「ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、国民に支持されていない。ロシア軍がウクライナに入れば、大歓迎で迎えられる。ゼレンスキー大統領を失脚させて、新しい親ロの大統領をウクライナ国民が自ら選ぶ。『力による現状変更』ではない。ロシアに対する経済制裁は国際社会の支持を得られない」。だが、プーチン大統領の楽観的な思惑は外れた

ウクライナが抵抗できている理由は何か。またロシアが撤退しても、さらなる脅威が生まれる可能性がある。

ロシアの当初の見立ては大誤算

ロシアのメディア・RIAノーボスチが、「ウクライナはロシアの手に戻った」「ロシア、ベラルーシ、ウクライナの3つの州が地政学的に単一の存在として行動している」「我々の目の前に新たな世界が生まれた」と、ロシアの「勝利宣言」を誤送信する「事件」が起きた。

プーチン大統領の軍事侵攻の目的がわかる内容だった。しかし、たとえ、苦心惨憺の果てにウクライナを制圧しても、ロシアの目指す「新たな世界」など絶対に出現しない。

要するに、東西冷戦終結後の約30年間で、旧ソ連の影響圏は、東ドイツからウクライナ・ベラルーシのラインまで後退した。だから、たとえ、ウクライナを制圧しても、それはリング上で攻め込まれ、ロープ際まで追い込まれたボクサーが、やぶれかぶれで出したパンチが当たったようなものなのだ(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第77回)。

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ロシアは、「進むも地獄、引くも地獄」という状況に陥っているのではないか。まず、緒戦の電撃的な攻撃でウクライナが降伏しなかったことが誤算だった。

ウクライナが徹底抗戦できたのは、ウクライナで自由民主主義が着実に根付いてきていたからだ。

ウクライナでの自由民主主義の
浸透の成果

2014年のロシアによるクリミア半島併合後、ウクライナでは汚職防止や銀行セクター、公共調達、医療、警察などの制度改革が実施されてきた。そして、民主的な選挙が実施され、政権交代で3人の大統領が誕生した(仲野博文『プーチンを暴走させた「ウクライナ・ロシア・ベラルーシ」の8年間の変化とは』)。

政権交代が頻繁にあり、ゼレンスキー大統領の支持率は約30%という状況をプーチン大統領は、ウクライナの政情が不安定と捉えていた。ロシアのような権威主義の国ならば、指導者への支持率は80%を超えたりする。ゼレンスキー大統領の権力基盤は脆弱だと判断した。

だが、言論、報道、学問、思想信条の自由がある自由民主主義では、国民の考えは多様だ。野党が存在し、指導者への対立候補が多数存在するものだ。指導者の支持率が約30%というのは、低いわけではない。むしろ、ウクライナでの自由民主主義の浸透を示すものだ。自由民主主義を一度知った人々は、それを抑えようとするものに決して屈しない(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第220回)。

それが、自ら銃を取って民兵となったウクライナ国民だ。

ロシア軍は約90万人(旧ソ連時代の5分の1の規模)で、ウクライナに展開しているのは15万~20万人だとされる。一方、キエフは人口約250万人の都市だ。徴兵制で、成人男性は皆、銃を扱える。彼らが民兵になれば、ロシア軍の数的不利は明らかだ。キエフの制圧は相当に困難だ。地上戦ではロシア軍は大苦戦し、士気が落ちているという。

プーチン大統領の最大の誤算がここにある。

presidents of russia and china visit far east street exhibition
Anadolu Agency//Getty Images
※写真はイメージです。

「進むも地獄、引くも地獄」
の苦境とは?

ロシアが置かれた「進むも地獄、引くも地獄」の苦境とはどのようなものか。まずは「進むも地獄」だ。

国連総会は、緊急特別会合を開催し「ロシア軍の即時・無条件の撤退」「核戦力の準備態勢強化への非難」などを盛り込んだ決議を、193カ国の構成国のうち141カ国の支持で採択した。2014年のクリミア併合時の決議への賛成は100カ国で、ロシアを批判する国の数は大幅に増加したということだ。

国際社会は、ロシアの主張をまったく信用しなくなった。例えば、ウクライナ南東部のザポロジエ原発で、火災が発生し、「ロシア軍が砲撃した」と批判された。それに対し、ロシアは「“ネオナチ”や“テロリスト”が挑発行為をしようとしてきた」などと主張している。何が真実はわからないが、国際社会はロシアが原発を攻撃したと決めつけた。さまざまな情報が飛び交う中、世界はウクライナを信じる。情報戦で、ロシアは完全に敗北しているのだ。

このまま、ロシア軍が地上戦の膠着した状況を打開するために、さらに地上軍を投入し、核兵器を使用したとする。ロシアの国際社会からの孤立は決定的になる「自殺行為」だろう。

さらに、国際貿易における資金送金の標準的な手段となっているSWIFTからロシアを排除する制裁措置が決定された。次第に絶大な効果を発揮することになるだろう(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第297回・p5)。

石油・ガスパイプラインが
「武器」にならないという誤算

SWIFTからのロシア排除の決定は、ロシアが石油・ガスパイプラインを国際政治の交渉手段として使えなかったことを示す(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第52回)。排除が実施されれば、ロシア経済の大部分を占める石油・天然ガスのパイプラインでの輸出の取引が停止し、ロシアは国家収入の大部分を失う。

取引相手である欧州は、コスト高に直面はするが、LNGを米国、中東、東南アジアからかき集められる。ジョー・バイデン米大統領とウルズラ・ファンデアライエン欧州委員長が、EUが約4割をロシアに依存する天然ガスについて、欧州への安定供給維持のために連携する方針を表明する内容の共同声明を出した。

また、バイデン大統領は、液化天然ガス(LNG)の有力産出国であるカタールを、北大西洋条約機構(NATO)非加盟の主要同盟国である「非NATO同盟国」に指名する考えを表明した。カタールに対して、欧州へのガス供給量の引き上げを期待している。

さらに、欧米のオイル・メジャーが次々とロシアの石油・ガス事業から撤退している。英BPは、19.75%保有するロシア石油大手ロスネフチの株式を売却し、ロシア国内での合弁事業も全て解消して撤退することを決定した。米エクソンモービルも、ロシア・サハリンでの石油・天然開発事業「サハリン1」から撤退、英シェルが「サハリン2」から撤退を表明した(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第90回)。シェルは、天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」、シベリア西部の油田開発などからも撤退する。

ロシアの石油・天然ガス開発は、歴史的に欧米のオイル・メジャーに依存してきた。メジャーが持つ掘削・採取・精製の各段階の技術、外国市場での販売ネットワークや資金力なしでは、ロシアの石油産業は成り立たなかったからだ(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第103回・p2)。

メジャーの撤退は、ロシアの石油・天然ガス事業の存亡に関わる事態となり得る。そして、ロシア経済そのものの崩壊につながりかねない(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第142回・p2)。

ウクライナ軍事侵攻により、
周辺国でも一挙に「ロシア離れ」

ロシアは、「NATOがこれ以上拡大しないという法的拘束力のある確約」を米国やNATOに要求してきた。だが、ロシアの軍事侵攻は、NATOの東方拡大を加速させている。

ウクライナがEUへの加盟申請書に署名した。また、ウクライナ東部の親ロ派支配地域と同じように、一方的に「独立」を宣言された地域を国内に抱えている旧ソ連構成国のモルドバとジョージアもEUへの加盟申請書に署名した。

この動きは、NATOの拡大につながる可能性がある。すでに、ウクライナとジョージアは、NATOが加盟希望国と認めている。モルドバはNATOの「平和のためのパートナーシッププログラム」に参加しているのだ。

また、NATO非加盟国のスウェーデンとフィンランドの世論調査で、NATOへの加盟の支持が初めて半数を超えた。ロシアのウクライナ軍事侵攻によって、欧州のNATO非加盟国のあいだで、一挙に「ロシア離れ」が加速したといえる。

さらに、ロシアの軍事行動がエスカレートすれば、ロシアを経済的に支援しているとされる中国、中立を保つインドなども、ロシアを見捨てざるを得なくなるかもしれない。

中国共産党が、プーチン大統領を
戦争に引き込んだと言う見方も

「引くも地獄」だが、プーチン大統領がロシア軍のウクライナからの撤退を決めれば、プーチン政権は崩壊の危機に陥る。大統領がアピールしてきた「大国ロシア」が幻想であることを国民が知ってしまう(ダイヤモンド・オンラインでの本連載 第142回)。大統領への支持は地に落ち、政権は「死に体」となる。大統領の失脚や暗殺を企てるクーデターも起こり得る。

紛争終結後にプーチン大統領が失脚する「ポスト・プーチン」がどうなるかを、今から考えておく必要があるのかもしれない。
 
気になる動きがいくつかある。ウクライナ紛争のきっかけとなった「ウクライナ東部独立承認」をロシア議会に提案したのが野党「ロシア共産党」だったことだ。ロシア共産党は中国共産党の強い影響下にあると指摘されている。中国共産党が、プーチン大統領を「進むも地獄、引くも地獄」の戦争に引き込んだという見方はあり得る。

また、ウクライナがロシアとの仲裁を中国に依頼したことも興味深い。ロシアと中国は親密な関係だが、ウクライナも「一帯一路」を通じて中国と深い関係がある。

本連載の著者、上久保誠人氏の単著本が発売されています。『逆説の地政学:「常識」と「非常識」が逆転した国際政治を英国が真ん中の世界地図で読み解く』(晃洋書房)

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中国は、ウクライナ紛争に静観を装っている、だが、すでにプーチン大統領を見限っており、「ポスト・プーチン」をにらんで紛争の仲裁に入り始めたら、自由民主主義陣営にとって深刻な事態となるかもしれない。

一方、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、仲裁役に名乗りを上げた。トルコはNATO加盟国で欧米の代理人といえる。だが、大統領は、権威主義的な国家運営で知られ、ロシアとも良好な関係である。自由民主主義か権威主義か、どちらに顔を向けて仲裁するのかわからない。

ウクライナ紛争は、ウクライナ国民の自由民主主義を守ろうとする行動によって、ロシアを「引くも地獄、進むも地獄」に追い込んだ。しかし、歴史を振り返れば「アラブの春」など、権威主義の指導者を失脚させた後、自由民主主義がもたらされず、混乱の中、よりひどい指導者が出現したことがあった。

「ポスト・プーチン」のロシアに、中国共産党の支援を受けた、プーチン大統領以上に権威主義的な指導者が出現するリスクがあるのかもしれない。米国とNATO、日本など自由民主主義陣営は、これに対抗する想定ができているのだろうか。

<参考資料>
ドミトリー・トレーニン(2012)『ロシア新戦略――ユーラシアの大変動を読み解く』作品社
『選択』
篠原常一郎メールマガジン『インテリジェンス・ウェポン』
追記 記事初出時より以下のように追記しました。
33段落目:一方、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、仲裁役に名乗りを上げた。トルコはNATO加盟国で欧米の代理人といえる。だが、大統領は、権威主義的な国家運営で知られ、ロシアとも良好な関係である。自由民主主義か権威主義か、どちらに顔を向けて仲裁するのかわからない。
(2022年3月8日9:32 ダイヤモンド編集部)
ダイヤモンド・オンライン