あなたの誕生年にハリウッドで輝いた主演男優は?名作映画とともに紹介
チャドウィック・ボーズマンからディカプリオ、マーロン・ブランド、ロバート・レッドフォードまで。1970年以降のハリウッドの歴代主演男優とその代表作、あなたの誕生年は誰が活躍していた?
ハリウッドで保証されていることが1つあるとするなら、それは「常に新しいスターが出現する」ということです。マーロン・ブランドやジャック・ニコルソンのような偉人から近年の新人まで、あなたが生まれた年にどの俳優が活躍していたのか、ここでご確認ください。
1970年:ロバート・レッドフォード(Robert Redford)
1969年公開の映画『明日に向って撃て! 』によって、1970年以降には「ロバート・レッドフォード」という名前は、世界的によく知られるようになりました。彼の名声とキャリアは、70年代を通して素晴らしいものへとアップグレードしていきまた。
1971年:クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)
「ダーティハリー」シリーズは、クリント・イーストウッドの俳優としてのキャリアに大きな影響を及ぼしています。1971年に初演されたこの作品は大成功をおさめ、シリーズ化もし、全5作がラインナップされています。
1972年:ビリー・ディー・ウィリアムズ(Billy Dee Williams)
彼は、1972年のヒット作『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』でダイアナ・ロスと共演し、一躍名を馳せます。その他にも、『ブライアンズ・ソング』や『マホガニー物語』などに出演し、70年代を通して活躍します。そんな中でもやはり、1980年の『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』で、ハン・ソロの友人ランド・カルリジアン役が最も有名かもしれません。
1973年:マーロン・ブランド(Marlon Brando)
マーロン・ブランドは、50年代と60年代にキャリアを確立しましたが、その後70年代に入るときにはハリウッドでアイコン化されてしまった俳優の1人になりました。しかし『ゴッドファーザー』(1972年)で復活すると、翌年1973年に彼は、映画業界におけるアメリカン・インディアンの扱いに抗議し、自身2度目のアカデミー主演男優賞を受賞しながらそれを拒否したことで、さらなる注目を集めました。
1974年:シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)
シドニー・ポワチエは70年代半ばまでに、アカデミー賞を受賞した最初の黒人としての歴史をすでに築いていました。この年、彼はカメラの裏側でも活躍し、『Uptown Saturday Night』で監督および主演を務め、新たな境地へと進んでいきました。
1975:ジェームズ・カーン(James Caan)
『ファニー・ガール』の続編、『ファニーレディ』でバーブラ・ストライサンド演じるファニー・ブライスと結婚するビリー・ローズを演じました。
1976年:ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)
1973年に『ミーンストリート』で初の主演デビューを飾った直後、ロバート・デ・ニーロは1976年に『タクシードライバー』でトラヴィス・ビックルという激しい役を演じました。デ・ニーロは、役づくりのためにタクシーの免許も取得したそう。この作品で、彼はアカデミー賞主演男優賞にノミネートされています。
1977年:ロジャー・ムーア(Roger Moore)
ロジャー・ムーアは1973年に、「007」シリーズの”2代目(※)”ジェームズ・ボンドとしてショーン・コネリーの役を引き継ぎました。ムーアにとって3番目の映画である1977年公開の『007私を愛したスパイ』は、彼にとって大きな人生の転機となるものになりました。その後ムーアは、さらに4本のジェームズ・ボンド作品に出演しています。
※(2023.11.16加筆)「””」を加えました。一般的に2代目ボンドとして映画に登場したのは第6作目『女王陛下の007』(1969)のジョージ・レーゼンビーですが、2代目として決定していたのはムーアであったことが本人により語られています。彼がプロデュースを務めていたTVシリーズのスケジュールと合わなかったことで、製作側はレーゼンビーを起用したものの1作で降板。その後再びオファーするも、折り合いがつかずに第7作でショーン・コネリーが復帰。そのため、ムーアは友人でもあったコネリーが確実にボンド役から降りることを確認したのち、正式に第8作目でようやくボンドとして登場しました。実は初代ボンド候補であったことも明かしています。
1978年:ライアン・オニール(Ryan O'Neal)
ライアン・オニールとアリ・マッグローが全米の心をつかんだ『ある愛の詩』の続編である、『続 ある愛の詩』が1978年に公開され、オリバー・パレット4世をもう一度演じています。
1979年:マーティン・シーン(Martin Sheen)
1968年に『その映画化作品』で名声を博した後、1979年に戦争映画『地獄の黙示録』でA級スターとして名演技を披露します。この作品には、ロバート・デュヴァル、デニス・ホッパー、マーロン・ブランド、ローレンス・フィッシュバーンなど名だたる俳優がそろう中、シーンは際立っていました。
1980年:ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)
ジャック・ニコルソンは、1969年にカウンターカルチャーの象徴的な映画『イージー・ライダー 』に、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーらと共に出演。オスカーにノミネートされています。しかし、ニコルソンが業界での地位を固めたのは、『シャイニング』のジャック・トランス役と言えるでしょう。背筋がゾクゾクとするような演技で、今も名作として語り継がれています。
1981年:バート・レイノルズ(Burt Reynolds)
この年、バート・レイノルズと彼の口ひげを、ハリウッド映画の世界で知らない者はいませんでした。彼のヒット作『キャノンボール』で、議論の余地もないほどの名演技を決めています。
1982年:リチャード・ギア(Richard Gere)
1982年のロマンチックなストーリー『愛と青春の旅だち』で、観客と共に相手役のデブラ・ウィンガーを席巻しました。この役でリチャード・ギアの名前は、ハリウッドの主演男優のリストのトップにしっかりと刻まれることになります。
1983年:ブラット・パック(The Brat Pack)
1985年の『ニューヨーク・マガジン』で書かれた映画『ブレックファスト・クラブ』の記事で、彼ら若手演技派集団の別称「ブラット・パック」は正式に聞かれるようになりました。この名称は日本においては、「ヤングアダルトスター」「YA(ワイエー)」などと呼ばれることもありました。1980年代にハリウッドの青春映画に出演していた若手俳優のことであり、中でも代表的な面子が、1983年公開の映画『アウトサイダー』に出演していた彼らです。
写真は左から、この作品に出演した、エミリオ・エステベス、ロブ・ロウなど多くの俳優がこの作品でキャリアをスタートさせ、高い評価を得ています。
1984年:ラルフ・マッチオ(Ralph Macchio)
ラルフ・マッチオは1984年の映画の名作『ベスト・キッド』に出演し、空手黒帯を獲得しようとするティーンエイジャーに大きな影響を与えました。もちろん、パット・モリタもその中で大きな役割を果たしています。
1985年:マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox)
マイケル・J・フォックスはこの年に、『バック・トゥ・ザ・フューチャ』ーで主役を演じ、彼の未来に大きな変化をもたらしました。この映画は、彼の人生で(そして映画界でも)最も成功した作品のひとつであり、ホームコメディのスターから映画スターまでフォックスでの素晴らしいキャリアの幕開けとなりました。
1986年:トム・クルーズ(Tom Cruise)
トム・クルーズの代表作とも言える、『トップガン』で海軍戦闘機パイロットとして、「マーベリック」という言葉がぴったりの男を演じた年です。
1987:マイケル・ダグラス(Michael Douglas)
『危険な情事』がリリースされた同じ年、マイケル・ダグラスは異なる作品『ウォール街』にも出演しており、オスカーで主演男優賞を受賞しています。この年、彼は数々の作品に出演し、多忙な生活を送っていました。
1988年:ハリソン・フォード(Harrison Ford)
「スターウォーズ」シリーズでハン・ソロ役として初出演後、彼は『インディ・ジョーンズ』で頑固な探検家を演じていました。
80年代後半までに、ハリソン・フォードは1988年の映画「ワーキング・ガール」に出演し、ロマンチックな役を演じることもできることを証明しています。
1989年:マイケル・キートン(Michael Keaton)
1989年に『バットマン』で主演し、偶然にも当時、時の女優だったコートニー・コックスと付き合っていました。