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名女優キム・ソヒョンにインタビュー:『ビニールハウス』胃を搔きむしられるような格差社会

若き才能イ・ソルヒ監督が這(は)い上がれないほどの韓国格差社会を描く秀作。『パラサイト 半地下の家族』の世界が“マシ”に思えるほど残酷な物語…と形容される本作公開にあたり、主演のキム・ソヒョンが語った“女優”をとりまく不条理の世界とは?

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kim seo hyungpinterest
masumi kojima

映画『パラサイト 半地下の家族』は、富裕層家族に“寄生”して生き延びる半地下に暮らす家族の物語。しかし、そこにすら暮らせない人が韓国には実際に存在します。畑の中のビニールハウスを住宅に暮らし厳しい生活を送る女性を主人公に、残酷な現実を描き、新人監督作にも関わらず釜山国際映画祭では3つの賞を獲得した驚愕の作品がついに日本に上陸します。

主演は「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」「Mine」という、いずれも世界的にヒットしたドラマの顔となった名俳優のキム・ソヒョン。俳優になるまでに体験した全てを注ぎ込んだ役柄と本作品の背景について、監督とともに答えてくれました。

映画『ビニールハウス』

green house kim seo hyung『ビニールハウス』
© 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

〈あらすじ〉
ビニールハウスに暮らすムンジョンの夢は、少年院にいる息子と再び一緒に暮らすこと。引っ越し資金を稼ぐために盲目の老人テガンと、その妻で重い認知症を患うファオクの訪問介護士として働いている。

そんなある日、風呂場で突然暴れ出したファオクが、ムンジョンとの揉み合いの最中に床に後頭部を打ちつけ、そのまま息絶えてしまう。ムンジョンは息子との未来を守るため、認知症の自分の母親を連れて来て、ファオクの身代わりに据える――。

絶望の中でとっさに下したその決断は、さらに取り返しのつかない悲劇を招き寄せるのだった――。

「半地下に暮らしたこともある」

김서형 東京 tokyo
masumi kojima

Esquire:ビニールハウスの住人を「特別な世界の人」として捉えたのか、それとも「身近にいる危機にさらされている人」として捉えたのか? 制作に取り掛かるまでの設定を教えてください。

キム・ソヒョン:私は地方から俳優になるためにソウルにやって来たとき、ビニールハウスとまではいかずとも、屋上*に暮らしていたことがありました。

半地下に暮らしたこともあります。ただ、この映画は主人公ムンジョンが本来の自分を探していく物語です。私はこの映画を、彼女がビニールハウス生活から脱出しようとしながら、自分個人の幸せを模索していく過程を伝える映画だと捉えています。

住居形態に目が向きがちになりますが、いくら暖かくて恵まれた家でも、そこに夢や希望がなければ意味がありません。表面的な形に囚われて、「強者」と「弱者」を分ける世相はもどかしく感じてもいます。不条理はどの階層にもあると思います。(生活は“マシ”でも問題を抱える)テガンやスンナムのようなキャラクターも、現在を生きる私たちの姿でもあり、不条理です。

*옥탑방 オクタッパン (屋塔房)=ビルなどの屋上に建てられた簡易住居を韓国ではそう呼ぶ。生活環境としては厳しく、その分家賃が安い。ドラマなどでは、貧しさの象徴として描かれることが多い。同様の住居形態は日本や台湾などにも存在し、多くの場合違法。漫画『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎のかつての住まいもこの形態。

(写真)東京にて。ポートレート撮影に応じたキム・ソヒョン

「私自身がビニールハウスの住人を特別視しているのではないか…と自問」

『ビニールハウス』イ・ソルヒ監督とキム・ソヒョン
masumi kojima

イ・ソルヒ:身近な家族、知り合いのなかにもいそうな人…そんな身近な雰囲気を描きたいと思っていました。私の親族・友人にもビニールハウスを住まいにしている家族がいます。

この作品は、ビニールハウスから抜け出そうとしている女性を描いています。実際に住んでいる彼らに「『ビニールハウス』という映画をつくったから観に来て」と招待することは、(感情的に)難しかったです。というのは、「私自身、その人たちを特別視しているのではないか」と懐疑的になったからです。ですが私は制作時には、友人でもある人々、その人たちの日常の姿を描きたいと思いました。

(写真)来日時、監督と東京にて

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「人間が理性を捨てて欲望へ突き進んだ場合どうなるのか」

ビニールハウス ポートレート写真 kim seohyung『ビニールハウス』
© 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

Esquire:アン・ソヨさん演じるスンナムは、なにがしかの知的障害をもっているように見えます。ですが、境界線上にいるようにも見えます。ムンジョンもまた、その線上にいる人と考えていいのでしょうか? おふたりは彼女をどのような人物として設定されたのでしょうか? 

イ・ソルヒ:「障害/非障害」の境界線は、もう少し明確に描くべきだったかとも思います。「シナリオを書くうえで役柄の定義は必要だ」と学んできましたから…それがなければ、「観客が理解できず受け入れられない」と。

当初はある程度、「役の設定は必要だ」と思っていましたが、スンナムはそういった定義から自由なキャラクターにしようというところから(脚本づくりが)スタートしました。私自身も、「もしある一定の検査を受けたら境界線上にあるのでは」と疑っていますし、キャストの方々にもたぶんそう捉えられていると感じています。

ムンジョンを描くうえでは、知能的な部分や何かの障がいを抱えていることを前提としませんでした。人間が理性を捨てて希望という欲望へ突き進んだ場合、どうなるのか?を考えキャラクターをつくっていったのです。

(写真)『ビニールハウス』より。スンナム(左)を演じるのはNetflix「ザ・グローリー ~輝かしき復讐~」でキーパーソンを演じたアン・ソヨ。

「人間は厳しい状況では現実を正確に直視できないこともある」

ビニールハウス イ・ソルヒ監督
masumi kojima

キム・ソヒョン:現代人なら度合いはどうあれ、「過度なストレスを抱えていますし、何か精神的な病をもっている」とまずは考えました。それをどのくらい自認しているのか、何を選択するかによって状況は変わってくると思います。

監督も「境界」について話していましたが、そのあいまいな部分はこの作品に参加することで間違えずにいられたと思っています。人は厳しい状況では、現実を正確に直視できないこともある…。何かが見えているのに見えていない状態というのは、誰しもにありうることです。

私はこの映画を観て、もどかしさを感じ、歯がゆい状況はどうにかならないのか? 不条理はなぜうまれるのか? なぜ、そんな風にしか物事を受け止められないのか? と思いました。ですが、私も若いころ上京してきて、俳優の仕事をしながら感じたのは「衣食住があるだけでは希望にはつながらない」ということです。

希望は内面とつながるものです。「選択」を描くこの作品で、ムンジョンはときに自分をたたえてみたりする一方で、自傷さえもしつつ、受け止めきれないときには気づかないふりをする曖昧な状況にあります。彼女がそうなるのは、ビニールハウスに住んでいるからでも病を抱えているからでもなく、現代人が抱えている――私たち全てが抱えているあるひとつの側面を見せているにすぎないのです。

(写真)来日時の舞台挨拶前、監督との2ショット

「制度の支援なくして、人はどこまで生き延びれるのか…」

ビニールハウス イ・ソルヒ監督とキム・ソヒョン
masumi kojima

Esquire:「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」では氷のように冷たい面と、もろく危うい面を見事に演じ分けられていましたが、今回もいつものクールビューティなイメージが想像できないほど別人のようでした。このような演技を構築するため、最も影響を受けた学びの場はどこだったでしょうか?

キム・ソヒョン:ありがとうございます。先ほどお話したように、私が屋上に住んでいたとき、冷ややかな視線に晒されたことがありました。

短いスカートを穿けば、性的なまなざしを受けることも含めてです。その視線から湧いてきた鬱憤や怒りがあって、それらが活かされたと思います。

でも、私の場合、幸運なことに自分の中にあった怒りが無駄に終わらず、ここまでたどり着く肥やしになった――どんな視線に晒されようと、自分が自分でいられたのです。

だから社会の中にさまざまな不条理がある場合、強者であれ弱者であれ救い上げる制度の支援なくして、人はどこまで生き延びれるのか…そんな疑問をずっと持ち続けています。

(写真)東京の街角で

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「依然として不条理の中に生きている。それこそが演技を続けている理由」

キム・ソヒョン 俳優
masumi kojima

キム・ソヒョン:「どうやって作品選びをしているのか」、と訊かれることもありますが、若い頃の経験が間違いなくプラスになっています。

かと言って、過去の経験にずっとこだわっているわけではないけれど、その経験を役を通じて人々に伝えていくことができると思っています。それには演じる人物の経験を客観視するのではなく、「私の経験」として一人称で受け入れること。それが私の演技の信条です。

若い頃からずっとある自分の痛みと同様に、役のそれを受け止め、細やかに感じ取り、探りながら出発していけるかどうか。それが作品選びの動機になっています。

今では生活環境はよくなりました。でも、依然として不条理の中に生きています。それこそが私が演技を続けている理由かもしれません。

(写真)東京にて

【プロフィール】キム・ソヒョン(Kim Seo-hyung)

キム・ソヒョン
keyeast

1973年10月28日、韓国、江原道江陵市生まれ。1994年、KBS公開採用タレントとしてデビュー後、「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」(2018-19)の入試コーディネーター役で大ブレイク。その他の出演作に『悪女/AKUJO』(2017/チョン・ビョンギル監督)、ドラマでは「誰も知らない」(2020)、「Mine」(2021)など。さらに角田光代原作で、宮沢りえ主演の同名映画のドラマ版リメイク「紙の月」(2023)の主役を演じる。

本作『ビニールハウス』では、第59回 大鐘賞、第32回釜日映画賞、第43回韓国映画評論家協会賞、第43回黄金撮影賞で主演女優賞を受賞し、韓国主演女優賞4冠に加え、第13回美しい芸術家賞独立映画芸術家賞、第31回大韓民国文化芸能大賞最優秀賞受賞、計6冠の快挙を成し遂げた。

【プロフィール】イ・ソルヒ(Lee Sol-hui)

ビニールハウス
© 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

1994年生まれ。成均館大学校で視覚芸術を学んだ後、『パラサイト 半地下の家族』(2019)のポン・ジュノ監督や『スキャンダル』(2003)のイ・ジェヨン監督らを輩出した名門映画学校、韓国映画アカデミー(KAFA)で映画監督コースを専攻。

初の短編映画『The End of That Summer』(2017)は第18回大韓民国青少年映画祭、第14回堤川国際音楽映画祭にて上映された。2021年には『Look-alike』(2020)が第22回大邱インディペンデント短編映画祭のコンペティション部門に、『Anthill』(2020)が第26回釜山国際映画祭のWideAngle部門にノミネートされ注目される。

初の長編映画『ビニールハウス』(2022)は、第27回釜山国際映画祭でCGV賞、WATCHA賞、オーロラメディア賞を受賞し、新人監督としては異例の3冠を達成。さらに第44回青龍映画賞、第59回大鐘賞映画祭で新人監督賞にノミネートされた。

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映画『ビニールハウス』

greenhouse directed by lee solhui
© 2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

韓国主演女優賞ほか6冠!

監督・脚本・編集:イ・ソルヒ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン、アン・ソヨ

公式サイト

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