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史上最高の「優れたセックス映画」15選【5位~1位】

「優れたセックス映画」、その条件とは何か? 読み解くランキング、いよいよ5位~1位の発表です。

By and Kevin Maher & Alex Hess
セックス映画
Michael Ochs Archives//Getty Images

セックスをすることについて最も比重を置いて物語っている映画であり、スクリーン上の肉体関係とヌードに対するわれわれの態度の変遷も垣間見られる、官能映画ランキング5位~1位をご紹介します。

15位~6位はこちら

『愛のコリーダ』 (1976)

愛のコリーダ
LMPC//Getty Images

30年代後半の東京で、旅館の仲居と主人との間に次第に激しくなっていく恋愛を描いたこの大島渚の映画では、あなたが想像できるほとんどすべての性行為と、あなたが望まない多くの性行為が詳細に描かれています。

この作品は、それなりに議論を呼びました。禁止令や追放令はあまりにも多く…。すべてを挙げることはできませんが、主なものは次のとおり。ニューヨークの映画祭で上映後、アメリカの税関で押収されたり、監督がわいせつ行為で4年間裁判にかけられたり、ポルトガルのブラガ大司教が「この映画の10分間で人生全体よりも多くのセックスについて学んだ」と嫌悪感を示したり…。

しかし大島のこの映画は、その露骨さと悪名高さで安っぽい衝撃を追い求めるものではありませんでした。その生々しいセックスシーンは、主人公の2人の関係の陰惨な破壊力をむき出しにしたものであり、そしてその淡々とした撮影が、セックスに奇妙な儀式性を与え、暴力が寝室に侵入し始めるにつれて映画には徐々に不吉なトーンを与えていくのです。

この時代設定は、決して偶然のものではありません。

第二次大戦前の日本は政治的に激動していただけでなく(世界大戦の危機、2月にはクーデター未遂、翌年には中国に侵攻)、厳格な家父長制と厳しい抑圧の場でもありました。恋人たちの関係を導く荒涼とした暴力的論理は、彼らが住む文化に対する批判として意図されたものです。

あるシーンでは、メイド(仲居)が通りを歩いているときに反対方向に軍隊が行進していく様子が映し出されます。それはセックスと残虐性の対比であり絡み合います。そして、強烈な所有欲・独占欲によって事態は悪化されていくのです…。

メッセージは明らかです。「社会の陰湿な残虐性はどこにでも現れ、官能の領域でさえも逃れることはできない」ということではないでしょうか。

大島は「わいせつ物頒布罪」で起訴された裁判の際、裁判官に向かってこう言ったそうです。「『わいせつ、なぜ悪い』と問いたい。“芸術”か“わいせつ”かという論争を一切拒否する。“わいせつ”は検察官の心の中だけにしかない」…つまり、「セックス自体は猥褻な行為ではなく、心の中に隠してしまっているがゆえに猥褻なものになる」と言っているのでしょう。

『ブロークバック・マウンテン』 (2005)

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Brokeback Mountain 2005 Trailer HD | Jake Gyllenhaal | Heath Ledger
Brokeback Mountain 2005 Trailer HD | Jake Gyllenhaal | Heath Ledger thumnail
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猥褻とはそれぞれの心の中に隠してしまっているもの――この言葉を別の角度で表現したと言っていい映画が、この『ブロークバック・マウンテン』です。ですが、これはハリウッドが初めて描いた「禁断の愛」(当時はこう表現していた)の物語とは言い難いものですし、最初のゲイ・ラブストーリーというわけでもありません。

ですが、アメリカが自らの破滅的な同性愛嫌悪に正面から向き合うことを余儀なくされた、最初のメインストリーム映画であったことは間違いないでしょう。

アン・リーのこの作品までは、少なくともアメリカの主流派の映画で同性愛が扱われることはほとんどなく、それらはぎこちないものでした。突飛なコメディ(『バードケージ』)や風変わりな小ネタ(『ドッグ・デイ・アフタヌーン』)以外では、同性愛は「大問題」というレンズを通して見られ、概して心温まる結末(『フィラデルフィア』『カラーパープル』)となっていたのです。

『ブロークバック・マウンテン』では、ハリウッドで人気の2人の若手俳優を、社会から抑圧され自己嫌悪に陥り、魂を破壊されるようなさまざまな状態に追い込まれた恋人同士に仕立てることで、王道とは異なる映画の方向性を打ち出したチャレンジ精神にあふれた映画と言っていいでしょう。そしてリー監督は、アカデミー賞で最優秀監督賞を見事受賞し、多くの人々の支持を得たのです。

重要なのはこの映画が、アメリカ社会が彼らにこれを強要しているという事実を隠すことなく伝えていることです。『ブロークバック・マウンテン』の舞台は過去になっていますが、それは現代と切り離せるほど遠い過去ではありません。その設定は実に軽快です。酒場でのディスコ時代を彷彿とさせるファッションやいかがわしい演出を除けば、ワイオミング州の田舎町という設定から、現代のアメリカでもその舞台設定は容易だったことでしょう。

やがて迎えるエンディング——。ヒース・レジャー演じる主人公イニスが、ジェイク・ギレンホール演じるジャックが残したシャツを抱きしめることでさしかかります。そこに父親から同性愛嫌悪の攻撃で殺された男の、切断された遺体を見せられた幼少期の記憶を回想するシーンも加わることで、胸が張り裂けるほどの思いになるはずです。

『ブロークバック・マウンテン』が西部劇の名作映画『シェ―ン』(1953年)など、ハリウッド映画によって有名になった辺境の地ワイオミング州を舞台にしているのも皮肉なことでもありすが…この映画に込められた心は、ハリウッドが持つものに勝るとも劣らないものと言っていいでしょう。

また、愛がすべてを制するというメッセージ(『天国は許す』)でもなく、尊い犠牲の物語(『ロミオとジュリエット』)でもなく、社会的タブーが善意とカリスマによって克服される物語(『恋に落ちたシェークスピア』『ダラス・バイヤーズクラブ』)でもありません。リーがこの物語に込めた思いは、高揚感やカタルシスも得ることのできない救いようのない物語であることが実に絶妙なのです。
 
「ゲイのカウボーイ」というタグが、常にわれわれの心を惑わすでしょう。そう、『ブロークバック・マウンテン』は明らかに西部劇ではありません。ですが、馬、つば広の帽子、中西部の広大な平原など、ハリウッドが好むジャンルの古典的な図式を通して描き出すリー監督の巧妙なトリックによって、われわれの心に染みわたるのです。

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『ブギーナイツ』 (1997)

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1997年、ポルノ製作者たちが「インターネット」が自分たちの業界に影響を与えるのではないかと考え始めたのとほぼ同じ頃、ポール・トーマス・アンダーソン監督は、セックス映画ビジネスにおける同じように重要なポイントを描いた映画を製作しました。この作品は、ハリウッドを変えるきっかけとなるにふさわしいものでした。 

この映画『ブギーナイツ』は、ポルノ映画が映画館からビデオに移行しつつあった時代のポルノビジネスを追った物語です。当初、登場人物たちはポルノ映画も「芸術なのだ」という希望を抱いているのですが、最後にはそうでもないことが明らかになっていきます。

しかしながらこの映画は、ディスコ全盛期の時代におけるポルノ産業の歴史を描くだけでなく、不可能と思われることを成し遂げています。それは業界の腐敗…ドラッグ、露骨なセックスが蔓延する世界の映画でありながら、一種独特の無邪気なトーンに満ちてもいるのです。

この作品は、アンダーソン監督を次の10年、さらにはその先の10年をも代表する映像クリエイターとして、ありえないほど才能豊かなクールキッズ集団(デヴィッド・フィンチャー、スティーブン・ソダーバーグ、デヴィッド・O・ラッセル、クエンティン・タランティーノらとともに)の一員であることを知らしめる作品となりました。

ポルノを題材にした映画をつくる場合、その表向きの顔の裏にある悲惨さや情熱のなさを露呈させることは簡単に思いつくでしょう。しかし『ブギーナイツ』は、そのような安易なストーリーを排し、職場で出会い、絆を深め、目まぐるしく変化する業界の波に若々しく乗っていく日常的な人々の物語を描いています。アンダーソン監督は「最も汚い業界」の裏側を描きながら、その中にいる人々の純真さと人間性、そして他の映画製作者と同様に、価値ある映画をつくろうとする姿勢を見せつけてくれました(それはまた明らかに、「男性視点以外の何物でもない」ということも明るみに出ているのですが…)。

『ブギーナイツ』は、「当時のポルノ産業を感傷的でない視線で検証した、『ラヴレース』(2013)や『DEUCE/ポルノストリート in NY』(2017-2019)『マッドメン』(2007-2015)や『ホルト・アンド・キャッチ・ファイア~制御不能な夢と野心』(2014-2017)のような映画やテレビ番組の土台を築いた」と言えるでしょう。

ポルノも他のビジネスと同様に、産業のひとつなのです。よってこの映画も、主人公エディーの成り上がり物語。彼は、金融産業を描いた『ウォール街』(1987)のバドであり、映画産業を描いた『バビロン』(2022)のマニーなのです。

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『Spanking the Monkey(原題)』 (1994)

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Spanking the Monkey trailer
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「母親を手に入れようと思いを伴った、父親に対して強い対抗心を抱く」という、幼児期におこる相対的な心理の葛藤「エディプス・コンプレックス」は、逃げ腰になってしまうほどタブー視されるものかもしれません。とは言え、メインストリームの映画では全く扱われてこなかった…というわけでもありません。

その多くは、ホラーというフィルターを通して描かれています。(『サイコ』の)ノーマン・ベイツや(『13日の金曜日』の)ジェイソン・ヴォヒーズのように、連続殺人鬼を生み出す背景として描かれました。その他にもサスペンス映画である『グリフターズ/詐欺師たち』(1990)、さらに『卒業』(1967年)では主人公の裏側にそれが見え隠れします。クリステン・スコット=トーマスの驚くべきカメオ出演する『オンリー・ゴッド』(2017年)、さらには家族向けの笑いの要素で描いた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)などにも…。

ですが、そのどれもがこの作品ほどにはうまくいっていません。後に『アメリカン・ハッスル』(2013)や『世界にひとつのプレイブック』(2012)で有名になるデヴィッド・O・ラッセル監督が低予算で仕上げたこのデビュー作は、1994年になんとか上映されました。それは、オタクな大学生の青春の夏休みの恋愛を描いたものです。

主人公のレイは不器用な学生で休暇で実家に帰るのですが、父親が無関心で不在のため、寝たきりの母親の世話をすることを余儀なくされています。最初は単に実用的な仕事(AからBまで彼女を運ぶなど)だったのが、すぐに全く曖昧な仕事(スキンクリームで彼女をなでる)になり、さらにそこから別のことにつながっていくというわけです。

近親相姦を明確に描いた作品でありながら、この映画はゆるく、冗談っぽく軽快ですが、決して奇をてらったものにはならず、無表情に語りながら、同時に奇妙な痛々しさを保っているのです。

レイ役のジェレミー・デイヴィスと母親役のアルバータ・ワトソンは、ふざけず、ストレートな演技を心がけ、自己嫌悪に陥りながらも、どんな形であれ安らぎを求めているキャラクターを描き出しています。

その結果、エクスプロイテーション映画とは違ったブラックなコミカルさを持つ映画に仕上がりました。ラッセルの映画は下品で安っぽい衝撃を与えるために素材を掘り起こすのではなく、両方の陣営に片足ずつ突っ込んだハートフルなコメディドラマであり、今日では決して作られることのない「20世紀的な」映画と言えそうです。

『君の名前で僕を呼んで』(2017)

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Call Me By Your Name | Official Trailer HD (2017)
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くりぬいた桃で性的快感を得る少年を主人公にした、“初”のハリウッド映画です…まぁそうでしょう、ほぼ間違いなく。

ルカ・グァダニーノ監督によるこの甘美なるホリデーロマンスが話題を呼んだ理由は、それだけではありません。北イタリアに滞在中のアメリカ人ティーンエイジャーと、その家族のもとに滞在している考古学専攻の大学院生との間の暫定的な関係の発展をたどる物語『君の名前で僕を呼んで』は、キャラクターやプロットと同じくらいムードと大切な青春の思い出についての映画です。

ですが、ティモシー・シャラメとアーミー・ハマーが夏の間、(イタリアの町)モスカッツァーノの陽光降り注ぐブドウ畑や石畳の小径を自転車で走り、時々立ち止まって採れたてのフルーツや即席の手淫を楽しむという、ジェットコースター的ではない静かな青春ロマンスという側面もあります。この映画全体が官能的な悦びそのものなのです。改めて観ると、セックスシーンがほとんどないことに逆に驚かされるでしょう。

ここで重要なのは、この映画が17歳の主人公の予期せぬ同性との恋愛を、切迫したアイデンティティの危機としてではなく、単にスリリングな戯れとして扱っているところです。彼がそれに流され、それが続く間は楽しみ、それが終わると悲嘆に暮れるというところなのです。ある意味、大抵のティーンエイジャーの休日の過ごし方と同じように…。

父親役のマイケル・スタールバーグが後半に、息子に対し「昔、同じようなことを楽しんだよ」と言い、青春を最大限に楽しむよう促す独白は少し鼻につくかもしれません。ですが、この映画の魅力は屈託のない感情や シニカルな表現を排除していることと言えます。

興味深いことに、監督は『君の名前で僕を呼んで』が「ゲイ映画」であるという考えを否定し、代わりに「どこから来てどの対象に向かっているかに関係なく、愛と性的欲望の目覚めについて描いている」と主張しています(同性愛の普遍化と言えば、それまでではありますが…)。

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From Esquire UK

※この記事は抄訳です

セックス映画
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