kingston, jamaica march 1 roger moore poses driving a speedboat during the filming of james bond film live and let die on march 1, 1973 in kingston, jamaica photo by anwar husseingetty images
Anwar Hussein//Getty Images

ダニエル・クレイグが6代目ジェームズ・ボンドを演じた時代は、過去のボンド時代へのオマージュの捧げ方に細心の注意を払っていました。中でも明確なのは、ショーン・コネリーの初代ボンド時代です。

初代ボンドの愛車として登場したアストンマーティン「DB5」は、ダニエル・クレイグ時代の『007 スカイフォール』『007 スペクター』『007 ノータイム・トゥ・ダイ』に登場。またクレイグ演じるボンドは、コネリーとティモシー・ダルトンのボンドを思わせるような厳しく残忍さを持つキャラクターでした。

『007 ノータイム・トゥ・ダイ』では、ダルトン時代のボンドカーとしてアストンマーティン「V8ヴァンテージ」も登場し、2代目ボンドのジョージ・レーゼンビーがボンド役を務めた『女王陛下の007』へのオマージュも随所に観られるこの映画の試写会には、この作品が唯一の出演作となったレーゼンビー本人も久々に姿を見せました。

しかし、3代目ボンドのロジャー・ムーアに関しては、彼の最初の出演作『007 死ぬのは奴らだ』の公開から50周年を迎えているにもかかわらず、オマージュがいまだに使われていないのです。ムーアの出演作はあちこちで好評価されていますが、クレイグ時代のボンドは全体的にムーア時代の軽妙でユーモラスなトーンを敬遠していたようにも感じられます。

5代目ジェームズ・ボンドを演じたピアース・ブロスナンの後期の作品は、ムーア出演作に登場したホバークラフト(水面や地面に高圧の空気を送り込んで、船体を浮かせて走行する)機能付きのゴンドラのようなものも取り入れていましたが、ダニエル・クレイグがボンドとなった『007 カジノ・ロワイヤル』はまさにその方向にはしたくなかったのです。それを考えると、ムーア時代の要素はクレイグ演じるボンド作品にそぐわなかったと言えます。

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Live and Let Die (1973) Official Trailer - Roger Moore James Bond Movie HD
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その違和感は、画面上の雰囲気だけではないようです。ムーアは常に、クールとはかけ離れた愛嬌のある人物像でした。友人でスタントマンを務めたロッキー・テイラーによれば、『007 死ぬのは奴らだ』の正式な出演契約を結んだ際、ムーアはオフィスから出てくるなり、「俺がジェームズ・ボンド! この俺がジェームズ・ボンド!」と小躍りしながら叫んでいたそうです。

同作のメイキング日誌でムーアは、自身の好物が“イタリア風”のトリッパ(牛の主に第二胃袋の煮込み料理)であることを明かしています。ショーン・コネリーが『007 ドクター・ノオ』でマティーニの好みを伝えるのに放ったセリフ「Shaken, not stirred.(ステアではなく、シェイクで)」の雰囲気とは、かなり趣が違うことは否めません。

彼は軽妙洒脱な時代のコミカルなボンドであり、ポスト・スピルバーグ、ポスト・シュワルツネッガー、ポスト・ランボーが描くアクション冒険物語には違和感があるような、70年代の雰囲気を持ち続けたキャラクターだったのです。『007 美しき獲物たち』では、その違和感はさらに大きくなりました(ファンからは、撮影前に整形したために、まばたきがきちんとできないのでは…との疑惑も)。

madeline smith leaning against roger moore in a suggestive manner as he touches her arm in a scene from the film live and let die, 1973 photo by united artistgetty images
Archive Photos//Getty Images

彼は晩年も人々に愛される、悪びれるところのない愉快な人物でした。まるでボンドのようにゴージャスなシャツとベルベットのブレザーを着こなし、コメディやバラエティといったライトエンターテインメント業界で軽やかに、かつスタイリッシュに存在していました。元ボンド役の俳優で、これほど楽しい雰囲気の人物はいなかったのではないでしょうか。ピアース・ブロスナンが演じたボンドのポジティブなムードは、ムーアのイメージによって形作られたものと思われます。

第8作『007 死ぬのは奴らだ』でのムーアの登場は、2代目ボンドを演じたレーゼンビーが第6作『007 女王陛下の密使』のみで降板となり第7作『007 ダイヤモンドは永遠に』にはショーン・コネリーが再登板する、というターニングポイントの中でのことでした。50年の歴史を誇るボンドシリーズは現在、再び岐路に立たされています。が、誰が次作のボンドとなるにせよ、『007 死ぬのは奴らだ』を着想源とすれば、シリーズ史上初の、そして非常に野心的なリブートになるでしょう。

もちろん『007 死ぬのは奴らだ』には、現在ならかなり問題とすべき点もたくさんありました。悪役のミスター・ビッグを演じたヤフェット・コットーは、写真撮影中に差別に抗議する「ブラックパワー・サリュート(黒人差別に対する抗議を表明した敬礼)」ポーズをとったために、作品の宣伝活動から外されてしまいます。

このような扱いを受け、映画の公開前後の時期にコットは、バーで一人泣いていたと言います。この映画は、映画製作において黒人の登用を増やすことを怠った「ブラックスプロイテーション映画(黒人の観客をターゲットに制作された映画)」であり、それはかなりのマイナス要素です。

しかし『007 死ぬのは奴らだ』のよくできている点は、新たなボンド用につくり直すことができる点でしょう。今となっては忘れられがちですが、ボンド映画とは独特のビートと演出方法で一般的なスパイ映画とは一線を画す独自のジャンルであるとともに、必ずしもそれにこだわる必要もないのです。

例えば強盗スリラー、フーダニット(犯人の解明を重視した推理もの)、フォークホラー(民間伝承要素を取り入れたホラー)、西部劇などのひねりを加えれば、誰もが求めるボンドらしさを失うことなく、新鮮な作品にすることもできるのではないでしょうか。

roger moore at the wheel of a speed boat in a scene from the film live and let die, 1973 photo by united artistgetty images
Archive Photos//Getty Images

また、ボンド自身も変幻自在のキャラクターなのです。『007 死ぬのは奴らだ』のムーア演じるボンドには、英米折衷的な雰囲気があります。彼はバーボンを飲み、パラセーリングをしながら葉巻を吸い、ダブルブレストのスーツジャケット姿で飛び回ります。

彼が足を踏み入れる未知の領域は単なる隠れ家や楽園ではなく、非情なスラム街…。ボンドのイギリスらしさはこのキャラクターの特に際立った特徴であり、彼をアメリカの大都市に置くことでそれがより面白く生かされるのです。

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Live And Let Die (2018 Remaster)
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主題歌にも、『007 死ぬのは奴らだ』で学んだことを生かしたいところです。同作の主題歌(ポール・マッカートニー&ウイングスによる楽曲)のようにガンガン鳴らすこともOK。ボンドのテーマ曲に「ロックを使って悪いことはない!」 ということです。

『007 死ぬのは奴らだ』には問題点もあったものの、ボンドにとって本当に待ち望まれていたまさにターニングポイントであり、ボンドというキャラクターのイメージを再構築した作品だったのです。次回の再構築はすぐに存在感のなくなる作品というよりも、10億ドル規模の大作になることが予想されるため、『Bond 26(原題)』が昔のトーンに戻ることはそれほど考えられません。しかしムーアのような大胆さが少しあれば、よい塩梅になるのではないでしょうか。

例えばタロン・エジャトン、アーロン・テイラー・ジョンソン、ダニエル・カルーヤなど…次のボンドが誰に決まるにせよ、新ボンドはバーにやってくるでしょう。そして、少し離れたカウンター席に座っている女性を横目に片眉を上げ、こう言うのです。「バーボンを。それとイタリア風トリッパもね」と…。

source / ESQUIRE UK
Translation / Keiko Tanaka
※この翻訳は抄訳です