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エルヴィス・プレスリーの最愛の人、プリシラ・プレスリーの半生を貴重な写真でたどる
エルヴィスと付き合い始めた頃の話から、自宅でのプライベートな生活、そしてその先の話まで…。
音楽界の伝説エルヴィス・プレスリーが、生涯を通して婚姻関係にあった女性はただ一人でした。
1958年にアメリカ陸軍の徴兵を受け、2年間あまりの軍役を経て1960年に除隊。そして帰国後、映画出演にも励んだエルヴィスは1967年5月1日にラスベガスで、エルヴィスの駐西独アメリカ軍での所属部隊長の継子プリシラ・アン・ボーリューと結婚します。そうして彼がその生涯の幕を閉じる4年前の1973年まで、夫婦関係は続きました。
そんなプリシラは、エルヴィスの伴侶として世界的に知られ、彼女自身もまた、ハリウッドを象徴でもありました。音楽界の大スターの影でひっそりと生きることは容易ではなく、離婚後も自分自身を見つけるのに時間がかかったと言います。
彼女の苦悩や功績を知るには、その背景を理解する必要があります。そこで幼少期からエルヴィスとの結婚、さらにグレイスランド(エルヴィス・プレスリーの邸宅だった建物)を去った後の生活まで、プリシラの半生を写真とともにたどります。
1960年
本名プリシラ・アン・ワグナーは1945年5月24日、ブルックリンで生まれました。生後6カ月のとき、実父の海軍パイロット、ジェームズ・ワグナーが飛行機事故で死亡。母親が米空軍のポール・ボリューと再婚した後、彼女は幼少期をさまざまな基地で過ごしました。1956年に当時の西ドイツへと渡り、数年後にエルヴィスと出会うことになります。
1960年
1959年9月、プリシラがまだ14歳だったときに、彼女よりも10歳も年上のエルヴィスとあるパーティーで出会います。そのときのエルヴィスは兵役のためにドイツに駐留しており、そこで借りていた家がパーティー会場でした。
1960年
プリシラの母親アン・ワグナーと継父ポール・ボリューは、娘が10歳も年上の人と付き合うことを好ましく思っていませんでした。
「両親に交際を止めるように言われるたびに、私は泣きながら懇願し、両親も私自身も共に惨めな気持ちになりました」と、彼女は著書『Elvis and ME』に書いています。「今思えばエルヴィスに会うことを止められるものなど、何もなかったと思います」ともつづっています。
1960年
フランクフルト空港で、当時16歳のプリシラをエスコートする警察官。エルヴィスがグレイスランドに帰郷する際、彼女は別れを告げていました。
1960年
離れていても、2人は電話で連絡を取り合っていました。彼女が17歳になったとき、両親はある条件でアメリカへの移住を許可しました。それは「エルヴィスが結婚してくれること」でした。
1963年
1962年にエルヴィスと合流します。ですが、プリシラがエルヴィスを信頼することはそう簡単にはできなかったようです。
「エルヴィスに惹かれる女性は多いから、彼がひとりでどこかに行くときは私も緊張したわ。歯のクリーニングに一緒に行ったこともありますよ。世界中の誰もが彼を追いかけていたから、いつも目を光らせていたわ」と、彼女は『PEOPLE』誌に語っています。
1965年
1966年12月、エルヴィスがついにプロポーズをします。宝石商ハリー・レビッチによる3.5カラットのダイヤモンドの回りを20粒の小さめのダイヤモンドが取り囲んだ指輪でプロポーズしました。
「彼は、その指輪で私を驚かせてくれたんです。どんなものなのか、まったく想像もつきませんでしたが、彼はとてもいいセンスをしていましたので…。それから2人で1階へ降りていって、彼のおばあちゃんとお父さんに、指輪をはめた私の手を見せました。とても幸せな瞬間でした」と、彼女はラジオ番組「ワールド・カフェ」の取材で振り返っています。
1967年
1967年5月1日、ふたりはラスベガスで結婚式を挙げました。プリシラの妹ミシェル・ボーリューが、花嫁付き添いとして傍らに立ちました。
1967年
プレスリー夫婦がナイフを投入しているケーキ代は、なんと当時で3200ドルのお値段。その額を今日の値段に換算すると、およそ2万2000ドル(約2400万円)ほどとのこと。
6段重ねのデザートは、黄色いスポンジケーキにアプリコットジャムとリキュールフレーバーのクリームが塗られていました。
1967年
幸せそうに見える2人ですが、そこにはいくつかの問題もあったそうです。
2016年にプリシラは、エルヴィスに関する展覧会を訪れた際に、「(結婚の)始まりはとても難しかったけれど、若い頃に味わったからこそ、分かったこともありました」と語っています。
1967年
結婚後、プリシラは人前に出るのがつらくなったそうです。ですが、エルヴィスはそれに慣れていて、たくさんのアドバイスをしてくれたとのこと。
「彼はいつも私に、『気にするな...耳を貸すな、タブロイド紙も見るな』と言っていました」と、2016年の同展覧会で明かしています。
1967年
プリシラとエルヴィスの結婚式後、フランク・シナトラが2人に自家用ジェットを貸したというエピソードもあります。
披露宴の後、新婚夫婦はパームスプリングスの 「Honeymoon Hideaway(ハネムーン ハイダウェイ)」と呼ばれる豪邸でハネムーンを楽しみました。
1967年
エルヴィスの伝記書籍『Down at the End of Lonely Street』によれば、「実はエルヴィスはプリシラとの結婚を望んでおらず、彼女の父親が『(結婚しないなら)性的目的で未成年を州から連れ出した』という罪で逮捕させると脅した」という噂もあります。
1968年
1968年2月1日、結婚からちょうど9ヵ月後、2人の間に娘のリサ・マリー・プレスリーが誕生します。
1968年
リサ・マリーが生まれた後、ふたりの関係は悪い方向へ向かっていきました。プリシラは1985年の自伝『Elvis and ME』の中で、「(エルヴィスは)結婚前に、『子どもがいる女性と愛し合えたことがない』って言ってました」と明かしています。
1968年
そうして2人は、時間とともに距離を置くようになっていきます。
「私は、女性としての自分のセクシュアリティを疑い始めていました。私の肉体的、精神的な欲求は満たされなかったんです」と、彼女は『Elvis and ME』に書いています。
1970年頃
プリシラは結婚から数年後、エルヴィスとの誓いを新たにします。そうして2人の関係を修復しようと試みたのです。
1971年
ラスベガスで、歌手のトム・ジョーンズと談笑する夫妻。エルヴィスとトムは親交を深めていき、ハワイで一緒に休暇を過ごすこともありました。そしてプリシラも、長年にわたってトムと仲良くしています。
「彼女は僕の大切な友だちなんだ。60年代に彼女と出会って、それ以来ずっと友だちだよ」とトムは、2021年に『PEOPLE』誌に語っています。
1970年代頃
次第に両者共に、不倫をするようになります。エルヴィスは結婚前から浮気をしていたと言われていますが、プリシラは空手の師範マイク・ストーンと浮気をしていたことを認めています。
1973年頃
そうして1973年、夫婦は離婚を決意します。
「彼を愛していなかったから離婚したわけではありません。彼は私の人生の最愛の人でしたが、私はもっと世界を知らなければならなかったんです」と、プリシラはITVの『Loose Women』で語っています。