およそ50年前の1968年1月21日、冷戦がさらに冷え込むような事件がありました。

 4発の核爆弾を積んだ米国の爆撃機「B-52 ストラトフォートレス」が、グリーンランド北西部のウォルステンホルムフィヨルド(地球上でもっとも寒冷な地域の1つ)の海氷上に墜落したのです。グリーンランドはデンマーク領の島であり、デンマーク人たちは黙っていませんでした。

 この爆撃機(コールサイン「HOBO 28」)が墜落したのは、人的ミスが原因です。乗組員の1人が暖気口の前にシートクッションを複数置いたままにし、その後、このクッションに火がついたようです。

 煙は瞬く間に機内に充満し、乗組員は脱出を余儀なくされました。7人の乗組員のうち6人はパラシュートで無事脱出し、その後機体はチューレ空軍基地から約11km西の海氷上に墜落。この基地は米軍基地の中でも最北にあるもので、北極圏から1126km北に位置しています。

 そしてグリーンランドは、ワシントンDCとモスクワのおよそ真ん中に位置する島で、米軍にとって戦略的重要性があります。その重要性は非常に高く、米国は1946年にデンマークに購入を申し出たほどです。この申し出は失敗に終わりましたが、デンマークは米国の強力な同盟国として、チューレで米軍が空軍基地を運営することを認めました。

 1968年の墜落事故は、米国とデンマークの関係に著しい緊張をもたらしました。デンマークは1957年に非核化政策を打ち出しており、国内やその領地へのあらゆる核兵器の持ち込みを禁止していたためです。このチューレ事故により、米国がグリーンランド上空に核爆弾を搭載した飛行機を日常的に飛ばしていたことが明らかになり、この不法な飛行活動がフィヨルドに放射能汚染をもたらしました。

 放射能汚染が起こったのは、核弾頭が危険な状態に陥ったためでした。墜落の衝撃とその後の炎上によって核弾頭の安全装置が壊れ、放射性物質が放出されたわけです。しかし幸い、核爆発には至りませんでした。厳密に言えば、「HOBO 28」が積んでいたのは水素爆弾ですが…。

 その水爆は、広島と長崎に投下された2つの原子爆弾に比べて、はるかに強力な第2世代の核兵器です。日本に落とされた2つの爆弾は「核分裂(fission)」爆弾であり、巨大な原子(ウランやプルトニウムなど)がより小さな原子に分裂することでエネルギーを得るものです。

 一方、「HOBO 28」に搭載されていたのは「核融合(fusion)」爆弾であり、この爆弾は非常に小さな水素原子の核の融合によってエネルギーを得るものです。「HOBO 28」が積んでいた4発の水素爆弾「Mark 28 F1」は、広島に落とされた原爆の100倍近くの威力(爆発力は原爆の15キロトンに対しこの水爆は1400キロトン)を持ったものなのです。

 核融合爆弾は核分裂爆弾に比べて、はるかに大きなエネルギーを生み出します。例を挙げれば、広島に落とされた原爆と同じものがワシントンDCの国会議事堂に落とされた場合、ホワイトハウス(約2.4km離れています)が直接受ける損害はそれほど大きくありません。これに対し、水爆の「Mark 28 F1」がこの国会議事堂に落ちた場合、ホワイトハウスはもちろん、ワシントンDCのあらゆる建物が破壊されることでしょう(破壊的な爆発の半径は12kmにもなります)。2017年に水爆実験に成功したという北朝鮮の主張が世界的に、そして、米国が特に注目していたのはこのためです。

 墜落事故の後、「HOBO 28」の残骸と放射能の処理方法について、米国とデンマークの意見は大きく分かれました。米国は爆弾の残骸をそのままフィヨルドに沈めることを望みましたが、デンマークはこれを認めるはずもありませんでした。

 デンマークはすべての残骸を迅速に収集し、放射能汚染された氷とともに米国に運び出すよう要求。チューレ空軍基地の存続は危ぶまれていたため、米国はデンマークの要求に従いました。


 この作戦には、「クレステッド・アイス」というコードネームがつけられていました。

 ですが、残骸除去へのタイムリミットは刻々と迫っていました。冬が明けて春になれば、海氷が溶け始めて残っている残骸が、約240mの海底に沈んでしまう恐れがあったためです。
 
 作業開始後の現場の天候は最悪で、気温はマイナス24度、風速は秒速35mにも達しました。これに加え、太陽は2月半ばまで北極の地平線下に沈んでいたため、太陽光もわずかしかありませんでした。

残骸を探す清掃員たち
U.S. Air Force , CC BY
残骸を探す清掃員たち。

 米空軍のグループは凍結したフィヨルドを50人が並んで歩きながら、あらゆる残骸を徹底的に探したそうです。残骸の中には、飛行機の翼ほどの大きなものもあれば、懐中電灯の電池ほどの小さなものもあったとのこと。

 また、放射能汚染された氷の区画はガイガーカウンターやその他の放射線サーベイメータを使って調査されました。すべての残骸は集められ、汚染が見つかった氷は密閉されたタンクに積み込まれたそうです。墜落機のほとんどの残骸は見つかりましたが、もっとも憂慮すべきことに、ウランと重水素化リチウム(核爆弾のうち1発の核燃料成分)の円筒構造になったセカンダリー(第2段階)部分だけが出てこなかったのです…。この部品は、氷上の捜索や小型潜水艦による海底調査でも見つからず、現在もその場所はわかっていません。

 核燃料が入った円筒部品が失われたことは、困惑と不安をもたらしました。が、これは比較的小さな部品(ビール樽ほどのサイズで形も似ていました)であり、発していた放射能も放射線サーベイメータがほとんど検出できないレベルであったため、フィヨルドの底から見つけるのは非常に困難だったわけなのです。

 幸い、このセカンダリ「融合」ユニットはプライマリ「分裂」ユニット(プルトニウム)の起爆による誘発なしに、爆発することはありません。このため、この部品がどれだけ長い間海中に留まっていても、将来的に自然に核爆発が起こる可能性はないということです。

 そして、この残骸処理の成功は、米国とデンマークの関係修復につながりました。


 ですが、およそ30年後、チューレ事故はデンマークに新たな政治的スキャンダルをもたらすことになります。

 1995年に公開された事故当時の政府内部文書によって、当時のデンマーク首相であったH.C.ハンセンが、米国によるチューレでの核兵器搭載飛行に暗黙の了解を与えていたことが明らかになりました。チューレ事故には、デンマーク政府もある程度加担していたということが公表されたわけです。

 ちなみに2003年には、デンマークの環境研究者がこのフィヨルドを再訪し、この事故による残留放射能について調査を行いました。事故から40年が経った後にも底質や海水、海藻には放射性物質が残っていましたが、放射線レベルは極めて低かったと言います。

 チューレ空軍基地は、この数十年多くの物議を醸しながらも残っています。

 ですが、核兵器がもはや爆撃機によって投下されるものではなくなり、地上や潜水艦に配備される大陸間弾道ミサイル(ICBM)に変わっていったことで、この基地はますます軽視されつつあります。とはいえ、チューレ基地の爆撃機の役割は衰えながらも、ICBMのレーダー探知における重要性は高まっているのです。というのも、ロシアの核ミサイルが米国を標的にする際、北極経由の軌道は直行ルートとなるからです。

 そんなわけで2017年、米軍はチューレ基地のレーダーシステムに4000万ドル規模のアップグレードを施したのです。

 これはロシアによる核攻撃の脅威が高まったためであり、ロシアの北極への軍事進出への懸念も関係しています。チューレ空軍基地は現在も米国防衛にとって欠かせない基地であり、米国はグリーンランドの現状に関心を保ちつつ、デンマークとの良好な関係維持に日夜取り組んでいるのでした…。


Sorce / The Conversation.
From POPULAR MECHANICS
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。


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