※本記事は、米国ニューヨーク在住の「ESQUIRE」US版ジャーナリスト、ダン・シンカー氏による寄稿です。


 4歳の息子は、新型コロナウイルス感染症を「the sickness.(びょうき)」と呼んでいました。保育園が休みになり、家から出られなくなると、カレンダーを見てこう聞くのです。

 「いつになったら、びょうきが終わるの?」と…。

 今ではもう、聞くことはなくなりました。代わりに毎週日曜日、寄り道をせずにただドライブをしに行く際に、いろいろな場所を指差して「来年はあそこへ行けるかもね」と言うようになりました。その場所は、セブンイレブンや図書館、公園など。今では、それはずいぶん長いリストになっています。

 息子は先日、5歳になりました。誕生日は家の中で祝いました。おばあちゃんといとこが、クルマでクラクションを鳴らしながら家の前を通り過ぎました。息子には「楽しいパレードだよ」と伝えましたが、混乱しているようでした。このようなアクティビティーを楽しんでいるふりをするのに、親たちはみんな慣れてしまっているのではないでしょうか。

 数週間、数カ月、そして、いくつもの季節が過ぎ去って行く中で、「自宅での時間は最大限に楽しいものにしよう」と努めています。息子はささやくように、「きっと来年は!」とまた言ってくるでしょうから…。

 大統領には見えていないようですが、5歳の息子にはアメリカの大きな失敗が見えています。大統領は、「この1年はなかったことにして、子どもたちには内緒にしておこう」と考えているようですが、信じられないほど多くの子どもたちが、すでにこの状況を認識しています。

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人差し指と中指をクロスさせたハンドサインは、英語圏では「Good luck!(幸運を祈っているよ)」を意味するサインとして非常にポピュラーです。が、もうひとつ、違った意味で使われる場合も多々あります。それは…事実と反することを言う場合、つまり「嘘だよ」という意味合いでも使われます。ちなみにベトナムでは、相手を侮辱する卑猥な表現になるのでご注意ください。
子どもには「心配しなくて大丈夫だ」と言いながら、親は遅くまで寝室で暗いニュースを見ています。

 2020年は、多くの親たちが心を痛めています。

 知り合いの母親は「誕生日に何が欲しいか?」と娘に聞いたところ、「会える人が欲しい」という答えが返ってきて心を悩ませたそうです。またある父親は、「サンタはウイルスにかからないから大丈夫。クリスマスはキャンセルされないよ」と娘に約束しなければならない状況となり、同じく心を深く悩ませたのでした。

 別の父親は、娘に新学期用のリュックを買ってあげた直後に、住んでいる州の状況が悪化してしまい…夏が明けても、学校が始まらないという事実をまだ知らない娘さんは夏休みの間、リュックを肌身離さず身につけて楽しみにしている光景を観て…多くの子どもを持つ親たちは今、皆さんが思っている以上に深く深く心を悩ませているのです。そして、非常に心苦しいことではありますが…、きっと近いうちに子どもたちもこの現状を、ニュースなどで知ることになるでしょう…。

 さらに私たちの心をえぐるのは、現在進行形の事象だけでありませんでした。過去の幸せが走り寄ってきて、不意打ちをかわすこともある…ということも初めて体験しました。それは…先日私のスマホに、去年の夏の思い出がふっと表示されたときのこと。家族であちこち旅行し、当然だと思っていた自由を楽しんでいたころの写真が現れたときです。

 誰もマスクなどつけておらず、みんな笑顔で美術館やアイスクリーム屋へ群がり、日に焼けて幸せそうな笑顔をカメラに向けていました。それを観て私は、辛くて耐えられなくなったのです。そして、その通知をオフにしました。

 自分が子どもだったころの夏を、思い出してください。自転車で出かけたショッピングセンター、ひんやりとした映画館、友だちと過ごすいつまでも終わらない時間…。そのすべてが、2020年はできなくなってしまったのです。

 新型コロナウイルスと戦うことを諦めた国アメリカに住む子どもたちにとって、2020年は失われた1年となってしまいました…いえいえ、1年で済めば運がいいほうかもしれません。

 この危機管理に失敗した人たちが、学校再開のために無謀で危険な計画を要求し、「子どもたちのため」に正しい選択だと主張しています。「子どもたちのために、何が正しいか?」など、彼らは頭の中で一度も正解を出そうと考えこんだことなどないはずなのに…。

 積極的にこの危機とウイルスを抑制をするということこそ、この状況を改善するために唯一無二の対処であるにも関わらず、政府はこれを実行する予定がないのです…。政治的な武器として使えなくなった瞬間に、彼らは子どものことなど忘れてしまうのです。安全な家を与え、食事を与え、医療制度と良い学校を用意し、地域や親の財産に関わらず平等に機会が与えられる環境をつくるという、子どもたちを支援するための有意義な仕事が、政府によって行われることは皆無と言っていいでしょう。

ミズーリ州知事のマイク・パーソン
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ミズーリ州知事のマイク・パーソン氏は、次のように話しています。「子どもたちは学校に戻らなければなりません。おそらく、学校で新型コロナウイルス感染症に感染するでしょうが、病院には行きません。自宅で休養すれば治ります…」と。

 大統領はもはや、子どものことなど考えていません。政治家たちは私たちを見捨てたも同然です。子どもを学校に行かせるか、公園で遊ばせるか、親が生死に関わる決断をしなければならない中、政治家たちは責任を回避する方法ばかりを模索しているのです。

 しかし当の親は、この現実から子どもたちを守らなければならないのです。残されたものを最大限に活用し、子どもたちに必要なことを伝えます。それが親の役目なのですから…。

 我が家には15歳と5歳の子どもがおり、1人は妻と私よりも先に、もう1人はずっと後に目を覚まします。つまり、2つの異なるニーズ、異なる要求、異なるアプローチのバランスを取って対処しなければならないということです。

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 夫婦だけで過ごせる唯一の時間はベッドの中だけですが、ウイルスと恐怖感を抑えながら、子育てと仕事の不可能なバランスを維持した1日の終わりには、疲れきっています。それでもお互い疲れた最後の時間を使って、明日、子どもたちに何を伝えるか? 来週そして来月、さらに来年の計画をどう立てようかと話し合っています。子どもたちに、さらに私たち自身に伝えるべき嘘を、夜な夜な計画することに時間を費やしているというわけです。

 つまり、私は気づかされました。コロナ禍に子育てをするということは、「善良な嘘つき」にならなければいけないということを…。子どもには「心配しなくても大丈夫だ」と言いながら、親は遅くまで寝室で暗いニュースを観ています。「子どもたちの安全を守る」と約束しながら、政府を代表に…外の世界とのすべてのやりとりが、その信頼を裏切る可能性があることも十分察知しているのに、もはやそうするしかありません。

 「来年になったら、友だちに会ったり学校へ行ったり、セブンイレブンへ行けるよね⁉」と、少々の不安を確信へと変えようと願う子どもたちに対し、われわれ親たちは「そうだよ、来年になったら絶対そうなるよ!」と、説得にも似たささやきで勇気づけるしかできない私たち…。当の親たちは、夜な夜な「その可能性は、このままだとほぼないな」と逆のベクトルで確信を深めているにもかかわらず…。

Source / ESQUIRE US
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。