新作ドラマ「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~」をつくり終えたルル・ワン監督にまず、最初に尋ねた質問--それは、「香港を舞台とする同作を説明するなら、どう表現しますか?」ということ。中国生まれのアメリカ人映画監督であるワンは、「あら、そんな質問されたことはないわ。そろそろ考えないといけないわね」と不安げに笑いながらも、すぐにこう答えました。
「このドラマは、さまざまな視点が交差する作品だと思ってます。このドラマは時間軸と視点軸で行き来しながら、同じストーリーの中に展開するさまざまなキャラクターの側面を見せたかったんです」
このインタビューを通して学んだことですが、これは典型的なワンの反応と言えます。時には面白く、時には真摯な姿勢を見せながら、彼女は常に考え抜かれた返答を用意していました。
その素早い思考は、ひねりの効いたスリラーであり家族ドラマでもある。そして、そこに社会政治的なコメントも添えるというもの――本作の監督を務める際に特に役立ったことでしょう。それは、意欲的でもあります。
全6話からなる本ドラマは、ジャニス・Y・K・リーが2016年に発表した小説『The Expatriates』を原作にしています。ニコール・キッドマンがその映画化権を購入し、ワン監督に話を持ちかけました。そして監督はすぐにその原作を気に入ったそうですが、映画化することには多少疑問を抱いたそうです。
なぜならその当時、シンガポールのエリートの世界を舞台にしたラブコメ映画『クレイジー・リッチ!』が公開されたばかり。
「2010年代後半はみんな、富の世界を見ることに夢中でした。カーダシアン一家や『クレイジー・リッチ!』、リアリティ番組「きらめく帝国 〜超リッチなアジア系セレブたち〜」も大ウケしていましたよね。だから私たちは、それを描写する一方で、それを祝福しているわけではないことを示したかったのです」
ワンはここで、舞台が「雨傘革命」*¹が勃発する前の2014年であることから、香港の政治的背景を織り交ぜようとしたいたのです。幸運なことに、このドラマの主役でもあるキッドマンも、「そうしたさまざまな視点を織り交ぜることに前向きでした」 と振り返ります。
キッドマン演じるマーガレットは、夫のクラーク(ブライアン・ティー)と裕福な生活をおくるアメリカ人女性駐在員。ですが、末子が行方不明になったことで夫婦は破局を迎えることになります。韓国系アメリカ人、ス・ジヨンが子どもが行方不明になったときに一緒にいた乳母マーシーを演じ、マーガレットの友人ヒラリーをサラユー・ブルーが熱演し、ジャック・ヒューストン扮するイギリス人男性デヴィッドとの結婚が不倫によって危うくなっていきます…。
この物語のキーとなる3人の女性の共通点は、異国で育ち、それぞれの事情で香港に住んでいるというところにあります。そうしてそれぞれの視点は交差していくのです。
同作はキッドマンの出演した「ビッグ・リトル・ライズ」や、「メディア王~華麗なる一族~」といった評価の高い人気作品との類似点も見られます。それは、一見華やかに見える生活を掘り下げると、次第に不穏なムードが漂ってくるところです。
ワン監督は中国の外交官の父と編集者の母の間に、北京で生まれました。1989年の天安門事件の後、一家はマイアミに移住。その当時監督は6歳でした。その後、ボストン大学で英語を専攻し、次に映画コースを受講したそうです。
そんなワンがブレイクのきっかけになったのは、2019年に発表した長編2作目の映画『フェアウェル』(日本では2020年公開)を手掛けたとき。主人公はオークワフィナ演じる、先の見えない生活をおくるニューヨーカー。彼女が死期の迫った祖母に会うため、中国を訪ねて文化の違いにとまどう顛末(てんまつ)を描いた物語で、切なくありながらも心温まる作品です。
私生活では、映画『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督とパートナー関係です。そんな2人は共に、ハリウッドでも新しい視点を持った存在として認められています。このようにアメリカで成功を収めている一方で、彼女は自分の中に流れる中国の歴史を、自身おざなりにしていることに反省もしているようです。
「アメリカの歴史の教科書で天安門事件を学ぶことはなかったし、中国でもあの事件が授業で取り上げられることはありませんでした。私の人生において、それは認識されていなかったのです。毎年、この事件の記念式典が行われる香港に以前行ったとき、とても感動しました。香港で、自分の歴史が守られていることを目の当たりにしたからです」。
本ドラマの制作にあたっては、不適当な単語が出ればそれを指摘する監修役を務める翻訳者はもちろん、どの登場人物がどのエリアに住んでいるかを想定してアドバイスをする脚本コーディネーターなどなど、正当なリアル感を追求するためコンサルタントチームも加わわっています。
ワン監督はこれも含め、「本当に大きな仕事でした」と振り返ります。そして香港は長年混乱が続いている地域であるため、この地を舞台にしたドラマにはたくさんの質問が寄せられることになるでしょう。
「私はストーリーテラーとしてそのような世界の人々を表現し、そんな彼ら彼女らの視野へと多くの人々引き込むためにベストを尽くすだけです。でも結局のところ、1つの物語で全ての人、全てのことは表現はできませんが…」。
同作ではちょっとした情景の演出によって、その時と場所を印象づけます。
マーガレットとクラークの家で働く家政婦の視点で描かれるあるエピソードは、メイドたちがケイティ・ペリーの『Roar』を歌うシーンから始まったり、2人の友人がレストランで会うシーンにはネオンや小さなコーヒーショップ、降りしきる雨といった、多くの人が心に描く香港のイメージを想起させたりしています。
ですが、それらの港のイメージは、もうすぐ別の時代の話になるかもしれません。ワンがお気に入りの店を褒めたときに、そこのオーナーはこう返事したそうです。
「Hong Kong is dying(香港は死にかけている)」と。
この言葉は、ドラマの中でレストランのウェイターのセリフとしてそのまま引用されています。
最初の話題、“底知れぬ富裕層の生活”に話を戻しましょう。
ワン監督は映画『クレイジー・リッチ!』をどう見ているのでしょうか。映画は一部から、「物質主義とけばけばしいまでの過剰さを何も考えずに受け入れている」と批判もされています。
「すばらしい表現とも言えます」と前置きをして、その代償もあることを確認しようとたずねると…。「そんなことを聞かないでください。複雑すぎる。議論すればとても長くなるでしょう」とワンは答えます。と言いつつも、この大ヒット作についてこうコメントしてくれました。
「私はアジア系の人々や、これまでスクリーンで表現されることのなかったさまざまな人たちが、多様な映画づくりに携われる時代に生きていることをとてもうれしく思っています。『クレイジー・リッチ!』をつくることもできれば、『ミナリ』や「BEEF/ビーフ」もつくることだってできるのですから。それは私たちにとって必要なことと思いまし、もっと多様に描かれてもいいことだと思っています」。
*1: 2014年9月26日より香港で行われた、香港特別行政区政府に抗議をするデモ活動。英国メディアなどでは、このデモ活動を「Umbrella Revolution(雨傘革命)」および「Umbrella Movement(雨傘運動)と名づけて報道していた。The Guardiansの2014年9月30日公開の記事を参照
Amazon Original『エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』(全6話)Prime Videoで独占配信中
香港に住む人々の複雑な状況を背景に、多くの側面を持つ女性たちを描くドラマ。偶然の出会いが人生を一変させる出来事を引き起こし、犯した過ちと責任のはざまで誰もが複雑なバランスを取りながら前へ進んでいくこととなる。