リバー・フェニックス、彼こそ90年代のアイコンだった
1993年10月31日、リバー・フェニックスはニューヨークのナイトクラブで、若くして命を落としました。享年23歳。その死によって、彼の足跡は神話となりました。ここでは、彼が残した大いなる遺産の数々をご紹介しましょう。
「昔はよかった…」などと口にする、昭和なオヤジの口癖はいまだに残っています。ですが実際には、科学技術や経済が発展した「今のほうが絶対いい」のではないでしょうか。なぜ、このような方は過去を懐かしみ、「昔はよかった」などと口にするのでしょう? それは記憶の美化とも、現状に対する不満とも言える現象に過ぎないとも思えます。
かつてマツコ・デラックスさんが、「最近のTVはつまらん」と現代を批判する中高年に対して、こんなことを言っていました。それは2018年6月に放映されたTOKYO MXのバラエティー番組、『5時に夢中!』の中のこと…。
「感受性が下がったからなのかは、分からないんだけど…。やっぱり自分に置き換えると、日ごろ楽しいと思って生きていないから、やっぱり仕事し出すと『苦しい』とか『面倒くさい』のほうが大きくなってくるじゃん。やっぱりそうなってくると、見える景色って変わってくるんだろうなって思うんだよね。昔は責任もなかったし、学生のころとかはさ…。だから、それが全てだったわけでしょ。音楽であったり、映像であったり、なんでもいいけれど。それが人生の主たるものだったわけ。そんときに受けている情報と、いまみたいな状況で受け取る情報って、そりゃ全然変わってくるよなって思うの…」とのこと。
歳を重ねると身体と同様に、何かにときめいたりする能力も弱まってくるのかもしれません。TV番組や、会社の後輩たちの仕事ぶりに文句を言ってしまうこと、それがその典型と言えます。目の前にある他人の努力に関しては感じにくくなり、かと言って若い頃の自分が経験したワクワク感だけは思い出せる…。それが、「昔のほうがよかった」という人の問題点とも言えるかもしれません。
そんな枕からここで
一挙に リバーの話へ飛ぼう
一挙に
とは言え、やはり過去は素敵に見えるものです。こと、それが人物であればなおさら。時間の経過によって、さらに美化されている可能性は否めません。理解していても…そんな人が「もし現代も存命であれば…」なんて考えれば、ワクワクしてしまうものです。
それは不平でも不満でもなく、その人が永遠不滅とも言える素敵なオーラを放ったまま、その衰退も見せずにこの世から去っていったからに違いありません。その最高潮のオーラのまま黄泉(よみ)の世界へと旅立った人の残像は、いつまでも素敵なままで経年変化も起こらないのですから…。むしろ、記憶のぼかしが紗幕となって、より美化されることだってあるでしょう…。
そのように現在、この世に存在していないことが悔やまれる男性はたくさんいます。その中でも、先日命日を迎えたリバー・フェニックスにここでフォーカスしてみましょう。80年代後半から90年代前半のトレンドを確認するための栞(しおり)とも言えるでしょう。彼は1970年8月23日に生まれ、1993年10月31日にこの世から旅立ちました。
現在では弟であるホアキンがハリウッドで活躍していますが、それ以前は兄であるリバーの時代でした。しかし、有望視されながらも23歳と2カ月を超えた頃、ニューヨークでの夜の外出中にオーバードーズ(Overdose=薬物の過剰摂取)に。 この歳で既に15本を超える映画に出演し、オスカーにもゴールデングローブにもノミネートされていました。
もし彼が生きていたら、8月に50歳となっていました。そんなリバーの生誕半世紀を記念し、彼が残した神話的な写真をいくつかレビューしてみましょう。彼がこの時代のスタイルアイコンでした。これらの写真は、2021年に向けた最高のインスピレーションとなるかもしれません。
それではリバーの肖像とともに、90年代にヒットした「グランジ (Grunge=ロック音楽のジャンルのひとつ。 『汚れた』『薄汚い』という意味の形容詞 "grungy" が名詞化した "grunge" が語源)」がもたらすアティチュードも堪能してください。もしかすると再び、「グランジ」ブームが復活するかもしれませんし…。
フェニックス一家の肖像
1983年頃、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるフェニックス一家の記念写真。向かって左から、妹のサマー・フェニックス、母のアーリン・フェニックス、弟のレイン・フェニックス、さらに弟のホアキン・フェニックス、父のジョンリー・フェニックス、妹のリバティー・フェニックス、そして本人、リバー・フェニックス。
ちなみにリバーが誕生した地は、オレゴン州マドラス。リバー・ジュード・ボトムという名でした。この「リバー」の名は、ヘルマン・ヘッセが釈迦の出家以前の名前を借りて、求道者の悟りの境地に至るまでの苦行や経験を1922年に書き上げた小説『シッダールタ』に登場する「川」の名に由来とされています。
家で弟ホアキンと共に
1985年頃にキッチンにて撮影。弟のホアキンとリバーが料理のつまみ食いをしています。
ちなみにリバーは、幼い頃からヒッピーである両親に連れられ、点々と引っ越しを繰り返しています。この頃の両親の考え方からカルト教団「神の子供たち」(現ファミリー・インターナショナル)への参加を余儀なくされていました。
また、両親の信念でもあったヴィーガン(完全菜食主義者)をリバーもつらぬき、飼い犬までヴィーガンを徹底していたということです。映画『スタンド・バイ・ミー』の宣伝のために来日した際、「そば屋に入ってそばを食べようとしたところ、そばつゆに鰹節が使われていることを知り、思わず箸を置いた」というエピソードもあります。
映画『スタンド・バイ・ミー』に出演
前述の映画『スタンド・バイ・ミー(Stand by me)』のワンシーン。向かって左からバーン・テシオ役のジェリー・オコンネル、クリス・チェンバーズ役のリバー・フェニックス、主人公ゴーディ・ラチャンス役のウィル・ウィトン(ちなみに大人になったときはリチャード・ドレイファスが演じています)、テディ・ドチャンプ役のコリー・フェルドマン。
1986年公開(日本では1987年)の映画で、第59回アカデミー賞脚色賞、および第44回ゴールデングローブ賞作品賞・監督賞にノミネート。また、ベン・E・キングが歌う同名の主題歌『スタンド・バイ・ミー』がリバイバルヒットしました。
映画『モスキート・コースト』に出演
前述と同じく1986年公開(日本では1987年)の映画『モスキート・コースト(The Mosquito Coast)』では、ハリソン・フォードとリバー・フェニックスが親子役で共演し、世界的な話題となりました。
映画『モスキート・コースト』での一場面
前述の映画『モスキート・コースト(The Mosquito Coast)』は、作家ポール・セローが1982年に発表した小説を原作に製作されたもの。アメリカの管理された文明社会を嫌悪する発明家、ハリソン・フォード扮するアリー・フォックスは、家族六人で中米のホンジュラスに移住します。そしてそこは、「モスキート・コースト」と呼ばれる未開の密林。
「何もない地に理想の生活を築き上げる」という父の夢を実現するため、強力する長男チャーリーを演じるリバーでしたが、次第に家族の信頼関係は崩壊していくのでした…。
映画『旅立ちの時(Running on Empty)』のロケ現場より
1987年8月3日、ニューヨークで映画『旅立ちの時(Running on Empty)』のワンシーンを撮影中のリバー。
ある日のポートレートセッションにて
1988年のある日、カリフォルニア州ロサンゼルスでポートレートを撮影中の中でのスナップ。ビデオカメラを持ってふざけたポーズをとるリバー。
映画『旅立ちの時(Running on Empty)』より
1988年、映画『旅立ちの時(Running on Empty)』で共演したマーサ・プリンプトンと一緒とともに。ちなみに監督は、シドニー・ルメットです。
コンサート「HumanRightsNow!」に出席
1988年9月21日、カリフォルニア州ロサンゼルスのロサンゼルスメモリアルコロシアムで行われた、アムネスティインターナショナルによる世界で人権侵害をなくすための運動の一環として開催されたコンサート「HumanRightsNow!」に出席するリバー。
第46回ゴールデングローブ賞に出席
1989年01月28日、第46回ゴールデングローブ賞にタキシードで出席するリバー。
このとき、出演作の『旅立ちの時(Running on Empty)』は映画部門の主演女優賞、監督賞、作品賞、脚本賞、リバーの助演男優賞にノミネートされていました。そして、脚本賞獲得しています。
「ロックアゲインストファー」慈善コンサートにて
1989年2月18日にニューヨークで開催された、動物の倫理的扱いを求める人々の会「PETA」による「ロックアゲインストファー」慈善コンサートに参加。
共にいるのは、俳優のケビン・ベーコンと映画『旅立ちの時(Running on Empty)』で共演したマーサ・プリンプトン。
第4回ミュージアム・オブ・ムービング・イメージにて
1989年2月28日にニューヨークの高級ホテル、 ウォルドルフ=アストリアで開催された第4回ミュージアム・オブ・ムービング・イメージ(アメリカ唯一の動画専門博物館)に出席するリバー。
第61回アカデミー賞ノミネート昼食会にセーターで出席
1989年3月21日、カリフォルニア州ビバリーヒルズのビバリーヒルトンホテルで開催された第61回アカデミー授賞式ノミネートランチョンに出席するリバー。
第61回アカデミー賞ノミネート昼食会にセーターで出席
前述のアカデミー賞ノミネート昼食会にフェニックスは、同時交際中のマーサ・プリンプトンを同伴しています。
第61回アカデミー賞授賞式にて
1989年3月29日、カリフォルニア州ロサンゼルスで開催された第61回アカデミー賞授賞式にタキシードで出席するリバー。隣は、当時たびたび一緒に登場する映画『旅立ちの時(Running on Empty)』での共演者マーサ・プリンプトン。
映画『バットマン』のプレミアにて
1989年6月19日、カリフォルニア州ウェストウッドのマンブルーインシアターで開催された映画『バットマン』のプレミアに出席するリバー。
美しいリバーの肖像
1991年のポートレートでは、髪と口ひげはブロンドへとブリートされていました。
ミュージシャンでもあったリバー
リバー・フェニックスは1991年3月14日に、ニューヨークのクラブ「Wetlands」で演奏しました。
映画『スニーカーズ』のワンシーン
1992年公開の映画『スニーカーズ』に、天才ハッカーであるカール・アボガスト役で出演したリバー。
ロサンゼルス国際空港にて
1992年11月24日、ロサンゼルス国際空港に到着した際におどけた表情でカメラマンに応えるリバー。ちなみにカメラマンは、リバーにとってなじみであり、世界的なパパラッチであるロン・ガレラです。