2年目はほとんど試合に出られず、このままだと自分は引退するな、と思っていました。当時は技術面をどう磨いていくか、ということまでしか考えられなかった。試合に出始めて、いろいろな選手とプレーをしていくにしたがって、自分の考え方やサッカーに対する姿勢も含め、「どうしたらこの世界で生き残っていけるのか」を考えるようになりましたね。

もともと自分は、プロとしてエリートではないという自覚がありました。加えて、当時、僕が所属していた川崎フロンターレは強豪チーム。そんな状況だったので、まずは「3年後には毎試合ベンチにいて、スタメンで試合に出ることを争える立ち位置になる」という目標を立てました。つらい時期もありましたが、3年目では目標を超える結果を出すことができました。

奥井 3年後の目標を決めると、目標達成のために「いつまでに何をすべきか」というところまで分解する必要がありますよね。それについては、どのように考えていたのでしょうか。

田中 1週間や、1カ月で区切って考えるのではなく、「毎日の延長線上に目標がある」と捉えています。「今できていないこと」を一つ一つ確実に改善していけば、いずれ目標にたどり着ける。

仮に今、いい結果が出ていなかったら、過去の自分がさぼっていたからだ、と僕は思ってしまいます。だからこそ、今やれば3年後の自分は幸せになるんだ、と思って必死になることができます。

海外で痛感したメンタルの重要性
体も心も適応する力が必要

奥井 田中選手は、高校1年生の頃から、感じたことや受けたアドバイスを「サッカーノート」に書き留めてきた、と伺いました。なぜ、サッカーノートを書くようになったのでしょうか。

田中 目標って、決めても忘れてしまいますよね。書けば、見返せるし、忘れない。

書いた内容を、毎日意識してプレーする。すると、次第に無意識的にできるようになっていく。ただ、ほかにできないことが出てきてそちらに意識がいきすぎると、無意識にやっていたことができなくなってしまう。そうなると、振り出しに戻ってまた意識し直してプレーする……ということを繰り返していきます。

試合中に意識し続けてきたことができると、気持ちいいですね。その成功体験が、僕の成長の原動力です。成功体験ができるまでは、まだノートに書いた内容を自分が理解できていないと思っていて。試合で成功するまでは、ひたすら意識して自分のプレーに落とし込む、という作業をし続けなければいけません。

奥井 サッカーノートに書いてある内容は、抽象的なものから具体的なものまで、多岐にわたっているようですね。

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田中 サッカーノートに書く内容は、主に2種類。メンタル的なことと、技術・戦術的なこと。僕は、結局のところメンタルが一番大事だと思っています。だから、8~9割はメンタルに関する内容です。

メンタルが大事だということを理解していたつもりでしたが、その重要性を痛感したのは、特に海外に行ってからです。海外では、助けてくれる人は誰一人いない。そういう状況でも、自分としっかり向き合って、自分を向上し続けることが求められます。それをできる人ほど、プロとして抜きんでているのだな、と感じました。

環境の変化に順応する力が、日本人は大いに低いのかなと感じます。日本は治安もいいですし、便利できれいな国です。でも、海一つ渡ってみて、それがとても恵まれた環境だということを痛感した。自分自身の体はもちろんのこと、海外のタフさにいかに心をフィットさせるかがとても重要だと思いました。

奥井 サッカー選手の海外進出とは異なりますが、ビジネスパーソンの中にも転職して違う会社に行くとなると、新しい職場の環境などにフィット感がなく苦労する方がいらっしゃいます。田中選手の場合、どうやってタフさを身に付けていったのでしょうか。

田中 結局、その環境で生き残りたいのなら、適応するしかない。サッカーの場合、もしそこで活躍したいなら、それは受け入れるしかないなと思っています。もちろん全てに適応する必要はないのですが、何を受け入れるべきか判断することが大事だと思います。

やっぱり「海外には早く行った方がいい」
と感じたワケ

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Toshiaki Usami
対談時の奥井亮氏。

奥井 人それぞれだとは思いますが、海外に進出するタイミングについてはどのようにお考えですか。もっと早く行った方がよかったとか、ちょうどよいタイミングで海外に行けたなど、ご自身の経験を踏まえて教えていただけますか。

田中 2021年、22歳のときにドイツに渡りました。僕にとっては、それがちょうどいいタイミングだったと思っています。ただ、仮に自分より若い世代に海外に行くタイミングについてアドバイスをする機会があれば、早く行った方がいい、と言います。

今まで「早く海外に行った方がいい」という言葉はよく耳にしていましたが、実際に行ってみて、たしかにその通りだと感じました。 

日本人の中でサッカーをするのと、海外でいろいろな国籍の人に交ざってサッカーをするのとでは全然違います。日本人は、育っている環境が似ているのでフィーリングが合うんです。海外に行くと、海外の選手とのフィーリングが合うか合わないか、というのは大きな問題になります。若いうちに、彼らのフィーリングを知っておくと、大きな抵抗を感じることもなく海外のチームに溶け込めるようになると思います。これは、海外で活躍する上で大きな強みになります。

奥井 海外に行って、メンタル面で一番つらかったこと、それをどのようにして乗り越えたのか、教えてください。

田中 サッカーに限らず、どんな職業でも競争があると思います。僕より若いのに、より高いレベルでプレーしている人もいれば、そうでない人もいる。でも、皆、目指すところはだいたい同じです。「このリーグでプレーする」とか、「国の代表で活躍する」とか。そこに到達するスピードが、人それぞれ違うだけ。

僕自身は、そのスピードが遅い方だと自覚しています。僕よりレベルの高いチームで活躍している人、すごい結果を残している人はたくさんいます。でも、あまりそれを気にかけることはないです。自分のペースでやっていけば、いつか彼らに追いつける、目標にたどり着くスピードが遅いタイプの人間なんだ、と思っている。なので、メンタル的な焦りを感じないですね。それは、自分の強みだと思います。

僕の前には常にすごい人たちがたくさんいて、僕は彼らを追い続けてきました。楽ではないし、簡単なことではありません。でも、僕にとってはそれがちょうどよかったのだと思います。加えて、僕は自分でも嫌になるくらい、完璧主義なんです。どんなに活躍しても、いい試合をしても、うれしいときはほとんどない。「うれしい」と思えるようになるまで、反省ばかりしてしまいます。

焦ることなく、続けた結果が今の自分なのだと思います。

奥井 日本では大学進学率が50%を超えており、多くの人が22歳を過ぎてから社会人になります。そんな中、田中選手は高校を卒業してすぐにプロサッカー選手になりました。18歳で実力主義のプロサッカーの世界飛び込むことに、恐怖はなかったのでしょうか。

田中 もちろんありました。自分の実力では通用しないだろうな、と。プロになったときは、「よし、プロサッカー選手として、やってやろう」というよりも、「やばい、やらなきゃ」という気持ちの方が強かったです。

プロになった時点で、「プロサッカー選手になること」は夢ではなく、通過点の一つになります。プロの世界でどうやって生き残っていくか、ということばかり考えていました。

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Martin Rose//Getty Images
ドイツのブンデスリーガ2部のチーム「フォルトゥナ・デュッセルドルフ」に所属する田中碧選手は、2022年7月16日(土)の開幕節マクデブルグ戦でトップ下の近い位置でフル出場。攻守において大きな存在感を示し、マン・オブ・ザ・マッチ(MOM)に輝いた。

後編(2022年9月11日公開)につづく…

田中 碧
たなか・あお/プロサッカー選手。日本代表。1998年、神奈川県生まれ。小学3年生から川崎フロンターレの下部組織でプレーし、2017年にトップチームに加入。20年には自身初となるベストイレブンに選出。21年6月、独ブンデスリーガ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフに移籍。ポジションはミッドフィールダー。

奥井 亮

おくい・りょう/株式会社アサイン取締役。総合系コンサルティングファームに入社し、大手金融・流通業界をクライアントに、ITから戦略案件まで幅広く経験。その後、マーケティング支援企業を経て、株式会社アサインを共同設立。2021年ビズリーチ「ヘッドハンター・オブ・ザ・イヤー」受賞。一人一人の価値観からキャリアを描くことを重視し、伴走型のキャリア支援を行う。
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