エリザベス女王の崩御を受け、視聴者数が急増した人気ドラマ「ザ・クラウン」シリーズ最新となるシーズン5がついに配信開始。そこでこれまで配信された各シーズンのエピソードの中から、おさらいするともっと楽しめる神回をセレクトしました。

※このドラマはあくまでフィクションであるため、文中の敬称はあえて外しています。 

ネットフリックス
©Netflix/Courtesy Everett Collection//Aflo

Season1 Episode7
「知識は力なり」

このエピソードは、エリザベス女王が「学歴コンプレックス」で落ち込むエピソードです。

中卒コンプレックスどころか、彼女は小学校すら出ていない。もっぱら家庭教師による王族用の教育に限られたため、謁見(えっけん)する政治家たちの話していることがわからず、自分の知識のなさに自信を無くしていきます。

「なんでちゃんと教育を受けさせてくれなかったの?」と母に迫るシーンは、世の中への無知に対する若き女王の恐怖がひしひしと伝わってきますが、「なんで私立中学を受験させてくれなかったの⁉ ダサイタマの荒れた公立中学に入れられて、まともに勉強できなかったんですけど⁉」と私が親を責めた15の夜を思い出し、激しく同情しました。そのとき、そのまま盗んだバイクで走り出さなかった自分を自分で褒めたいと思います。

エリザベスは、大学教授を家庭教師として雇って「学びなおし」を開始。今で言う、リカレント教育かもしれません。

素晴らしいのはこの家庭教師が、競走馬に関する深い知識を持っていることから彼女の知性の高さを見抜くシーン。彼は老獪(ろうかい=経験を積んでいて悪賢いさま)なウィンストン・チャーチルとやり合うための武器として、彼女が幼いころから修めた帝王学のひとつ、憲法の豊富な知識を利用することを提案します。そうして25歳のエリザベスは、73歳の高齢男性に自分を認めさせるのです。そのシーンの清々しさと言ったら…もうたまりません。

ですがこの学歴コンプレックスは、ここで完全に解決するわけではありません。その後、サッチャー首相と対立するシーズン4に響いてくるところが、本当にニクイところです。 

ザ・クラウン シーズン5
Netflix//Aflo

Season2 Episode9
「父として」

このエピソードは、チャールズ皇太子(現国王)がひねくれものになった理由をトム・エッジとピーター・モーガンなりに解釈した脚本になっています。

「自己憐憫(じこれんびん=自分で自分をかわいそうだと思うこと)に満ちた性格にチャールズが陥ってしまった理由は、2つの“いじめ”から」とする視点は実に新鮮です。ひとつは学校でのいじめであり、もうひとつは父親によるいじめです。

「チャールズは軟弱すぎる!」と父であるフィリップ王配は、自らの母校であり、厳格な教育で知られるゴードンストウン・スクール入学を強要します。案の定繊細なチャールズは心を病み、イートン校に転入することに。

ゴードンストウンからの帰り道(空路)、自ら操縦桿を握ったフィリップ王配がわざと乱暴な操縦をしチャールズを脅すシーンは、かつてゴードンストウンで新参者としてフィリップ少年をいじめた同級生の姿と重なり、「いじめを勝ち抜く」美談の背景に潜むトキシック・マスキュリニティ(周囲の人間や男性自身の人生を蝕む「男らしさ」の行動規範。「毒になる男らしさ」)の再生産を否応なしに感じさせられます。

結果、父フィリップ王配は、妹のアンをかわいがるようになります。するとチャールズは、大叔父のマウントバッテン卿や警護担当の男性に父親役を求めるようになり、二人はほぼ決別状態に。実の息子なのに、なぜこれほど執拗にいじめたのか? その本当の動機が明かされるのは、シーズン4の第1話36:00です。この伏線回収の仕方には舌を巻きました。

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Season4 Episode2
「バルモラルの関門」

王室をひとつの企業とするならば、シーズン4-2は合併した企業の新社長と新卒幹部候補社員らが比較される回と言えるでしょう。代々続く親族経営の財閥が新興企業に吸収合併された結果、そこで邁進するイケイケ社長として登場するのがマーガレット・サッチャーと言ったイメージを私は持ちました。そしてここで、経営者一族側の幹部候補として加わってきたのがダイアナといった感じです。

サッチャー(演じるのはジリアン・アンダーソン、あのスカリーFBI捜査官です)はシーズン4を通し、王族を前に「ばっかじゃねえの?」と言わんばかりの表情を崩しません。それ、相手に伝わってるよ? と注意してあげたくなるほどです。

一方でロイヤル・ファミリーは、サッチャーを値踏みします。どれほど王室のプロトコルを理解しているか? バルモラル城に招いて優雅度や洗練度を試した結果、最悪の評価となるのでした。

逆にこの試験に満場一致で合格してしまったのが、ダイアナ妃。跡継ぎの両親である女王&王配も、女性を見る目に長けた小姑アン王女も、「いいね!」を付けます。

同じバルモラル城で、このような「試験」を受けた全く異なるふたりの女性…、さて、どちらが幸か不幸か?この回には、傷ついた牡鹿がずっと何かのメタファーとして登場し続けます。鹿が最後にフィリップ王配によって撃ち殺され、吊るされ、解体されるシーンとダイアナ妃が一族に迎えられるシーンがオーバーラップする瞬間は、胸のざわつきが止まりません。その後、ダイアナがたどった道を考慮すると、「彼女は迎えられたのではなく、屠(ほふ)られたようなものだ…」と言いたくなる展開に胸が熱くなります。 

ザ・クラウン
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Season4 Episode7
「世襲の原則」

このエピソードは涙なくして観られません。王室が王室として存続するには正統性、信用性が要です。そのため、存在自体を葬り去られた人たちがいました。ジョージ6世が思わぬ形で突然国王となった際、エリザベスと妹マーガレットにとっては母方の従姉妹であるキャサリンとネリッサが障がいを持っているせいで家系から抹消され、当時の精神病棟に追いやられたことが描かれています。

こうした家系を「保護」しようとする行為は、“米国の王室”とも言えるケネディ家でもなされたこと。2015年ケイト・クリフォード・ラーソンの調査によって書かれた『ROSEMARY The Hidden Kennedy Daughter』によれば、ジョン・F・ケネディにはローズマリーという妹がいたのですが、障がいによって英国王室のキャサリンとネリッサと同じような道をたどっていたことが改めて暴かれました。

劇中でこの事実を暴くのは、年齢を経て公務も減少し、自身の存在価値を見失い、精神を病み、どん底に陥ったマーガレットです。これまで自信満々だった彼女が、ある意味「弱者」側へ転換したことを自覚したのでしょうか…彼女は、「弱者」ゆえに社会的に生きることを許されなかったまだ見ぬ従姉妹たちに思いを馳せる…。この展開には誰もがいろいろな意味で唸ってしまうこと、間違いありません。3回観て3回とも号泣しました。

そうして存在を消された2人の従姉妹の写真とともに、このエピソードの幕は下ろされるのですが、これが実にショッキングでやるせない気持ちにさせられます。それは国民が王室へ向ける羨望や尊敬のまなざし…そこにも「君臨するものにひとつの欠陥もあるべきではない」という完璧さを求める、無意識の差別が隠されていることをわれわれに突きつけます。

「メーガン妃への世間の苛烈な批判(しかも皆が、「正当な批判」だと信じているもの)の中には、人種的マイノリティに対する嫌悪感も含まれているに違いないのでは!?」、と反すうさせられる神回です。