salvador allende of chile
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選挙運動中のサルバドール・アジェンデ。1970年撮影

第四章 ペドファイルの楽園、最大の危機に武装化を果たす

1970年、ようやく少年たちが解放されるチャンスがやってくる。1952年、58年そして1964年の大統領選に出馬しながらも敗れていたサルバドール・アジェンデが大統領となって、社会主義政権の誕生を目指していた。世界的なコミュニズムの流れが、チリにも押し寄せていたのだ。

1970年9月の選挙前、アジェンデはその選挙に向けて大地主による徴収や搾取を批判。すると、社会主義のため立ち上がった国民は実力行使も辞さず、コロニアの周辺地域の農民たちも左派となって地主制度の解体に立ち上がっていた。その対象には、異様なほどの土地と多大な資金を持つ教団も含まれていたのだ。そして、膨らみすぎた資産で目を付けられた彼らには、財務上の嫌疑もかけられることになる。つまり、違法な金もうけにメスが入りそうになったのである。

これに対し教団は、地主たちと結託することを決める。必死に地主解体の流れに抵抗する右派の地主たちは、政権中枢にまで入り込む人脈をもち、国民的知名度と信者数を誇る教団に成長していたコロニア・ディグニダに息子たちを預けることまでした。そしてシェーファーはチリのキリスト教民主義団体も巻き込み、農民たちと交渉させる。信心深さに付けこんだのだ。

「子どもと女たちを守れ」

この号令の下、教団は武装化。このときも、大きな役割を果たしたのは女性たちだった。よく働く強制労働者としての女性たちは、建設された監視塔での仕事を担当。コロニア周辺の監視を担った。 

コロニア・ディグニダ 小児性犯罪者が作り上げた楽園
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サンティアゴの通りを監視するチリ軍。1970年代

しかし、そんな保守派の抵抗もむなしく、1970年9月にアジェンデ政権は成立したのだ。ならばなぜ、コロニア・ディグニダは解体を免れたのか? それには政権転覆をもくろむ右派、そしてアメリカ合衆国が影響している。 

1971年、チリの国粋主義団体PyL(民間の右翼団体Frente Nacionalista Patria y Libertad=祖国と自由・民族戦線)がシェーファーのもとを訪れる。教団はPyLが必要としていた武器大量輸入の「隠れ蓑(みの)」として協力を決定した。慈善団体のコンテナ輸入に規制が及ばないことを利用したものだ。が、この動きを気づいていたにもかかわらず、当局は無視。軍部はアジェンデ政権の転覆を狙っており、税関も武器輸入を見過ごしたのだ。そうして小銃から爆弾までが納められ、「慈善団体」の皮をかぶったコロニア・ディグニダは武器倉庫と化し、農機具も自作していた信者たちは輸入した武器をコピーし、武器を製作。信者全員が武装化していった。

こうして翌年PyLは、都市部で内戦を引き起こす。新たな混乱状態がチリに生まれた。シェーファーが大好きな混乱状態が…。 

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クーデター直前、陸軍総司令官となったピノチェト。1973年8月撮影

クーデターの成功。ピノチェト政権樹立へ

その頃、教団内部では「おとなしくしていた女性が出世する」仕組みが生まれていた。病院は出世先だった。その病院で、シェーファーがしていたこと。それは、反抗した少年たちの拷問だった。以前、脱走少年に施したノウハウと同じく、薬物を利用したもの。実行していたのは「出世」した女性たちだった。少年のペニスに電極を当てる拷問もあった。中には12,3歳の子どももいたという。彼女たちは、少年たちの変わり果てた姿を目にしても、その行為を止められなかった。なぜなら病院に送り込まれる女性たちは、独裁者に逆らわず、おとなしく、まっすぐ出世してきた人物たちだったからだ。

教団がクーデター計画の基地になると同時に、この拷問部屋は、左派政権に味方するジャーナリストや活動家を送り込む秘密の部屋にもなった。教団の支援を得た海軍は市民インフラを破壊。これにはアメリカの支援もあったと疑われている。

1973年9月、アジェンデから対海軍組織の司令官に任命されていたピノチェトが突如寝返る。入念に仕組まれたこの事態も、アジェンデ政権には寝耳に水。こうして右派のクーデターは成功した。アジェンデは最後まで投降せず、政府機関は空爆され、「自殺」と発表された(※)。

こうしてアジェンデの就任からピノチェトのクーデターまで、3年の闘いを経て、コロニアは再び平和な状態を取り戻した一方、反転攻勢に出た教団は取引で得た武器を使用し、軍隊と一緒になって周囲の農民を迫害・銃撃する。 

※2011年7月19日にチリの司法当局が、アジェンデの死が自殺だったことを確定したと発表している。 

>第5回へ続く

コロニア・ディグニダ 小児性犯罪者が作り上げた楽園
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アジェンデ大統領、死亡の現場とされる画像。

Resarch: Miyuki Hosoya

【参考資料】

“The Torture Colony” The American Scholar, PHI BETA KAPPA by Bruce Falconer | September 1, 2008

Claudio R. Salinas, Hans Stange: Los amigos del „Dr.“ Schäfer: la complicidad entre el estado Chileno y Colonia Dignidad, Debate 2006, S. 51.
 
“German court rules Chile sect doctor should be jailed”
REUTER, Aug 16, 2017

20世紀最後の真実』落合信彦著(集英社刊) 初版:1980.10

"La mort au Chili de l'ex-nazi et pédophile Paul Schaefer" La Nouvel Obs by Cristina L'Homme, July 24, 2017

Colonia Dignidad: Eine deutsche Sekte in Chile(邦題:コロニア・ディグニダ: チリに隠された洗脳と拷問の楽園)』(2021)

Im Paradies』(2020)