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当時の私(筆者バティア氏)は、クィアな欲求に満ちあふれた15歳の少年でした。ですが自意識過剰で実に気難しかったのでしょう、それを前向きに行動で示そうとはしませんでした。そんな私が映画『マイ・ビューティフル・ランドレット(My Beautiful Laundrette)』AMAZONで観るを観たのは、パキスタン人の祖母の家であったことを今でも鮮明に憶(おぼ)えています。

祖母が寝静まるのを待ち、やがて私ひとりだけになったときにこの映画を観たのです。そこで私は、「パキスタン移民の青年が、ハンサムなイギリス人ギャングに恋をする」といった内容のメジャー映画がこの世に存在するんだ!? と、かなりの衝撃を受けながら観ていました。それは2005年のことだったでしょうか。

当時私は10代でしたが、ゲイ男性が初めてテレビ番組で主役を演じた『Will & Grace(ふたりは友達? ウィル&グレイス)』や『Queer as Folk(クィア・アズ・フォーク)』のほか、ゲイであることを公言しているグレアム・ノートンやポール・オグラディがホストを務めるプライムタイムのトークショーなども観ていました。

ですが、若き日のダニエル・デイ・ルイスがストリートパンクのジョニーを演じた、この1985年のスティーヴン・フリアーズ監督作品で私は初めて、人種の異なるふたりの男が――自分と同じパキスタン人たちの目など気にせず――スクリーン上でキスをするシーンを観たわけです。その描写は、15年後となった今でも私は忘れられません。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
My Beautiful Laundrette Official Trailer #1 - Daniel Day-Lewis Movie (1985) HD
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映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』あらすじ

この映画に描かれているのは、大学入学前の非常に従順な息子であり、家族の期待に縛られた青年オマールです。彼は年寄りたちの面倒を見ることと、自立することとのバランスを取りながらタイトなスケジュールを日々こなしています。

一方のジョニーのほうは、自由気ままで攻撃的な毎日を送る社会のはみ出し者です。たくましくてしなやかな身体を誇示し、髪は脱色して、言葉にはサウスロンドンの訛りがあるといったキャラクターです。要するに、オマールとは正反対の人間というわけです。そして私と言えば、オマールと同じようにルールを守る善良なアジア系の息子でした。なので作中の二人の対比に、とても魅力を感じていたのです。

オマールの家族は、上昇志向の強いアジア系の中産階級です。骨身を惜しまず働くことで、より高い社会的地位を得ようと必死になりながら、それと同時に、それが既に実現しているかのように振る舞うことで、外国であるイギリスという国に受け入れられよう努力していたのです。

そんなメンタリティの中で日常をおくるオマールは、失業中の白人男性に対して恋心を抱く自分自身と、教育を受けてもらいたいという父親の願いに背を向けてしまう自分自身の両面で、居心地の悪さを感じていたのでした。

そして彼は、従姉妹(いとこ)との結婚を拒否することでパキスタン人家族の慣習(パキスタンは近親婚の割合が高く、同国の英字紙である「ニュース・インターナショナル」(2021年11月6日)が報じるところによれば、全体の73%のカップルが親類同士の間で誕生しているとのこと)にも反旗を翻(ひるがえ)します。

そして最終的に彼は、家族の期待を一身に担った息子としての生活することと同時に、ファシストのトラブルメーカーの恋人と生活を共にするという二重生活ることになるのです。そんなオマールがジョニーとの生活に求めていたものは、まさに「別の人生を生きたい」という願望そのものだったのでしょう。

パキスタン人家庭、同性愛者男性の体験

それではここで、私自身の話をしましょう。

パキスタン系第二世代の家庭に育った私(筆者バティア氏)も当時、自分のセクシュアリティを素直にナビゲートしながら行動したいという願いの先行きとともに、一人息子の背に否応(いやおう)なしにのしかかってくる「家族を扶養する者」という定められた役割から逃れたいという願いの先行きに対しても、困難さつくづく感じていたことを覚えています。

私の場合、物語と同様にロンドンではありましたが、悩み多き10代の頃は2000年代初頭です。一方、この映画のオマールが過ごすロンドンは、サッチャー(第71代首相在任期間は、1979年5月4日~1990年11月28日)政権下での話になります。ならば、「悩む必要はあったのか?」と不思議に思った人も少なくないかもしれません。ですが実際、2000年代初頭の英国でも、家族や文化の規範はまだまだ残っていました。私は学校の親しい友人にはカミングアウトできてはいたものの、家では話せるわけもなく、隠し続けていました。そんな私がここで初めて、自分と同じような人間が描かれているこの物語に出合うことができたのです。

この映画の中でオマールが、金曜の夜に自宅で父親の足の爪をしぶしぶ切っていたところ、恋人のジョニーから秘密の電話でかかってくるというシーンがあります。そこでオマールは、誤って父親の足を傷つけてしまいます。一方ジョニーのほうは、労働者階級という地位に幻滅し、移民であふれかえる80年代のロンドンでアイデンティティを見出すことに必死でした。

そんなジョニーとオマールが衝突したとき、単に二人は現状の目的を達成するための方法を探すのではなく、お互いにこれまでとは違った新しい目的を発見します。そうしてオマールは、経済的な自由と性的な自由を獲得していくのでした。一方でジョニーほうは、行き詰ったフラストレーションのサイクルからの脱出を図ります。

ダニエル・デイ・ルイスの描写にワクワクさせられたのは、彼の演じるジョニーが異なる世界に生きるエキゾティシズムを具(つぶさ)に表現できていたからというだけでありません。彼の演技はまさに、変化していくこの国の風景の映し鏡とも思えたからです。

オマールという異文化の人間を受け入れ、さらにビロンギング(つまり、単に所属するだけでなく、心理的安全や信頼を感じられるほど一体化)されていく様がそこに見えたからではないでしょうか。そうしてジョニーはオマールを支える特別な擁護者となり、オマールの夢の実現に欠かせない究極の協力者となるわけです。

やがて二人が、互いが強い信頼で結ばれていることを確信したとき、両者の官能はグッと燃え上がります。ジョニーはオマールの家族に迎え入れられ、そして職に就いたことがきっかけとなって、ふたりは長く待ち望んだ街灯の下でのキスを交わします。そこで私たち観客はこのとき初めて、秘密の恋人同士がどうしようもない欲望に負けてしまうところを目撃するのです。これは実に衝撃的でもありました。

続いて2度目は、新しく手に入れた店――タイトルにもなっているランドレット(コインランドリー)――の裏部屋になります。ここで初めて私たちは、服を脱いだ二人の描写によってサッチャー政権下のイギリスで起こりつつある人種間や階級間の分断の下に隠されていた欲望を目の当たりにするのでした。

そしてこの愛の行為こそが、荒廃した元社交クラブを美しい場所へと変貌させているのです。映画の中ではその後、オマールの結婚相手として期待されていた従姉妹は、彼が同性愛性であることを認識します。ですが、そのことで騒いだりはしないのです。

そして彼女は自分の家族から逃げ出そうとする前に、コインランドリーへ彼を探しにやって来ます。すると、そこでジョニーがこう尋ねます。「きみは彼に触ったことはあるの?」と…。

欲望に満ちた視線は投げかけても決して手は出さない、人目を気にする半隠れのゲイでである私はここで、肉体的親密さを求めることの力強さと脆(もろ)さという表裏を再確認することはできたのです。

「すべての人が自分の属すべき種族を必要としている」

それでもこの映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』で、最もうっとりさせられるのは新装開店したコインランドリーの外で、ジョニーが所属する極右ギャンググループの仲間が見ている中、ジョニーとオマールが抱きしめ合う場面です。そしてそのとき、ジョニーはオマールの首をそっとなめるのです。

そしてジョニーはギャング仲間たちから、「そこはお前なんかがいくところじゃない」と非難され、裏切りと宣告されます。

「すべての人は、規律ある関係が保たれる仲間を必要としている」と、彼らは言います。ですが、前述のあのシーンでの“なめる”という行為によって、ジョニーは自分の新たな領域を明確に示すのです。「それに関しては隠していたい」と思っている連中の目の前で、私たちが青春期に感じていた憧れを目の当たりにしてくれるのです。彼は、自分の属するべき仲間そして居場所を発見したというわけです。

インドの王族として初めてゲイを公表したマンヴェンドラ王子、「同性愛の矯正治療」廃止を訴える

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Newspix//Getty Images

さてここまでは、映画の美しき世界から感銘を受けた、(主にイスラム教徒の多い国)パキスタン人男性の体験談をご紹介してきました。

ここからは、(主にヒンドゥー教徒、続いてイスラム教徒も多い)隣接するインドにおける現実社会で同性愛者であることを公言し、活動し続けるオピニオンリーダーの取り組みについて紹介します。

マンヴェンドラ・シン・ゴーヒル王子ってどんな人物?

インドの王族として初めてゲイであることをカミングアウトしたマンヴェンドラ・シン・ゴーヒル王子は、「同性愛の矯正治療」を違法とするため活動しています。600年の歴史を持つラジピプラ旧王国のマンベンドラ・シン・ゴーヒル王子の活動は、自身の経験に基づいたものです。

インドのマンヴェンドラ・シン・ゴーヒル王子は2006年、同国で初めてゲイであることをカミングアウトした王族となりました。そして当時41歳だった彼は、両親であるラジピプラ王国の国王夫妻から公然と勘当されました。

ラジピプラ王国とは、
かつてインドに存在した
王族で、旧王家

2002年に自身がゲイであることを両親に伝えると、すぐに同性愛を改心させるためのセラピーや矯正治療を受けさせられたそうです。

「『文化的に豊かに育ってきた私が、ゲイになることなどあり得ない』と、両親は思ったのです。彼らは、人のセクシュアリティと生い立ちには何の関係もないことを理解できていなかったのです。私をストレート(異性愛者・ヘテロセクシュアル)にするために、脳の手術をするよう医師にアプローチし、電気ショック療法を受けさせられたりもしました」と、マンヴェンドラ王子は「Insider」に語っています。

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Pascal Le Segretain/AIDES

インド社会の「転向療法」違法

マンヴェンドラ王子がカミングアウトしてから20年経った現在(2022年)でも、インドでは未だに『転向療法(同性愛者を異性愛者に“矯正”または“転換”させるために行う一連の行為)』が(違法とされているタミル・ナードゥ州を除いて)広く行われています。

マンヴェンドラ王子の社会活動

そんなマンヴェンドラ王子はNPO法人『ラクシャトラスト(Lakshya Trust)』を立ち上げ、インド全土でこの療法を違法とする活動を続けています。

2018年、マンヴェンドラ王子は自身の宮殿「ハヌマンテシュワル(Hanumanteshwar)」を初のLGBTQ+コミュニティセンターとして開設。この宮殿は彼の曽祖父がウィンザー城を模して建設したもので、彼の相続分とセクシュアリティの問題について、両親が「歩み寄った」結果として彼に贈られたものだそうです。

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RAJPIPLA / ATHERTON ARCHIVES
マンヴェンドラ・シン・ゴーヒル王子が譲り受けた宮殿「ハヌマンテシュワル(Hanumanteshwar)」。写真は1926年2月撮影。

「カミングアウトしてからも、母との関係はあまり変わっておりません。ただ彼女はベストを尽くしたけれど、私を変えることはできないと悟っただけです」と、マンヴェンドラ王子は母親について語っています。

宮殿敷地の一部は、LGBTQ+コミュニティや、家族に見捨てられたホームレスのために

2018年には、「現在、宮殿の一部を修復中で、古い建物に新たな構造も加えたりしています。この建物は私がゲイであることをカミングアウトした後に、父から贈られたものです。父はLGBTQ+コミュニティセンターの改修や増築するための儀式に、礎石も置いてくれました。このセレモニーには、何百年もの歴史を持つ近所のハヌマーン寺院の僧侶も参列してくれました」と、マンヴェンドラ王子はこの宮殿と父について記しています。

「家族から見捨てられホームレスになった人たちのためのシェルターも、この敷地に新たに建てたいと思っています。部屋数は8室で、20〜25人が住めるようにする予定です。自立して生活できるようになるまで、ここにいることは可能です」と、付け加えています。

マンヴェンドラ王子「私は戦い続けなければならない」

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マンヴェンドラ王子は6世紀までさかのぼる王家の血筋で、その地位にあることがLGBTQ+問題の有名な活動家になることを支えています。「私のように社会的に一定の評価を得ている人間が、活動を続けることが重要です。国が2018年に同性愛を犯罪とする法律を廃止したからと言って、この活動をやめるわけにはいきません」と語ります。

「今後は同性婚や相続権、養子縁組をする権利など、さまざまな問題に立ち向かって戦わなければなりません。終わりのない循環です」とマンヴェンドラ王子は語り、その最後に「私は戦い続けなければならない」と固い決意を口にしています。

Source / Esquire UK
Translation / Satoru Imada, Kazuhiro Uchida
※この翻訳は抄訳です。