記事に移動

有名映画の舞台裏で撮られた監督たちの写真が語ることとは

監督はディレクターズチェアから指示を出しているだけではありません。

By
2001 a space odyssey
Keith Hamshere//Getty Images

コンピュータグラフィックスまたは合成処理によって実写映像を加工するVFXが当たり前のように使用される現代の映画製作においても、監督のイメージ通りに映像を仕上げることは非常に難しいこと。しかしながら、いまも監督や思いついたり、脚本につづられた荒唐無稽な描写も実現に近づけることのできる前述のVFXなど、デジタルトリックがゼロだった頃にはもっと困難であったはずです。

そう、映画を成功させるには監督なかりでなく、アシスタントから照明、音声、大道具小道具、衣装などなど関係するあらゆる部署のスタッフ全員が一致団結しなければなりません。つまり、映画そのものが「奇跡の産物」と言っても過言ではないのです。そこで、名作映画の現場と監督を写した12枚の写真を通じて、これらの奇跡がどのようにして生まれたのかを見てみたいと思います。

1

オーソン・ウェルズ 監督『市民ケーン』 (1941年製作)

orson welles citizen kane
John Kobal Foundation//Getty Images

オーソン・ウェルズが共同脚本・監督・主演を務めた『Citizen Kane(邦題:市民ケーン)』は、1940年代における素晴らしい映画であり、一部の人々は史上最高の映画ととらえているようです。

この作品は当時のメディア界の巨頭や大富豪を組み合わせてつくり上げた架空のキャラクター「チャールズ・フォスター・ケーン」の半伝記映画で、非線形の語り口(時系列が入り乱れて描かれる物語技法)と当時としては挑戦的だった強烈な映像スタイルを取り入れていました。そしてその主人公ケーンは、ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたという話もあり、いろいろあったようですが…。

それでも第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞は受賞しています。

2

ハワード・ホークス 『ヒズ・ガール・フライデー』 (1940年製作)

his girl friday
Hulton Archive//Getty Images

監督のハワード・ホークスが、コメディ映画『HIS GIRL FRYDAY(邦題:ヒズ・ガール・フライデー)』の撮影中、主演のケイリー・グラントとロザリンド・ラッセルと共に座っている写真です。

この映画は当時としては画期的で、俳優たちに対してより有機的なやり取りで互いに言葉を交わさせ、好きなところで台詞をアドリブできるように促すといった、スピード感のある台詞回しが特徴でした。

3

ジョン・ヒューストン 『マルタの鷹 』(1941年製作) 

walter and john huston on maltese falcon set
Bettmann//Getty Images

伝説的な監督ジョン・ヒューストンがデビュー作である『The Maltese Falcon(マルタの鷹)』で、父親であり俳優のウォルター・ヒューストンの出演にあたって指示をしている様子です。

ヒューストンは入念な計画でこの映画を進めたとされており、シーンの構想についての詳細なノートやスケッチを脚本と一緒に使用していたそうです。

ADの後に記事が続きます
4

ビリー・ワイルダー 『深夜の告白』 (1944年製作)

stanwyck and wilder
John Kobal Foundation//Getty Images

この時期はフィルム・ノワール(映画ジャンルの一つで、裏社会や犯罪を描いた映画)の絶頂期であり、そんな中でこのビリー・ワイルダー監督の『Double Indemnity(邦題:深夜の告白)』はそのジャンルでも傑出した作品の一つと言えます。

撮影監督のジョン・F・サイツがベネシャンブラインド(横型のブラインド)を使って登場人物にライトを当てるといった、今やクラシックな撮影技法を導入したこともあり、この映画はのちのフィルム・ノワール作品に多大な影響を与えました。

5

アルフレッド・ヒッチコック 『サイコ』 (1960年製作)

on the set of psycho
Hulton Archive//Getty Images

この写真は、アルフレッド・ヒッチコック監督が傑作の一つであるホラー映画『PSYCHO(邦題:サイコ)』の撮影現場で、スレート(撮影の開始や終了を合図する板=カチンコ)を持っている様子です。

この映画で特筆すべきは、撮影監督ジョン・L・ラッセルの存在。アカデミー賞にノミネートされた彼の撮影技術は、この映画をさらなる高みに押し上げました。もしまだこの映画の予想外で驚くべき展開や結末を知らない場合は、ぜひご覧になってください。

6

デヴィッド・リーン 『アラビアのロレンス』(1962年製作)

lean films 'lawrence of arabia'
Columbia TriStar//Getty Images

この写真はロンドンのセント・ポール大聖堂での撮影の様子で、カメラ越しにちらりと見えているのがリーン監督です。この壮大な歴史的映画『Lawrence of Arabia(邦題:アラビアのロレンス)』はT.E. ローレンスの波瀾万丈な人生を基にしていますが、映画制作の過程で歴史的な事実や原作とは異なる展開や要素が追加され、映画独自のアプローチが取られました。

この映画はヨルダンやモロッコの砂漠、スペインのアルメリアとドニャーナなどでも撮影されました。

ADの後に記事が続きます
7

スタンリー・キューブリック 『2001年宇宙の旅』 (1968年製作)

2001 a space odyssey
Keith Hamshere//Getty Images

60年以上前の映画のネタバレになりますが、こちらは彼の野心的なSF超大作『A Space Odyssey(邦題:2001年宇宙の旅)』の驚異的なラストシーンの舞台裏です。

俳優たちの撮影が終わった後も、キューブリックと特殊効果担当のスタッフは宇宙船の精巧な模型や、あの「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」の“スターゲート”のシーケンスでの閃光など多くの印象的な映像技術を生み出し、この作品を完成させました。

8

ゴードン・パークス 『黒いジャガー/シャフト旋風 』(1972年製作)

shaft's big score
Michael Ochs Archives//Getty Images

伝説の監督であり写真家であるゴードン・パークスが、俳優のリチャード・ラウンドトゥリーを主演に、彼らの優れたブラックスプロイテーション(1970年代初頭にアフリカ系アメリカ人の文化や社会的なテーマを取り上げ、主にアフリカ系アメリカ人の俳優やクリエイターが関与した映画)犯罪映画『Shaft(邦題:黒いジャガー)』の続編となる、『Shaft's Big Score!(邦題:黒いジャガー/シャフト旋風) 』を撮影している一場面です。

この『シャフト』は大ヒットし、それを受けてパークスは新たな作品をつくるために約200万ドル(約3億円)の予算を得ました。そして、翌1973年には『Shaft in Africa(邦題:黒いジャガー/アフリカ作戦)』を製作しています。

9

フランソワ・トリュフォー 『映画に愛をこめて アメリカの夜』 (1973年製作)

jacqueline bisset and francois truffaut
John Springer Collection//Getty Images

高評価を得たロマンチックなドラメディ『La Nuit Americane(邦題:映画に愛をこめて アメリカの夜)』で、トリュフォーが主演のジャクリーン・ビセットにメモを渡して指示を出しています。

物語は映画セット上で展開され、コメディドラマの中にメロドラマが絡んでいます。ちなみにタイトルの『La Nuit Americane』とは、カメラのレンズに暖色系の光を遮断するフィルターをかけることで、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のこと指します。モノクロ時代に開発されハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、こう呼ばれたとのこと。英語では、「day for night」と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっていました。

ADの後に記事が続きます
10

シドニー・ルメット 『ネットワーク』 (1976年製作)

director sidney
Screen Archives//Getty Images

シドニー・ルメット(写真中央)が、ピーター・フィンチとウィリアム・ホールデンに指示を出している場面。

ネットワーク』は架空の系列局を舞台に、視聴率に踊らされるテレビ業界人の狂騒を痛烈に風刺した映画であり、脚本はテレビ局でドラマ制作の仕事をしていたパディ・チャイエフスキーによるものです。

11

イングマール・ベルイマン 『ファニーとアレクサンデル』 (1982年製作)

on the set of 'fanny och alexander'
Sunset Boulevard//Getty Images

『仮面/ペルソナ』や『第七の封印』で知られる伝説のスウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンが、撮影監督スヴェン・ニクヴィストと共に、1907年のスウェーデンにおける裕福な家庭に暮らす兄妹を描いた半自伝的な時代劇映画、『ファニーとアレクサンデル』の一場面を撮影しているところです。

12

ロバート・アルトマン 『ゴッホ』 (1990年製作)

film director robert altman
Micheline Pelletier//Getty Images

独特なスタイルやアプローチから、多くの批評家や映画愛好者によって高く評価された映画監督であるロバート・アルトマン。日本版編集長は、その中でも『ロング・グッドバイ』が好きと言っていますが、ここでは深追いしません。

彼はこの映画で、画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと「テオ」の相性で親しまれた彼の弟 テオドロス・ファン・ゴッホの生涯を描きました。アルトマンの息子スティーヴンはこの映画で、美術監督を務めています。

***

Translation / Yumi Suzuki
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

From: Esquire US

セレブリティ

topshot us entertainment film award oscars show

2024年オスカーで「I'm Just Ken」を歌うライアン・ゴズリング見てみてほしい件

トラビス・ケルシー、テイラー・スウィフト

【NFL】テイラー・スウィフトの恋人、トラビス・ケルシーについて知っておきたい15の事実

adam driver film

40歳 アダム・ドライバー 世代最高の俳優出演作ベスト5を選出

steve martin plays banjo on a stage in front of red curtain, he wears a gray suit with a black tie and white shirt, his glasses are black rimmed

意外な才能を持つ16人のセレブリティ

ADの後に記事が続きます
ADの後に記事が続きます