ファレル・ウィリアムスが、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のメンズ クリエイティブ・ディレクターとしてのデビューを飾るショー。それは、日暮れ時のフランス・パリのセーヌ川で、いつもと変わらぬ姿の「バトー・ムッシュ(セーヌ川を運航するクルーズ船)」への乗船から始まりました。
そこに来場する人々は、ルイ・ヴィトン側から「午後8時40分ちょうどに到着するように」と言われていました。2021年11月30日(日本時間では12月1日)にマイアミで行われたヴァージル・アブローを追悼する2022年春夏メンズコレクションのショーでは、ゲストはルイ・ヴィトンのモノグラムやロゴをあしらったクルーザー、「ヴァン・ダッチ(VanDutch)」でマイアミ・マリン・スタジアム跡近くの会場まで移動しました。ですが今回は、ロゴも何もない通常の遊覧船で、世界的観光地のセーヌ川を移動することになったのです。
ルイ・ヴィトン本社前にあるパリで現存する最古の橋「ポンヌフ」が近づくにつれ、「なぜセーヌ川を移動する必要があったのか?」、そして、「なぜ目立たないようにゲストを移動させる必要があったのか?」が明らかになってきました。ウィリアムスはポンヌフ全体を閉鎖し、橋そのものをゴールドのダミエ柄のランウェイに仕立てていたのです。
橋の舗装面にゴールドの箔をラッピングしたランウェイは、橋の片側がオレンジ色の照明パネルが設置されたステージとなっていました。そしてランウェイの両側に設けられた観客席には、ビヨンセ、ジェイ・Z、キム・カーダシアン、ゼンデイヤ、リアーナ(ルイ・ヴィトンの現在の広告キャンペーンモデル)、アニッタ、ラッパーのオフセット、ラテン系シンガーのマルマ、ジェイデン&ウィロー・スミスといった、これまでのファッションショーで見たことのないような豪華な顔ぶれで埋め尽くされていました。
デザイナーも多数来場し、ルイ・ヴィトンのレディース・コレクションのアーティスティック・ディレクターであるニコラ・ジェスキエール、ジバンシィのマシュー・ウィリアムズはもちろん、イヴ・サンローランの元クリエイティブ・ディレクター ステファノ・ピラーティに至っては、モデルとしてこのゴールドのランウェイに登場するというサプライズ…。
何か大きな催しが行われていることは明らかなものの、それがルイ・ヴィトンのコレクションショーであること、そして、これだけの著名人が薄明かりの中にひしめいていることなど、外部からは分かりません。こうした環境も大きく加わって、ウィリアムスと時価総額で欧州最大の企業LVMHグループにとって重要な節目となる瞬間は、他で味わうことなどできないほどの“繊細さ”と“親密さ”を感じることができました。
ウィリアムスのデビューは、2021年11月に前任者ヴァージル・アブローが急逝した後、多くの推測や憶測が渦巻く中で発表されました。アブローの死はビジネス界にとっても、ポップカルチャー界にとっても大きな衝撃でした。アブローは世界有数のファッションブランドであるルイ・ヴィトン初の黒人クリエイティブ・ディレクターとなった人物であり、彼が切り開き広げてきた世界は実に広大であり、彼を失った影響の大きさは計り知れないものでした。
2023年のバレンタインデーにウィリアムスがアブローの後任となることが発表されたとき、一部の人々は若干の戸惑いをもってこのニュースを受け止めたことでしょう。彼は自身のストリートウェアブランド「ビリオネア・ボーイズ・クラブ( BILLIONAIRE BOYS CLUB)」で成功を収めているものの、いわゆるデザイナーではなかったから…。「ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターという大役は、より伝統的な訓練を受けたプロのデザイナーか、少なくとも新進気鋭のデザイナーに任せるべきだ」との意見もありました。
言うまでもなくウィリアムスは、何十年間も複数の分野で八面六臂の活躍をみせてきたことは非常に有名です。またアブローの後任として、再び黒人クリエイティブ・ディレクターがルイ・ヴィトンのメンズコレクションを率いるということがいかに大きな意味を持つか? という事実は、無視できるものではありません。
ウィリアムスはその重みを自覚するとともに、この壁を打ち破った先駆者アブローへの感謝を表しました。コレクションノートには、「この瞬間を、私の前任者である偉大な人物、魂の中の私の兄弟に捧げます」と書かれていました。
またウィリアムスは、次のようにコメントしています。
「意図的に阻害され、不利な状況に置かれた文化の出身者は、自分に何ができるのを想像することすらできません。しかし、こうした状況は今、変わりつつあります。私たちの多くはある場所から別の肥沃な土壌へと移り、すべての魂が本来受けるべき待遇を受け、水を与えられ、太陽の光を浴びています。
このようなインパクトがあり、まだ十分とは言えないまでも変化は起きているのです。自分がその変化の一つとなっていることをとても光栄に思います。(中略)ルイ・ヴィトンはフランスのメゾンですが、彼らはまたアメリカに目を向け、やはり黒人を探し、私にその鍵をくれたのです」
コレクション自体は、多彩に展開された作品の中に“アブローイズム”と“ウィリアムスらしさ”の融合が見られるものでした。
新鮮かつ大胆なグラフィックでアレンジされたバーシティジャケットは、故郷バージニアビーチにあるプリンセス・アン・ハイスクールに通っていたウィリアムスのティーンエイジャー時代の思い出がモチーフ(アブローもバーシティジャケットを愛していました)となっているのでしょう。
ぼやけたピクセル画像のような「ダモフラージュ(ダミエ柄にカモフラージュ加工を施したもの)」アイテムが多く使用されていましたが、特にカーフレザーのロングブーツの秀逸さが目を引きました。この他、ミッドブルーとライトブルーを交互に配したダミエ柄のフレアデニムもありました。
また、鮮やかな色調のダッフルバッグのキーポルやクロスボディのスピーディは、ウィリアムスによれば「黄色から始まるシナスタジア(共感覚=ある感覚刺激から他の感覚も一緒に感じる現象)による表現」ということです(同じく共感覚を持つとされるビヨンセも、これはおそらくたまたまでしょう…同じカナリア色のウィリアムのルイ・ヴィトンのアイテムを着用していました)。
そしてルイ・ヴィトンのメンズコレクションのランウェイらしく、やはり目新しさ、斬新さは健在でした。その最たるものは、ゲストをこの会場に運んできた遊覧船「バトー・ムッシュ」そのものを模したモノグラム・キャンバスのバッグでした。ショーというこの瞬間の一部を切り取ってみせる手法であるのと同時に、新鮮でありながらアイデンティティが一目瞭然です。さらに、間違いのないアプローチを用いながらもウィリアムスらしさを伸び伸びと発揮していることを感じさせる…そんな圧倒的な存在感を感じさせるものでした。
source / ESQUIRE US
Translation / Keiko Tanaka
※この翻訳は抄訳です