初代ジェームズ・ボンド役ショーン・コネリーが、バハマの自宅で永遠の眠りについたことを2020年10月31日(土)、家族によって明かされました。享年90歳です。

 今回は、故ショーン・コネリーの追悼の意も込めて、そして2021年4月2日(金)公開予定となったジェームズ・ボンドのシリーズ25作目『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を待ちわびながら、「なぜ、ジェームズ・ボンドの人気が衰えないのか?」について、「エスクァイア」スペイン版編集部ラファエル・ガランと一緒に考察していきます。

◇ジェームズ・ボンドには賞味期限がない

 まず第一に言えるのは、各ジェームズ・ボンドは自身が存在している時代時代の環境にそれぞれ適応できるという天性の能力があることです。つまり、時間と空間を超越した存在になっているということになります。

 この観点から見れば実に単純な話で、だから彼には賞味期限がないわけです。

 ショーン・コネリーが演じた1962年公開の『ドクター・ノオ』におけるジェームズ・ボンドは、冒険者でありスタイリッシュですべてを備えたキザなスパイでした。が、結局のところは、彼は古い意味での冒険者だったのです。それが当時の好みだったというわけです。

 一方、ロジャー・ムーアが演じたジェームズ・ボンドはどうでしょう? これは典型的なブラックス プロイテーション(=黒人の観客をターゲットにして製作された、黒人が活躍するアクション映画であり、1970年代前半に量産されています。のちに、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ監督、スパイク・リー監督、ジョン・シングルトン監督が頭角を現してくることに…)である、1971年に公開されたアメリカのアクション映画『黒いジャガー』の主人公シャフトの白人版と言えるのです。この映画は、 犯罪の多発するニューヨークを舞台に、黒人私立探偵ジョン・シャフトが活躍する物語です。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Isaac Hayes 映画「黒いジャガー」 Theme from SHAFT
Isaac Hayes  映画「黒いジャガー」 Theme from SHAFT thumnail
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 そしてダニエル・クレイグです。彼の時代のジェームズ・ボンドはどれも、いかにも現代的なタイプと言っていいでしょう。パーフェクトではないスーパーヒーローであり、『スーパーマン』というよりはむしろ、(マーベル・コミックの主人公には苦悩するヒーローが多いため)マーベル・コミックのコンセプトに近いものになっていると思います。

 ここでボンドは、ようやく自身が不死身の存在ではなく、能力に限界のある人間だということを悟ったというわけです。『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のあと、誰がジェームズ・ボンドの役を引き継ぐにしろ——それが男性であれ女性であれ——きっと、また新しいジェームズ・ボンドのスタイル、そして内面が創出されることでしょう。

◇ポスト・コロナの時代に合った新しいジェームズ・ボンド像が必要

 実際、これまでのジェームズ・ボンドを定義するなら、「常に新しいジェームズ・ボンドであり続けることがジェームズ・ボンドである」、とするのが一番でしょう。同じボンドというブランド名でも、そこには変化を受け入れるだけの許容力があるわけです。その懐の深さが大いなる魅力となって、作品が放つ行き過ぎとも言えるバイオレンス性(時代が進むにつれて暴力的な行為がどれほど増えているかを分析した研究もあります)や、過去のボンドが持っていた否定しがたい女性差別性を超越しながらも、そのキャラクターが魅力を保ち続けることができる要因となっているのです。

 というわけで、今後の“新しいジェームズ・ボンド像”は、#MeToo運動による自己変革を行い、さらにはポスト・コロナの時代にふさわしい存在にならなければいけないわけです。

 ですが、それは決して、“ボンドという人物の本質が存在しない”というわけではありません。実は、単にパッとしない普通のスパイというのが、ジェームズ・ボンドという男の本質かもしれません。

トム・クルーズが演じるイーサン・ハント(『ミッション・インポッシブル』シリーズで演じたキャラクター)
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トム・クルーズ演じる『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハント

 第二に(これは第一で述べたことの追記に近いですが)ジェームズ・ボンドは、トム・クルーズが演じるイーサン・ハント(『ミッション・インポッシブル』シリーズで演じたキャラクター)のようなスーパースパイではないということです。

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◇ジェームズ・ボンドは完璧なヒーローでは“ない”

 ジェームズ・ボンドの見た目は、自信たっぷりな男です。そんなところに、多くの人々は惹きつけられるわけです。しかしながら内側から見たボンドとなると、混乱に満ちた男でもありました。実はそれは、昔からずっとそうでした。もともとボンドのキャラクター設定は、そんな男だったというわけです。

 007シリーズの作者イアン・フレミングは、『サンダーボール作戦』の冒頭で、「いわゆる“いすか”の嘴(はし)のくいちがい、ジェイムズ・ボンドにとって、することなすこと裏目裏目と出るような日の一日」と、書いています。

 ちなみに、「いすかの嘴のくいちがい」とは、「いすか」という雀(スズメ)よりも少し大きい鳥がいて、そのくちばしの先が食い違っているところから、物事に齟齬(そご)が生じて思うように事が進まないことの例えになります。

 思うように事が進まない——つまり、これがジェームズ・ボンドの本質なのです。

 「まず何よりも、ボンドは自分自身が恥ずかしかった——これは、彼としては珍しい心理状態だった。二日酔いの、それもひどいやつで、頭は痛いし節々がこわばっている。咳をすると——たばこの喫いすぎが飲みすぎに重なって二日酔いを二重にしているのだが——池の水のアミーバーみたいに、小さな黒く光る斑点がわやわやと視野のなかにわきあがってくる」(『サンダーボール作戦』井上一夫訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)と、続けて書かれています。

 すると、Mから電話がかかってきて、彼はオフィスに出かけなくてはならなくなります。オフィスで聞かされたのは、健康状態がよくないという診断結果。こんな不快な人生では、よくあることではないでしょうか。そんなわけで、彼は完璧なヒーローなんかではありません。われわれが自分の姿を投影するに値する人物でもなければ、ロールモデルにすべき人間でもないのです。

 つまり、彼に憧れを抱いている方たちは皆、彼のほんの一面しか見ていないと言いたいわけです。

 実際にジェームズ・ボンドのいいところは、例えヒーローになれる能力が備わっていたとしても、決してヒーローになろうとしないところにあります(彼は、別の人間に変身する訓練を積んだキングスマンではない。ものすごいことをやってのけるために、別の人間に変身する必要もない人間なのです)。そこには、われわれが現実から逃避できる世界が広がっています。われわれは、すんなりと(いつの間にか)共感を抱くこととなり、自分自身をその映画の中に投影してしまうのです。そう、われわれも完璧ではありません。ですが、適度なスリルを求める性分ですので。 

◇甘美な二面性を想起させるジェームズ・ボンド

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MANCHESTER DAILY EXPRESS

 そして第三として、われわれの脳裏に甘美な二面性を想起させてくれる点が挙げられます。

 「何より、ボンドは同一化を喚起する存在であり、また喚起しない存在である。極めてヒロイックかつ救済的なので、単純な同一化をただちに喚起する。さらに、彼のヒロイズムには情緒的で“普通な”ところ、即ち、秩序と親しみやすさがあるのだ。ところが、観客が個人的に受け入れるような同一化となると、そう簡単にはいかない。なぜなら、もっとわかりにくくて不吉な魅力をこの人物が発しているからである。それを支えているのは、分け隔てなく発揮される腕力やシニカルな無関心さであって、それはサディスティックなニヒリズムに近い。その意味では、観客はそれでもやはりボンドのようになりたいと思ってはいるのだが、それはもっと深い、拒絶し、恐れ、認めたくないレベルにおいてなのだ。国を救い、敵のスパイを叩きのめし、虐げられた人々を救いたいと思わない人がいるだろうか? 答えは明白だ。心の中で考えるのは実に簡単なことである」

…と、イタリアの哲学者ファウスト・アントニーニは『Proceso a James Bond : análisis de un mito』中で説明しています。これはひとつの神話を分析したもので、この半世紀の間に書かれた中でも、ジェームズ・ボンドというキャラクターに関する最も的確な分析のひとつになります。

 また、心の奥深いところで人を殺す許可を得たり、出会った女性を——あるいは男性を——すべて手に入れたり、シニカルで尊大な態度を取ったり、大空を横切ってすべてを明るく照らした後で目も眩(くら)むような不吉で暴力的な光を放って消えていく流星のような人生をおくりたいと願わない人がいるでしょうか? 

 ですが、心の中で願うだけなら簡単かもしれませんが、それを公言するのはなかなか難しいことです。そこがこのキャラクターの悪い部分であって、それは覆い隠さなければならないことなので、誰でも人前では否定します(ジェームズ・ボンドが女性差別主義者であることを指摘した記事がありましたが、ボンドの映画を観たり小説を読んだりしているときは、現実から切り離された状態にあるのです)。

 意識された人格と無意識の人格、ある部分は抑制し、ある部分は受け入れることを、このキャラクターは等しく求めてくるのです。決して成功しすぎることのない、この完璧に善玉ヒーローは。 

◇ジェームズ・ボンドを殺したい(!?)作者イアン・フレミング

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BOB HASWELL

 およそ60年前、フレミングは大事なことを明かしています。

 「私は、人々がヒーローを求めていると思っている。まあ、私自身はジェームズ・ボンドを厳密にはヒーローだとは思っていないけれど、少なくとも彼は前へ進んでゆき、非常に派手なやり方で自分のやるべき義務を果たして、最終的には大きな落胆のあとで、女性などへとたどり着く。私の本に社会的意味なんてないけれど、一つだけ有害なものがある。私の本は、暴力とセックスが過剰だと見なされているんだ。でも、歴史自体がそういうものに満ちあふれているんだからね」と、フレミングは1962年にピエール・ホテルのロビーで、ハーフドライのマティーニをお代わりしながら、ジャーナリストのジェフリー・T・ヘルマンに語っています。

007シリーズの作者イアン・フレミング,ian lancaster fleming,
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007シリーズの作者イアン・フレミング(Ian Fleming)。

 フレミングはベストセラーの書き手ではなく、一人の作家として真面目に認識されることを願っていました。それを願うあまり、ジェームズ・ボンドを殺してしまうことさえ考えたほどです。

 実際、ニューヨークのピエール・ホテルでヘルマンと会ったとき、彼はボンドの死体を抱えて旅をしていました。ホテルのクローゼットに置き去りにするためではなく、自分がいかに重要な作家で、このキャラクターが自分にとってさして重要ではないことを話し合うために。

 なぜなら、1962年4月にピエール・ホテルのロビーに出向いたとき、すでに彼はボンドを殺していたも同然だったからです。小説の『サンダーボール作戦』の中でボンドは、これが最後の小説になってもおかしくほどの重傷を負いました。しかし、フレミングは別のカタチで、ボンドを終わらせたかったのです。彼はボンドの冒険を、冒険ではない何かに変えようとしました。そして書いたのが、『わたしを愛したスパイ』でした。

 この小説は、都合の悪いときに都合の悪い場所にいた、ひとりの女性の視点で語られています。そして実質的に、すべてが解決して小説が結末に向かう頃に、ボンドが姿を現します。フレミングは、スパイものというジャンルをここでひっくり返してしまいたかったのです。その試みは成功せず、この作品は失敗作に終わりました。こうして再び、彼は出発点に戻っていったのです。

なぜフレミングは、物語上の必要性やキャラクター設定の疲弊があったわけではないのに、ボンドを殺すことまで考えたのでしょうか?

 007シリーズの小説とキャラクターは、雑誌『ニュー・ステイツマン』のある記者が伝えているように、「不快なセックスと低俗さとサディズムの連続」ということで、最初から批判を浴びていました。

 イアン・フレミングの妻が夫の小説のことを、「安っぽいポルノ」と公言するほどでした。当のフレミングまでが、デビュー作の『カジノ・ロワイヤル(1953)』を「ばかばかしい物語」と謳っています。それでも彼の作品はすべて、ベストセラーになったのです、作品の質が玉石混淆(ぎょくせきこんこう:優れたもの、つまらないものが入り混じっている)であるにもかかわらず。

 ここで思い出してください、ジェームズ・ボンドには時間と空間を超越する能力、いつまでも人気が衰えない能力が備わっていることを。

 ジョン・F・ケネディ大統領がボンドの冒険を愛読していることがマスコミで報じられたおかげで(ご承知のように、バラク・オバマは読書の指南役に留まらず、大統領在任中の回想録を出したところです)、フレミングは1960年代にアメリカで犯罪小説のベストセラー作家になりました。 

◇ジェームズ・ボンド、9つの公式とは?

 多くの人々は、ジェームズ・ボンドというブランドにはある種の公式が存在すると信じています。例えば哲学者のウンベルト・エーコは、すべてのボンド物語が機能しているのは、これまでも、そしてこれからも、あるゆるがない公式にのっとっているからだと言っています。

 その公式とは、

  1. Mが登場してボンドに指令を与える。
  2. 悪役が登場して(彼自身か彼の強力な活動が)ボンドの前に立ちはだかる。
  3. ボンドが行動を開始して初めて悪役を確認する、あるいは悪役が初めてボンドを確認する。
  4. 女性が登場する。
  5. ボンドが女性を誘惑しはじめる。
  6. 悪役がボンドを捕らえる(女性の関与があったりなかったり)。
  7. 悪役がボンドを痛めつける(女性がいっしょだったりなかったり)。
  8. ボンドが悪役をやっつける(彼を殺害する、もしくは彼の手下を殺害する、もしくは彼を死へと導く)。
  9. 回復したボンドが女性と楽しみ、当然のごとく、後にその女性を失う。
     

 しかし、実はウンベルト・エーコのこの公式では不十分で、最も重要なものが欠けています。それは、ジェームズ・ボンドは何者かという問いかけです(エーコの擁護ために言っておくと、彼の目的はボンドの心理を論じることではありませんでした。しかし、それがなければ、彼の理論では——どんな理論でも——説得力に欠けることははっきりさせておきたいと思います)。

 「例えシークレット・エージェントと言えども、ボンドは雇われの身である。彼はシニカルで、懐疑的で、何にも惑わされず、学者のように理路整然としてはいるが、最も勤勉な弟子のごとく従順かつ忠実で、与えられたいかなる任務に対しても、反発を見せることはほとんどないのだ。だが、ボンドは同時に、普通の男がずば抜けた能力を授けられたかのような一種の“スーパーマン”でもある。ところが、彼はいつも、そういう人間がいかにもいそうだと思えるくらい、極めて自然に振る舞っているように見えるのである」

 つまり、ボンドは単に自己変革ができるだけではなく、#MeToo運動の前も後も、魅力的な二面性を持った存在であり続けるというわけです。

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GEORGE RINHART
 「当然、精神的に大人で成熟した男であれば、007の冒険に興味を抱かずにはいられないが、操り人形の宗教画から抜け出てきたようなこのキャラクターの子どもっぽい不潔さに対する苦々しい失望だけは、どうしても残ってしまう。しかし、特異な現象であるボンドの成功の中には、万人に共通する嘆願も姿を見せている。それは心を込めて慎重に集められ、耳を傾け、読み取られ、大事に扱われて、決して否定されたり裏切られたりすることはない。それは、危険に晒された自由からの差し迫った嘆願であるがゆえに、生きようとする人間の意志の、深く純粋な表現と同じくらい神聖なものである」

…と、アントニーニは強調しています。

 多くの批評家がソーシャルメディアでボンドの死を主張している現在、ボンドには賞味期限がないことを論じるのは価値のあることでしょう。

 「ジェームズ・ボンドの成功には、抽象的な道徳論を振りかざして攻撃する批評家によって、否定的な結果ももたらされている。例え、成功を敵視する感情を正当化する必要はないにしても、それらの批評家たちについては、全般的に道徳的でその現象(=ボンドの成功)がどれほどの範囲に及んでいるかを理解できていないことに加えて、その批判が、ここまで論じてきたことに対して無意識のうちに示した、時宜(じぎ)を得た、だが、全く効果のない反応にほかならず、罪悪感から逃れるための唐突で過激な、世間知らずの錯覚であることも指摘しておかなければならない」と、アントニーニはボンド分析の中で続けて述べています。  

◇ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドを分析

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MIKE MARSLAND

 最後にもうひとつ、ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドの成功を説明できる要素があります。それは、彼以前のジェームズ・ボンドが、人生をありのままに受け取ってこなかったということです。

 つまり人生とは、われわれには実質的にコントロール不可能な出来事の連続であるということ。それは、フレミングがこのキャラクターの中に永遠に残したクリエイティブな時限爆弾でした、アーメン。

 「ボンドの冒険は、どこからどう見ても素晴らしいもので、まるで、こんなのはどうせ不可能なことなんだから、想像の世界で不可能なことをやっていっしょに楽しもうぜと、観客に向かって絶えず手招きしているようだ…と以前から言われてきた。だが私は、そうは思わない。ボンドの冒険が荒唐無稽なのは事実だが、茶番劇と断じてしまうほどではない。それに、まだ一般大衆向けと呼べるものではないし、批判精神をともなって提供されているともいえない。実際、もしそこが肝心要の点であったとしたら、エンターテインメント要素はほとんどなくなってしまうし、多くの信者を持つこのキャラクターの成功を説明することもできない。そうではないのだ。さりげない皮肉がまだ機能していて、これらの荒唐無稽な物語の邪魔をしていないのである。それはボンドの人生の受け取り方に表れている。半分懐疑的で、半分皮肉っぽくて、半分シニカルで、半分コミットしている。それはフレミングが鬼籍に入ったいまもまだ生きている、彼が自分の同類たちへ送ったメッセージだ。人生をかく受け取れと。実際の人生を、すべてをこのように受け取れと、彼は自分が作り出したキャラクターだけではなく、われわれに対しても伝えているように思えるのだ」

…とアントニーニは述べています。

 「人々はボンドの存在を信じている。なぜなら、人々はこの世のどこかに悪魔が送り込まれる可能性を信じているからだ」と、彼は付け加えています。だからこそ、ボンドは死んでいる暇などないのです。そして次のボンドもきっと、成功を収めるでしょう。例え演じるのが、(2020年9月に、新ジェームズ・ボンド俳優に決定したとの噂が流れた)トム・ハーディでなくとも。


Translation / Satoru Imada
※この翻訳は抄訳です。

From: Esquire ES