1970年代、ジャマイカの首都キングストンのトレンチタウン地区では、精巧につくられたドイツ車などあまり見かけることありませんでした。だからこそ、街に停まる1台の赤いBMW「1602」は、住民たちの注目の的となりました。
その車の持ち主は、この国が生んだ最も有名な世界的シンガー・ソングライターで「レゲエの神様」と称される、あのボブ・マーリーでした。ちなみに犯罪が多発するこのゲットー(ここでは「貧困街」という意)でも、「誰も自分の車に触れることはない」と考えたボブは、車を施錠することなく駐車していたとのこと。
ボブは決して車好きの“Car guy(カーガイ=車に詳しい人、カーマニア)”ではなく、ギター(ギブソンのレスポール、フェンダーのストラトキャスター、ときどきウォッシュバーンやヤマハを愛用していました)以外の高価なものには、ほとんど情熱を示すことがありませんでした。ボブにとって車は、名前が全てでもあったようです。
「確かに私は、BMWを所有しているよ。でも、それはボブ・マーリーとウェイラーズの略だからであって、決して高価な車が必要だからではないんだ」と、ボブが語ったのは有名な話です。
BはBob(ボブ)。MはMarley(マーリー)。そしてWはWailers(ウェイラーズ)…。
もちろん「ウェイラーズ」とは、彼を中心に活動していたレゲエバンド「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & The Wailers)」に由来しています。
愛車はBMWの「1602」「E3 2500」
厳しい貧困の中で育ったボブにとって、車はぜいたく品以外の何物でもありませんでした。事実、彼の代表曲の一つである『ノー・ウーマン・ノー・クライ(No Woman, No Cry)』の中では、お金に困っていた初期の頃を次のような歌詞で歌っています。
“俺の移動手段はこの足だけ。だからこそ、自分の力で道を切り開いていくしかないんだ(My feet is my only carriage, and so I’ve got to push on through)”
1973年に彼の音楽はアメリカでも注目され始め、その年の「ニューヨーク・タイムズ」紙は「レゲエ・ロックが到来した」と、どのメディアよりも早く書き立てました。そして70年代半ばになると、ボブは地球上のどんな車でも手に入れられるほどのビッグスターとなっていました。
そうして彼が選んだのが、BMW「1602」だったのです。もちろん良い車であることに間違いありません。アメリカのカーメディア「ロード&トラック(Road & Track)は、この車を「値段の割に素晴らしい自動車」と評していたことも記しておきます。
「1602」が登場したのは1966年で、誕生当初は1600ccのエンジンと2ドアから「1600-2」と呼ばれていました。このモデルは1968年に誕生し、今日まで続くユーロスポーツクーペ現象の火つけ役となった「2002」の祖先に当たり、BMWにとってゲームチェンジャーとなる1台として記憶されています。
その後、ボブは4ドアのBMW「E3 2500」に車を乗り換えています。「E3」はその後の「5シリーズ」の前身に当たるモデルで、搭載エンジンは150馬力の2500cc直列6気筒、1968年から1977年まで製造されたモデルです。
彼には少なくとも11人の子どもがいました。なので本来であれば、もっと広くて大きい車が必要なはず。ですが…どうやら彼は本当に、この車のイニシャルが気に入っただけだった…のかもしれません。
ボブは1981年、36歳という若さでこの世を去ります。その魔法のようなキャリアは、あまりにも早く終わりを告げたのでした。死因に関しては、「脳腫瘍」とされているものもありますが、「実際は、(メラニン色素をつくり出すメラノサイトが癌化して発生する皮膚ガンのひとつ)「メラノーマ(悪性黒色腫)」が全身に転移したのが真相」とも言われています。
彼の愛車BMW「E3 2500」は、カリフォルニアの誰かのガレージにあると今もうわさされています。きっと今もなお、彼らしいラスタファリ(1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した思想運動)の臭いを放っているでしょう。
Source / Road & Track
※この翻訳は抄訳です