2021年10月8日(金)に公開された待望の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、過去59年間における25本目のジェームズ・ボンド映画となりました。この伝説のスパイに命を吹き込むためにこれまで、6人の俳優、11人の監督、そして複数の脚本家、編集者、アートディレクターが関わってきましたが、一貫して変わらない要素があります。それが、すべて「ブロッコリ」ファミリーであることです。

かつてよりハリウッドで活動していたアルバート・R・ブロッコリ(ファンの間ではカビー・ブロッコリの愛称で知られる。また1959年に挙げた彼の結婚式では、俳優ケーリー・グラントが付添人代表を務めた)は、1961年にハリー・サルツマンと組んでEON(Everything or Nothing)プロダクションズを設立。サルツマンは、イアン・フレミングのジェームズ・ボンド小説の映像化オプション権を持ち、さらにブロッコリは資金調達の手段を持っていたからです。

ブロッコリはまず、コロンビア・ピクチャーズでいくつかの作品を製作していたこともあり、出資の話をもちかけます。が、コロンビア・ピクチャーズには多くの制約があり、1962年公開のボンド映画第1作『ドクター・ノオ』の予算を40万ドル以上にすることに同意してもらえませんでした。

次にブロッコリが選んだのは、1919年に当時最も成功していた4人の俳優が創造的な運営を求めて設立したユナイテッド・アーティスツ(UA)でした。4人の創業者のうち、メアリー・ピックフォードとチャーリー・チャップリンの2人は1952年に会社の株式持分を手放しましたが(D.W.グリフィスとダグラス・フェアバンクスはその数年前に死去)、独自性と大胆さという彼らの創業時の精神は今でもなお息づいています。

roger moore unveiled as the new 007
Jack Kay//Getty Images
1972年に撮影された、かつてのジェームズ・ボンド俳優ロジャー・ムーアとプロデューサーのアルバート・"カビー"・ブロッコリ

UA作品はすべて自主制作でした。予算、脚本、監督、キャストが承認されると、最終的な納品まで4人のプロデューサーが担当しました。ラッシュ(撮影状態を確認するための最初のポジフィルム)に関するいさかいも、撮影現場でのUA担当者の立ち合いも、いわゆるクリエイティブノートもありません。UAは110万ドルの予算に合意しましたが、ブロッコリはまず、コロンビア・ピクチャーズが同条件で応じるかどうか確認する電話をかけ、コロンビアへの義理を立てたのです。

ですが他の会社では、UAのような自由を認めてくれなかったでしょうし、無数の要求と妨害で手一杯だったブロッコリにとっては、もしコロンビアがUAと同じ条件で応じていたとしても、このシリーズが2作目以降続いていたとは考えにくいものでした。

当初から育まれてきた
ボンドファミリーの絆

最高の映画製作とは、参加者それぞれが独自の才能を発揮するチームスポーツです。

ボンドシリーズの場合は、オープニングタイトルであるいわゆる“ガンバレル・シークエンス”はモーリス・ビンダーがデザインを担当し、プロダクションデザイナーのケン・アダムスとジョン・バリーが、今や誰もが一瞬でわかるテーマ曲(モンティ・ノーマン作曲)をアレンジしたことから始まりました。

歴代の「007」シリーズ映画のテーマソングでは、シャーリー・バッシー、トム・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、カーリー・サイモン、アデルなどの音楽家が活躍してきました。シリーズ第25作目となる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のテーマソングとスコアの製作には、ビリー・アイリッシュ、フィニアス、ハンス・ジマー、ジョニー・マーらが集まりました。

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Nicola Dove © 2021 DANJAQ, LLC AND MGM.
『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のダニエル・クレイグとアナ・デ・アルマス

素晴らしい顔ぶれですが、カビー・ブロッコリが要求した高い基準を考えれば、驚くべきことではありません。多くの人が、「彼はキャストやクルーを家族のように大切にしていた」と語っています。

また、彼の娘であるバーバラ・ブロッコリも、その姿勢を受け継いで育ちました。バーバラは、『ドクター・ノオ』の撮影現場でオムツをしていたことや、1967年の『007は二度死ぬ』の撮影中に日本の離島で病気になり、ショーン・コネリーが主治医を呼び寄せてくれたことを覚えているそうです。彼女は食卓でいつも話題に上っていたジェームズ・ボンドに関して、「彼が実在の人物ではないとわかったのは、少なくとも7歳のころだったでしょう」と語っています。

脚本家でもあり、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のプロデューサーを務めるマイケル・G・ウィルソンの場合は17歳ころ…。ちょうど母親がカビー(アルバート・R・ブロッコリ)と再婚したときでした。それ以来、ボンドは生活の一部となってはいましたが、1972年に大学の法学部を卒業後 、彼はEONプロダクションズに入社。法務担当者として正式にボンドシリーズに入り、その後、複数の作品でプロデューサーや共同脚本家として関わることになります。

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PA Images//Getty Images
1983年にロンドンで開催された『オクトパシー』のプレミア上映会で、故ダイアナ妃と一緒に写る“カビー・ブロッコリ”(右端)。

シリーズ継続にともなう
障壁と困難

長年にわたり、権利を巡る長引く訴訟問題や資金調達の緊張感を味わい、ハリー・サルツマンはボンド映画7作目の製作後、UAに自身が所有していた映画化権を売却しました。1989年の『消されたライセンス』から1995年の『ゴールデンアイ』でピアース・ブロスナンがデビューするまでの6年間は、“カビー・ブロッコリ”にとって特に困難な時期であり、彼は1996年に87歳で他界しました。

長い歴史の中では、何度もシリーズ崩壊の機会がありました。ですが、他の映画のスーパーヒーローの歴史と比較すれば、ボンド映画が長寿シリーズであることはより印象的です。マーベルのキャラクターは複数の制作会社の間で何度も所有権が交代し、スーパーマンは訴訟問題にかなりの時間をとられています。

1995年にバーバラとマイケルが正式にEONプロダクションズを引き継いだとき、ボンドシリーズを前進させるための原動力となったのは、ブロッコリ家の情熱と経験、決断力、そしてセレンディピティ(偶然の幸運を呼び寄せる力)でした。

ピアース・ブロスナンは、悪魔のようなウインクをひっさげ、ボンドをよみがえらせたのです。4回の出演作では、スタントや背景がより激しくなる一方で、ティモシー・ダルトン版ボンドには見られなかったユーモラスなセリフ(『トゥモロー・ネバー・ダイ』で、マネーペニーが電話越しにボンドへ放つ台詞『You always were a cunning linguist, James.<舌の使い方がお上手ね、ジェームズ>』など)が戻ってきました。

新ボンド就任のたびに、批判的な意見はありました。が、興行的な影響を受けることはほとんどありませんでした。

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Victor Chavez//Getty Images
2015年公開『スペクター』プレミア上映会でのマイケル・ウィルソンとバーバラ・ブロッコリ

時代に沿った
シークレットエージェントの誕生

2001年9月11日(火)の同時多発テロの後、バーバラとマイケルは、「ボンドをより現代的で「現実的」(スーパーヒーローの場面は別として)なものにする時が来た」と考え、ダニエル・クレイグにその仕事を任せることにしました。

『007 ドクター・ノオ』でウルスラ・アンドレスの登場が海から上がってくるシーンだったように、『007/カジノ・ロワイヤル』ではクレイグがMI6を裏切った局長を真っ暗な部屋の中で椅子に座って待つ…という衝撃的な登場を果たしました。

“カビー”がやってきたときには、まだ20代だったUAの幹部デビッド・ピッカー。彼は、ジェットコースターのようなボンドシリーズの50年間を見届けてきた人物ですが、マイケルとバーバラは「見事にシリーズを再構築した」と評価しています。

そうして、『007 スペクター』の劇場公開から約6年が経過。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は監督を交代したことや、「クリエイティブの違い」による脚本の変更(イギリスのテレビドラマ『Fleabag フリーバッグ』のフィービー・ウォーラー=ブリッジによる修正を含む)、撮影現場での怪我、さらには新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響が長く続いたことにより、最初の公開延期につながったというわけです。

"bond 25" film launch at goldeneye, jamaica
Slaven Vlasic//Getty Images
マイケル・ウィルソン、ダニエル・クレイグ、バーバラ・ブロッコリ(2019年)

映画業界に忍び寄る
ストリーミング配信という
黒い影

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』はダニエル・クレイグにとって5回目の、そして、最後のボンド役となるはずですが、バーバラ・ブロッコリは「この事実を考えたくない」と語っています。しかし、もちろん、シリーズを継続するためには、彼女とウィルソンは次の手を考えなくてはなりません。ボンドとその世界を再構築するのは初めてのことではありませんが、彼らが直面しているのは、“カビー”が長年にわたって導いてきた世界とは全く異なる世界です。

今回の再構築は、映画業界自体の再構築と同時進行です。映画産業はその120年の歴史の中で、1918年のスペイン風邪の流行、ラジオの急激な普及、MGMだけが長期間にわたり黒字経営を続けた世界大恐慌など、困難な脅威に直面してきました。テレビが一般的に普及したときには、映画ビジネスの終焉とも言われましたが、3D、シネラマ、爆音などで対抗してきました。しかし今回は、勝手が違うかもしれません。

(国によっては)1年以上劇場が閉鎖されていたため、ワーナーブラザース(現AT&T傘下)などの企業が主導権を握り、多くの映画を直接的な動画配信で供給しています。他の企業も劇場公開から配信開始までの期間を短くしたり、劇場公開を完全になくしたりしています。

albert broccoli and family
Evening Standard//Getty Images
“カビー・ブロッコリ”(右)と妻のダナ、娘のティナ(左)、バーバラ(1967年)

それでも、バーバラ・ブロッコリは、あくまでも劇場公開を求めてきました。

30数年前にUAを吸収したMGM(主要株主はヘッジファンド)が、『007/ノー・タイム・トゥー・ダイ』をネットフリックスなどの配信事業者に売ろうとしたとき、彼女はそれを阻止しました。彼女は、そうした力を持つ数少ないプロデューサーの1人であり、そして、そんな一歩も譲らない彼女の姿勢を誰も責めることはできないでしょう。

結局のところ、ボンドは劇場の大きなスクリーンの究極のヒーローなのです。例えば『007 / 私を愛したスパイ』の中で、雄大なアルプスで敵から追われるボンドがスキーで崖からダイブする…あの大迫力のオープニングシーンをiPhoneで見るなど想像できますか? ロンドンで行われたプレミア上映会では、ボンドのテーマが劇場内に響き渡り、ユニオンジャックのパラシュートが開くと、チャールズ皇太子をはじめとする観客は、万雷の拍手で立ち上がったものです。このことは、リビングルームなどでは絶対に体験できないことなのですから…。

Source / TOWN & COUNTRY US
Translation / Keiko Tanaka
※この翻訳は抄訳です。

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