1986年7月18日の午後、ミラノにある多目的スタジアム、アレーナ・チヴィカに現れた当時は実業家だったシルビオ・ベルルスコーニは、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』をバックにヘリコプターから舞い降りました。それはそれは、想像力豊かな登場でした。

ミラン、ベルルスコーニ
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元々、ベルルスコーニは1960年代から1980年代にかけて建設業と放送事業で財を成した実業家でした。

ベルルスコーニは数カ月前にミランを買収したばかり。このシーズンは彼にとって、初めてのプレシーズンでした。当時キャプテンを務めていたイタリアの名ディフェンダーのフランコ・バレージは、イタリア最大手の新聞「ラ・スタンパ」紙に次のように語っています。

「風向きが変わったことに気づいたんだ。夏にスペインのバルセロナでオランダの強豪PSVと対戦したとき、ベルルスコーニが相手チームにいたルート・フリットを観て、『コイツはミランのものさ』と言ってくれたんだ」。

革命は確かに始まっていました。でも、誰も最初は気づきませんでした。

「彼はそのピュアな情熱から、ミランを収したのは確かだ。勝利のたびに票は増えるであろう――でも、それは普通のことじゃないか」

後年ベルルスコーニはチームを集め、『政治家階級は、タンジェントポリ(※編集注:1992年から始まった政治の大規模な汚職事件捜査とそれに伴って生じた政界再編)によって破壊された…』と説明し、下院議員選挙への立候補を表明し政界に進出したのです。そうしてフォルツァ・イタリアを結党し、四期にわたってイタリアの首相を務めました。

ベルルスコーニ、ミラン
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近年のイタリアで最も成功した会長

ベルルスコーニが前オーナーからミランを引き継いだのは、1986年2月20日のことでした。当時のミランは破産寸前のクラブで、彼はギリシャ神話に登場するミダス王(編集注:触れたものすべてを黄金に変える能力で有名)のような存在であり、ミランの歴史上最も成功し、同時に最も長く在任(1986年~2017年の31年間)した会長となりました。

ベルルスコーニは自らを、「サッカー史上最も成功した会長」と呼ぶのが好きでした。それは、必ずしも真実ではなかったかもしれませんが、誰も公の場で彼に反論する勇気はありませんでした(少なくとも、「イタリアサッカー界で最も成功した会長」ではあったかもしれません)。

ベルルスコーニは、TVの生放送で当時監督を務めていたアルベルト・ザッケローニをクビにした男であり、ホテルで『ラ・ヴィ・アン・ローズ』の曲に合わせてルート・フリットにセレナーデをした男であり、1992年に当時の移籍金世界最高額となる1300万ポンド(約30億円)でジャンルイジ・レンティーニを獲得した男です。彼の在位期間は1986年3月24日から2017年4月13日までの31年間で、獲得したトロフィーは計29個に上ります(スクデット<国内1部リーグ優勝>8個、コッパ・イタリア1個、イタリアスーパーカップ7個、インターコンチネンタルカップ2個、クラブワールドカップ1個、UEFAスーパーカップ5個、UEFAチャンピオンズ・カップ5個)。

その成功は輝かしく、イタリアの有名記者マリオ・スコンチェルティは、「初めてユベントスに取って代わるほどの成功を収めたチーム」として惜しみない拍手を送りました。

ベルルスコーニ、葬式
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6月14日、ミラノのドゥオーモ(ミラノ大聖堂)で国葬が営まれました。
ベルルスコーニ、葬式
AGF//Getty Images
近年は白血病を患い、2023年4月に呼吸器の感染症で入院をしていました。そして6月12日、ミラノのサン・ラファエレ病院で息を引き取りました。

もしシルビオ・ベルルスコーニがミランではなく、同じ街のライバルのインテルを買収していたらどうなっていたでしょうか? 元弁護士のヴィットリオ・ドッティは次のように語ります。

「あれは1982年のことで、ロッソネリ(編集注:ミランのこと)のファンだったベルルスコーニですが、当時のインテルの会長だった繊維企業家イヴァノエ・フライッツォーリとの間に交渉を持ち掛けました。ところが、フライッツォーリ会長がインテルを売ることはなかったのです」

その4年後、ベルルスコーニはミランを買収します。彼はことあるごとにインテルへの興味を否定してきましたが、「コリエレ・デラ・セラ」紙には「気がつくとインテルの応援をしていた」と、その関心を認めています。もしベルルスコーニがインテルを手に入れていたら…。どうなっていたかはわかりませんが、ミランが「世界一のクラブ」にはなれなかったという未来が待っていたのかもしれません。

Source / Esquire Italy
※この翻訳は抄訳です