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エルヴィスを世間体のいい上品な人物に見せようとする試みは、お人好しではあるものの、粗野なメンフィスの若者たちにとってはとても不愉快なものでした。サリバンと視聴率を争っていたスティーブ・アレンは、エルヴィスを番組に出演させながらも観客に、「クリーンな家族向けのエンターテイメントしか見せない」と断言しました。するとエルヴィスはギターを持たず、燕尾服に白いネクタイ、シルクハットにステッキという姿で登場しました。その直後、フィリップスのところにエルヴィスから電話がかかってきました。フィリップスは受話器を取り、「もしもし」と言う代わりに「なんだい、ろくでなし」と答えました。

すると、「どうして俺だってわかった?」とエルヴィスは電話口で尋ねてくるも、フィリップスこう答えたそうです。「きちんと話したほうがいいな。そんな燕尾服を着て、何をやってるんだ? ギターはどこにやったんだ?」

1956年7月4日、次に故郷で開催されたチャリティショーに出演したとき、エルヴィスは観客たちを安心させました。ボブ・モリスとアーロン・ブルーシュタインのオーケストラや海軍のメンフィス音楽隊、理容師たちが結成したコンフェデレーションズという名のカルテット、シャーロット・モーガンのダンス・ディキシー・ドールズら100人以上が出演し、ファット・ガールズ・アノニマス(※)の創設者ヘレン・パトナムはエルヴィスに『A Good Man Is Hard To Find』という曲を捧げます。そしてエルヴィスの出番は、いちばん最後でした。

※1953年に設立された体重過多の女性たちのための自助グループ

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母グラディス、父ヴァーノンと。1958年撮影

3時間近く経ち、観客たちが宗教的な超常体験をしそうなくらい退屈している中、司会のデューイ・フィリップスは「さあ、彼の登場だ」と言いました。彼は前髪を額に垂らしガムを口に入れたまま、そこに立っていました。黒いスーツにシャツ、靴に赤いネクタイとソックスを合わせた姿はとても優美かつ派手で、下品とはまた異なるファッションのカテゴリーが生まれていました。

そして彼は、『That's All Right』『Blue Suede Shoes』から『Heartbreak Hotel』まで古い曲を古いスタイルで汗が流れるまで歌い続けました。そして最後に彼は、「心配しないでくれ、ニューヨークとハリウッドの連中は俺のことを変えてはいない」と言いました。この言葉は友人への約束であり、彼の敵たちへの反抗心でもあったのです。

そして彼はその反抗の証として、『Hound Dog』を始めました。あの唸るような声で、「You ain’t nothin’ but a houn’dog,(別に大したやつじゃない)」と歌いながらマイクとセックスしたのです。「They told me you was high-class/Well, that was just a lie(いいところの出だってみんなは言ったけど/そんなのただの嘘さ)」と…。

もし警官が彼の周りに青い壁をつくっていなかったら、観客はエルヴィスの身体を聖体拝領(聖餐において、キリストの身体と血の代わりとされるパンとぶどう酒を信者たちが次々に口にしていくこと)のように食べ尽くしていたかもしれません。観客はエルヴィスのものであり、エルヴィスは観客のものであり、彼らの先導者でした。それは光り輝くような、強烈な瞬間でもあったのです。

そして同時に、その瞬間が最高潮でした。彼がそこで天敵である権力や名声、金持ちたちへの反抗を歌ったとき、ヒュームス高校の「不良」もバイク乗りも消え、その代わりに権力と名声、金を手にしたスターが現れたのです。それから数カ月後のある日の午後3時、彼がお付きの人たちと一緒にメンフィスのメインストリートにあるストランドシアターの前に立っていると、あてどなく車を走らせていた高校生の同級生カップルが通りがかります。エルヴィスだとわかると2人は、何も言わずに走り去りました。エルヴィスはそれを見て、「数年前なら彼らは俺に声をかけただろう」と言いました。

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結婚式での妻プリシラとエルヴィス。1967撮影

見て、父さん。もうママがニワトリに餌をやることはないんだ

エルヴィスは、「自分らしくありたい」と常に願っていました。パラマウントが彼にバイクに乗ることを禁じる条項付きの映画契約を持ちかけたとき、彼は「映画なんてつくりたくない」と返事します。するとパラマウント側は、バイクを禁じる条項を外します。エルヴィスにとって本当に必要なことは、人にやらされるのでなく、自分のやりたいことをすることでした。エルヴィス自身がやりたいこととは、曲で言うなら『Mystery Train』『Milkcow Blues Boogie』であり、映画会社はメディアがやらせたいことは『Love Me Tender』Loving You』『Jailhouse Rock』『King Creole』でした。

その後、1958年1月にエルヴィスは徴兵されます。陸軍は彼の髪を切り、派手な服を取り上げてしまいました。そこでエルヴィスは、それに従ったのです。祖国はそれまで彼に尽くしてくれたので、彼も喜んで祖国に仕えたのでした。彼はとても公平な人間だったのです。

テキサス州フォートフッドに駐屯している間、エルヴィスは近くの街キリーンに家を借り、両親を呼び寄せました。その1年以上前から具合が悪かった母親の体調がさらに悪化したため、1958年8月8日にエルヴィスは母を電車でメンフィスのメソジスト病院に送りました。予後が芳しくなかったことからエルヴィスは特別休暇を申請しました。

ですが、申請は却下されます。するとエルヴィスに医師に、「母親の病気が深刻なものであることを指揮官に伝えてくれ」と頼みます。すると指揮官は、「他の人だったら何の問題もない。普通の手続きだ。でもエルヴィスを行かせたら、みんなが特別扱いだと言い出すだろう」と答えました。

日が経つにつれて、グラディスはどんどん悪化していきました。エルヴィスや医師が何度催促しても、休暇は認められませんでした。そうして8月12日の朝、もう十分だと思ったエルヴィスは「もし今日の午後2時までに許可が降りなければ、今夜ここを脱出して家に帰る」と医師に告げました。

無許可の帰宅は軍律違反です。医師たちは、「他の何百万人もの若者たちの手本であることを忘れてはいけない」とエルヴィスを説得しましたが、彼はもう決めていました。ヒュームス高校の少年はそこまで思い詰め、医師たちにできるのはエルヴィスの計画を軍の司令部に進言することだけでした。

当然これで、問題は解決しました。軍隊はそこまで愚かではありません。エルヴィスには他のアメリカ人の若者と同じく、親の死に目に会う権利があるのですから…。

メンフィスに戻ったエルヴィスは、病院の前に集まった報道陣の群れをかき分けて進みました。母親の病室にいたのは数分でした。彼は部屋を出ると廊下を歩き、誰もいない待合室まで行くと椅子に座り泣きました。

母親は「貧しい田舎の生まれでも、人並みに生きていける」ということを、生涯を通じて彼に言い続けたおそらく唯一の人でした。彼の成功を母親は驚くこともなければ、変えようともしませんでした。

そうしてグラディスが埋葬された直後、エルヴィスはグレイスランドの壮大な正面階段に立ち、母親が10万ドルの邸宅の芝生で飼っていたニワトリを指差すと、一緒にいた父親に泣きながら言いました。「見て父さん。もう母さんがニワトリに餌をやることはないんだ」。

そんなエルヴィスが、本当の意味で母親の死を乗り越えたことはその後もありませんでした。仕事場でもあったグレイスランドのオフィスには、家族で過ごした最後のクリスマスの記念として、ライトアップされ完全に飾り付けられた人工のツリーが置かれていました。このツリーは彼がドイツに駐留している間、スタッフたちが手入れをしていました。

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エルヴィスとプリシラ、娘のリサ・マリー。1968年2月撮影

彼はドイツが好きでした。父のヴァーノンがドイツで2人目の妻を見つけたように、エルヴィスもここで妻と出会います。兵役を終えたとき、彼は軍曹になっていました。そして軍隊での経験を丸ごとフィクションとして描いた映画『G.I. Blues(G.I.ブルース)』は、何百万ドルもの利益を生み出しました。

するとこれに続いて、たくさんの映画がつくられました。『Flaming Star(燃える平原児)』『Wild in the Country(嵐の季節)』『Blue Hawaii(ブルー・ハワイ)』『Girls! Girls! Girls!(ガール! ガール! ガール!)』『Kid Galahad(恋のKOパンチ)』『Follow That Dream(夢の渚)』『It Happened at the World’s Fair(ヤング・ヤング・パレード)』『Fun in Acapulco(アカプルコの海)』『Viva Las Vegas(ラスベガス万才)』『Kissin’ Cousins(キッスン・カズン)』『Roustabout(青春カーニバル)』『Girl Happy(フロリダ万才)』『Tickle Me(いかすぜ! この恋)』『Harem Scarem(ハレム万才)』『Frankie and Johnny(フランキー and ジョニー)』『Paradise Hawaiian Style(ハワイアン・パラダイス)』『Spinout(カリフォルニア万才)』『Easy Come, Easy Go(ゴー! ゴー! ゴー!』『Double Trouble(ダブル・トラブル)』『Speedway(スピードウェイ)』『Clambake(ブルー・マイアミ)』などなど、挙げたらきりがありません。これらの映画には2つの共通点があります。1つはどれも映画会社を損させなかったこと。そしてもう1つは、現実に即していないことです。

とは言っても、それは正確な表現ではありません。これらの作品は、ある1つの現実も映し出しているのです。『アカプルコの海』では、エルヴィスが扮する主人公マイクが綺麗な歯をしたメキシコ人ばかりのバーに入ってくるシーンがあります。

そのバーでは、(メキシコの音楽)マリアッチのバンドが演奏していて、マイクはコーラスに加わり歌い上げます。すると、周りから拍手喝采を浴びます。男たちは微笑み、女性たちは彼に夢中になるというわけです。そして皆、彼の心の友として信じているのです。そしてある者たちは、また彼が模型飛行機を持ち出しては、みんなを庭の芝生に連れ出してくれるだろうと期待しているのです。


エルヴィスはアメリカンドリームそのもの

こうしてエルヴィスという男は、アメリカンドリームを実現したのです。彼は若く裕福でみんなの憧れの的となりました。メンフィスでは、彼にちなんだ名前をつけたいと願う政治家が後を絶ちません。今のところ、彼にとってそれ以上の名誉はないかもしれません。エルヴィスは、彼の故郷と国が真に誇れる若者になったのです。

エルヴィスが、昔の自分を恋しく思っているのかどうかはわかりません。グレイスランドの真っ白なリビングルームを抜け、金色のグランドピアノを通り過ぎると、そこにはプールに面したドアがあります。もしも午後、そこに立ったとしたなら、エルヴィスがプールの周りをバイクで走っているところを目にしたことでしょう。いつもは人に囲まれている彼が、1人で何度も何度も回っているのを…。

From Esquire US
Translation/Yoko Nagasaka