クリント・イーストウッドの人生とキャリアをたどる【写真集】
俳優、そして監督として多くの偉業を成し遂げてきた男は、2020年で90歳を迎えました。この節目となる年に、彼の半生を振り返ります。
クリント・イーストウッドは、数え切れないほどの象徴的出演作を持つ男です。いくつかの西部劇作品を皮切りに、彼はハリウッドで最も心打たれる演技をこなす俳優・監督として、アカデミー賞でもいくつもの賞も受賞してきました。
そんな映画業界に計り知れない影響と貢献を与えた、彼の半生をここで振りかえってみましょう。
1930年:若きクリント・イーストウッド
1930年にサンフランシスコで誕生したクリント。イーストウッド一家は、大恐慌により転々とした生活せざるをえず、最終的にカリフォルニア州オークランドに定住しています。
1950年:軍に仕える
20歳で、朝鮮戦争に召集されます。彼はカリフォルニアの基地に送られ、1953年に休戦へと至ります。
1953年:ハリウッドに向かう
イーストウッドは、退任後にロサンゼルス・シティ大学に在籍し、友人に映画の出演をすすめられることに…。そうして徐々に、数々の役をもらえるようになるわけです。
1953年:結婚する
ロサンゼルスで働くモデルのマギー・ジョンソンと、ブラインドデート(友人の紹介などを通じて、知らない相手とデートをすること)で出会い、そして知り合ってからわずか6カ月で結婚します。
1954年:事務所と契約
ユニバーサルのスクリーンテストを受け、40週間の契約を交わします。その後、『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』や『半魚人の逆襲』などに出演していきます。
1955年:初の長編映画
1955年公開の映画『Francis in the Navy』で、初めて役名をもらったイーストウッド。主演までは行かずとも、ジョーニーという名の船乗りを演じています。
1956年:別の映画
約1年間、新たな仕事はありませんでした。が、その間にテレビで小さな役を受けていました。 1956年に映画『最初の女セールスマン』に出演します。
1956年:ユニバーサルと契約解除
ユニバーサルとの契約解除後も、意欲的だったイーストウッドは「ハイウェイ・パトロール」などのテレビドラマに出演します。しかし、最終的にプールを掘る仕事に転職します。
1959年:大ブレイク
1959年、長い下積み生活を経て、彼の人生の転機が訪れます。CBS放送局の新テレビシリーズである西部劇『ローハイド』に出演し、注目を集めていくのでした。
1960年:TVでの大成功
そうしてイーストウッドは人気テレビ番組『ローハイド』の、牛を大移動させるカウボーイ集団の副隊長ロディ・イェーツとして、人気絶頂期を迎えます。
1964年:夫婦生活の終わり
イーストウッドの『ローハイド』の共演者であるロクサーヌ・チュニスとの関係により、イーストウッドとジョンソンは別居することに…。
同年、ロクサーヌとの間に、娘のキンバー・チュニス・イーストウッドが誕生します。
1965年:スパゲッティウエスタンスター
「ローハイド」の制作中に、セルジオ・レオーネ監督のイタリアンウエスタンシリーズ映画(スパゲッティウエスタンとも呼ばれる)にも同時出演するイーストウッド。
この出演がきっかけで、米国だけでなく国際的な俳優へとステップアップしていきます。
1967年:看板役者
この年、イーストウッドは『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』の3つのイタリアンウエスタン映画に出演し、そのどれもが素晴らしい興行収入を記録します。
1968年:くっつき、離れて…
ジョンソンとイーストウッドは別居していたものの、1984年まで正式には離婚しませんでした。彼らはくっついては離れた関係を繰り返し、2人の子ども、カイル・イーストウッド(1968年)とアリソン・イーストウッド(1972年)が誕生しています。
1968年:初のアメリカ西部劇
イーストウッドは1967年に、自身の制作会社「Malpaso」を設立。この会社で彼は、初のアメリカンウエスタン『奴らを高く吊るせ!』を制作します。
1971年:『ダーティハリー』を制作
70年代初頭、のちにシリーズ化した『ダーティーハリー』の第1作に出演。犯罪を解決するためには、その手段を選ばないタフで冷酷な刑事ハリー・キャラハンの役をこなします。
この映画はセンセーションを巻き起こし、イーストウッド史上最も人気のある作品となりました。
1971年:父と息子
イーストウッドと3歳の息子のカイル。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフにて。
1972年:監督としての才能開花
『ダーティーハリー』の監督であるドン・シーゲルに、監督の仕事についてレクチャーを受けるイーストウッド。1971年公開の映画『恐怖のメロディ』以降、彼は自身が主演した作品を含め、数々の映画監督を務めるようになりました。
『恐怖のメロディ』に続いて、1972年には『荒野のストレンジャー』、1976年には『アウトロー』、1977年には『ガントレット』と続きます。
1977年:新しいロマンス
女優のソンドラ・ロックとイーストウッドは、映画『ガントレット』で知り合います。当時、彼はまだジョンソンと離婚していませんでしたが、イーストウッドはソンドラとともにロサンゼルスのベル・エアに引っ越します。そして二人の関係は、約12年続きました。
1978年:コメディのテスト
70年代に、イーストウッドはコメディーにも挑戦しています。1974年に『サンダーボルト』、1978年に『ダーティファイター』で主演を務めます。ですが、これらの映画は彼のキャリアにとっては寄り道だったようです。