喧騒から離れて平和な“ひとりごはん”のひと時を、たまにはゆっくり楽しんでみませんか? 今回、イギリス人グルメ評論家のトム・パーカー・ボウルズ氏(カミラ夫人の前夫の間に生まれた長男)が“お一人さま”と“ひとりごはん”について語ってくれました。
American Zoetrope/Elemental Films
Why You Should Embrace Eating Out Alone
“お一人さま”は楽しいものです。
私は一人を楽しめるタイプですが、ブルジョワ的な周囲の会話を気にする必要がほとんどなく、一人でいることが目に余ることもなく、気まずくない場所というのは残念ながらほとんどありません。
例えば、バンコクの裏通りの中心にあるのは居心地の良いカントリー・パブ、いつも賑やかな香港の点心料理店、ちょっとむさ苦しささえ感じるメキシコ専門料理店などばかり。近年、コンサバティブな人々によって、このようなお店は徐々に排除されていっています。
しかし、私が変わり者なのか、あまのじゃくなのか、そのような状況が進行していることについて、まったく気になりませんでした。というのも、“ひとりごはん”の時間は、過酷な砂漠のなかにいるような現代社会のなかで、人生における真の贅沢の一つであり、素晴らしい時間であるとともに、ヤシの木々に囲まれた“喜びのオアシス”のようなものだからです。
しかし、もちろん、テーブルの上で共有される喜びは根本的な幸せです。
食事をともにするという単純な行為は、どんな国連の空虚な規約よりも求心力があるでしょう。友人や家族と一緒に座り、嘲笑したり、ガス抜きしたり、ゴシップを楽しむことは、素晴らしい夕方の過ごし方と言えます。基本的にこのような行為は、ホモサピエンスである私たち人間にとって、根本的なもの以上でしょう。
一方で、母指対向性みたいなもので、時には仲間たちとのこのような行為から離れることも必要なのも人間なのではないでしょうか。しかし、一つ明確にしておきたいのは、レストランでの“お一人さま”は、家の台所での“お一人さま”とは全く別物だということです。
穏やかにリフレクションをする時間をもつことや静かな内省の時間というのは、バーカウンター、または窓のそばの席にゆったりと座ってこそ叶うものであり、そのためには、アラームやビープ音でその貴重な時間を邪魔する油断のならない電話を遠ざけておくことも重要でしょう。
ぜひ、少しスローダウンして、皆さんも周りを見回してみてください。
幸せな静寂の中で食事をする熟年夫婦は、何十年も会話をスムーズにすり合わせてきたのでしょう。または初デートから、アラカルトのように固定された歯を見せた笑い方で、極度にぎこちない会話はしてきたのかもしれません。その会話はけして流れることがなく、常に言葉がポツリポツリとこぼれてくるという感じです。なぜなら、そのいけ好かない紳士は、口をとがらせながら「姪が…」とだけ言葉を発したからです。
“一人酒”こそ男のロマン
トム・パーカー・ボウルズ氏は、決して「ネクラ」なタイプではありません。そのことがうかがえる動画をご覧ください(笑)。
一方で、長年の友人たちのテーブルでは一口だけ口に食べ物を運んでいます。昼食を楽しむ余裕のないビジネスマンたちのランチはビジネスチャットに固執しながら、急いでサラダを掻き込み、水で流し込んでいます。このようなことを話し出したらきりがないのですが、ともかく一見魅力的に映るレストランでの家族や仲間、友人たちとの食事は、決して“ひとりごはん”の魅力には勝てないのです。
ちなみに、私のルーティンは、私がどこにいてもほとんど変わりません。
まずは、最初の皮切りの笑顔と人差し指を上げ、「一人です」と合図を送ります。最初のグラスと暖かいブランケットが来たとき、自分だけがこのテーブルを占領できることに気づきます。そして、“プライベートアイ”、“ザ・スペクテーター”、“エンパイア”、“カントリーライフ”などの新聞や雑誌が積み上がります。もちろん“エスクァイア”、“obvs”などもです…。
または1冊の本、それも良質な良本もあるかもしれません。
私は、“ジョイス”、“ミルトン”、“エリオット”などを捌くには歳をとり過ぎています。もしかすると、“レフトバンク(パリのセーヌ川の左岸)”にいる芸術家気取りのように聞こえるかもしれませんが、ただ単に私は一人で食事をするときは、私自身、それらの雑誌や本のページの中にいる気分に浸りたいだけなのです。ですので、リー・チャイルドやミック・ヘロンによる現実の犯罪のストーリーや、明らかに好色なゴシップや、やたら華麗な自伝などは避けています。
飲み物に関しては、おそらくキンキンに冷えているマティーニを頼み、ちびちびと飲み始めます。
その後、ハーフボトルのワインを、さらにもう1本頼むかもしれません。もちろん、追加のものは間違いなく別種類のワインです。それらのアルコールは自分の静脈に沿って四肢に流れ始めます。そうすると心配事がなくなり、自分が予想したとおりの夢のような2時間は、完璧なお酒と上質な食事も相まって、まさに“素晴らしい”のひと言に尽きるのです。
写真:“一人酒”にオススメのマティーニ。Photograph / Getty Images
それから食べ物に関してですが、これは私が英国の寄宿学校制度で10年間を過ごしたそこでの食の経験が関係しています。四川鍋やゆっくり調理された子羊の肩肉はよかったのですが、プレートのシェアは私にはナンセンスに感じます。私はそれらをすべて自分のみで楽しみたいのです。今や、“ひとりディナー”は、中国料理店やインド料理店では、徐々に不利な立場に追いやられていることを、残念ながら認めなければなりません。
私は友人たちと分かち合うことができる料理に常に憧れています。そのため、どう考えても一人では食べきれないと思われる量をオーダーしなければならず、常にウェイターにやんわりと一人としては多すぎるオーダーについて謝らなければなりません。しかし、これは私の問題ではないのです。なぜなら、私はオーダーしたすべてを食べきることができるからです。ほとんどの場合、私は完食しています。食欲に関しては、私はとても他の人より優れているのでしょう。
陽気な性格で知られるイタリア人は“ひとりごはん”に消極的!?
大抵のレストランでは、“お一人さま”も歓迎されます。
ニューヨークのバルタザール、ミネッタ・ターバン、オーガスティンのレストランを経営するキース・マクナリーは、女性の“お一人さま”にシャンパーニュを送るという方針を明らかにしています。それは、“お一人さま”の客に対して、「究極の賞賛をおくっている」とも言えるでしょう。その方向性は正しいと思いますが、一方で、“お一人さま”の客は性別に関係なく、一人の食事を楽しんでいると思うのです。少なからず、私はそれを楽しんでいますから…。
ではここで、私が今まで食べた中での最高の食事のいくつかをご紹介しましょう。
一つは、ベトナムのメコン川から運ばれた鴨料理です。
このときは、急に暗闇になってしまったため、トゥクトゥクの轟音がすぐにカエルの鳴き声でかき消されてしまったことを覚えています。また、ダラス・フォートワースにあるアンジェロの比類のないブリスケットは、メキシコシティの歴史的な洞窟の壁に描かれているタコス・アル・パスタです。実際に私は、過去10年間のランチとディナーの半分は“お一人さま”を楽しんでいます。そして、それらのすべての体験が素晴らしかったのですが、そのうちのいくつかは刹那的なこともありました。
例えばイタリア人は、ひとりでも食事を楽しむことができるということをあまり理解していませんでした。レバノン人も…。ですから、私がそんなことをしていると彼らには戯言に聞こえていたのでしょう。そのため、そこでの私の食事の時間は、さらに退屈で低レベルへ落ちていきました。そんなときは、味も情け容赦のなくひどかったりするのです。
写真:“一人ごはん”に消極的なイタリア人ですが、ピザに関しては1枚丸ごと食べる男性が多いよう。※写真はイメージ Photograph / Getty Images
さらに数年前にシドニーのレストラン、“テツヤズ”で食べたときのことも鮮明に覚えています。
まともなイングランドのフットボールチームより予約客は少なかったのですが、いつも2階にある機械から、私は自分自身で予約をしていました。そこには私たちを試すかのような、やたら長い描写のメニューがありました。
4品目が来たときです、典型的に愉快なオーストラリア人たちが一人で食べていた私に同情したようで 、「こっちに来て! 一緒にどうぞ!」と誘ってくれました。英国人の私は口ごもり、思わず赤面してしまいしたが、「いえ、結構です」と私は言いました。彼らの親切心は、私が欲したものではありませんでしたので…。
彼らは、誰も自分たちの親切な行為を断るなんて思いもしなかったのでしょう。しかし私には、もうあと2品残っており、もし、私がそれを食べずに彼らのテーブルに移動したら、厨房はきっと気に入らなかったことでしょうから…。とにかく、誘ってくれたオーストラリア人たちも困惑していたことは確かでした。そして、私はとても感傷的な気分になりました。
一人で食べることは、全くもって恥ずかしいことでも嫌悪感を抱くことでもありません。
あなたのお金は、あなたがいくらチップを払うかと考えることと同様に、同じように使ってよいのです。食べ物というのはしばしば、他人の意見に左右されないことで味がグンとよくなることがありますし…。だからこそ、“お一人さま”をむしろ恐れたり忌み嫌うよりも、喜んで取り入れて敬愛するべきでしょう。
もし人々が、「私がノーマンの仲間ではない」と思ったとしても、私はあまり気になりませんでした。それは孤独な喜びで、騒がしい群衆から逃げることができる楽しいひと時なのです。 ちなみに私にとって、「2」という数字は仲間、「3」は群衆、しかし「1」というナンバーは...魔法の数なのです。
日本でも近年、「一人焼肉」や「一人寿司」などに抵抗がない方々が増えていますので、今後「一人ごはん」のトレンドがやってくるかもしれません。色々なバリエーションを楽しみたい方はぜひ友人を誘ってみてはいかがでしょうか。
By Tom Parker Bowles on July 14, 2018
Photos by American Zoetrope/Elemental Films and Getty Images
ESQUIRE UK 原文(English)
TRANSLATION BY Nana Takeda
※この翻訳は抄訳です。
編集者:山野井 俊