岩肌を彫って建造された宝物殿や円形劇場が当時の記憶を今に色濃く残すペトラは、あるときを境に歴史から姿を消し、その後数百年間も忘れ去られていた謎多き都市遺跡です。必ずやこの地は、私たちをミステリーの世界へと誘ってくれることでしょう。血沸き肉躍る体験を求めて、一緒に非日常の世界へと旅に出てみませんか?

ヨルダンの地図
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有史以前からの歴史に満ちたヨルダン

ヨルダン川東岸に位置する中東の国、ヨルダン。イスラエル・サウジアラビア・イラク・シリアと国境を接し、その正式名称を「ヨルダン・ハシェミット王国」と言います。イスラム教の開祖ムハンマドの子孫であるハーシム家を王家とする立憲君主制の国家で、古くはオスマン帝国の一部でした。第1次世界大戦後にイギリスの委任統治下に置かれた後、1946年に独立を果たしました。

首都はアンマンで、日本からの直行便はありません。ヨーロッパを経由してアンマンまで合計10数時間のフライトの旅となります。今回訪れるペトラ遺跡は、映画『インディージョーンズ/最後の聖戦』の舞台にもなった古代都市で、1985年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されています。


見事な造形美を誇る
遺跡・古代都市ペトラ

 ヨルダンに遺(のこ)る長い歴史と、独自の文化に彩られた観光資源は圧倒的です。およそ25万年前の人間の営みの跡から始まり、旧約聖書に記された舞台が現代に伝える「古代時代」。

 ナバテア人が首都ペトラを築き、ローマ帝国支配下で繁栄を謳歌(おうか)したペトラ遺跡に代表される「古典期」。南から侵攻してきたイスラム教徒によって支配された7世紀以降の「イスラム時代」。ヨルダン各地には、こういった長い歴史の出来事が今なお遺されているのです。

エル・ハズネ
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映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のラストシーンに登場して、世界的に有名になった「エル・ハズネ(宝物殿)」。高さ40m、横幅28mという巨大なファサードを擁する壮麗な遺跡。まさに、ペトラのハイライトとして君臨しています。

古代ナバテア人の首都、
そしてローマ帝国時代の
壮大な空間

古代都市ペトラの栄華

ヨルダンの首都アンマンから南に240km、ペトラ遺跡は死海と紅海の中間に位置します。紀元前6世紀ごろ、遊牧民族だったナバテア人がこの地に暮らし始めました。そして、メソポタミア・エジプト・ギリシャ・インダスの古代文明を結ぶ陸の要衝(ようしょう)として発展を続け、ペトラの繁栄はローマ帝国時代にピークを迎えます。しかしその後の海洋貿易の発展により、栄華はかげりを見せ始め、4世紀以降に見舞われた2度の大地震でペトラは崩壊します。

7世紀にはイスラム軍が到来し、12世紀に入ると十字軍が砦を建設しましたが、その後は廃墟になりました。そして1812年にスイス人探検家、ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに再発見されるまで、なんと1000年を越す長きにわたってペトラは歴史の表舞台から姿を消してしまうのです。

シーク
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ペトラの入口からエル・ハズネへと約1.2km続くシーク(狭い岩山の裂け目のこと。うねった通路となり、ペトラの入り口からエル・ハズネを結んでいます)。道の両側には、水路跡や素焼きの水道管跡が残されています。

いざ「エル・ハズネ」へ

まずはペトラのビジターセンターで遺跡内の地図を入手して、太陽の光によって鮮やかに色合いを変える美しいシークを抜けてペトラを象徴する「エル・ハズネ(宝物殿)」に向かいます。シークとは狭い岩山の裂け目のことで、道の両側にそびえ立つ崖は70〜100mほどの高さです。

およそ1.2km続くシークの岩肌には、ナバテアの神々や碑文が多く彫り込まれ、下部には水路や素焼きの水道管の跡が残っています。古代ナバテア人は、紀元前からペトラに給水と治水の設備を完備させていたのです。ペトラの東にあるアイン・ムーサの泉を主な水源として、ここから導水路を使ってペトラの中心部に水を供給していました。

30分ほど歩いてシークを抜けると、壮麗(そうれい)な「エル・ハズネ」が姿を現します。高さ40m、横幅28mという巨大なファサードを擁するこの建造物は、紀元前1世紀にナバテアの王アレタス4世の命によって建設されました。

一番上には納骨壺が彫られ、銃撃された跡が見えます。

これはここに、古代エジプトの君主ファラオの宝物が隠されていると信じたベドウィン(砂漠の住人を意味し、アラブの遊牧民族を指すことが多い)たちの仕業だと伝えられています。この場所が実際に宝物殿だったかは不明で、ファサードに彫られた装飾に“死”に関わる神々が多いことから、葬祭殿や神殿など諸説が存在しています。

「エル・ハズネ」から右方向に進むと、岩肌に多くのファサードが並ぶ「ファサード通り」に出ます。40を超える墓が連なる場所で、通りだけではなく背後の岩山にも多くのファサードが並びます。さらに道なりに進むと、およそ5000人が収容可能だったという「ローマ円形劇場」が姿を現します。これは紀元前1世紀ごろに建設されたもので、背後の岩壁には多くの洞窟があり、この中に遺体を安置していたとされています。エンターテインメントに使われていたのではなく、葬儀などの儀式のために設けられたという説が有力です。

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見るものすべてがミステリー

ローマ円形劇場前の大きな水路跡に沿って進むと、ジャバル・フブサ山の岩壁に多様なファサードを持つ岩窟建築が並ぶ「王家の墓」が見えてきます。ペトラ有数の規模を誇る巨大な墓群で、こちらも墓だけでなく神殿、宮殿など諸説が飛び交っています。

さらに道なりに進むと、大理石が敷き詰められた「柱廊通り」に入ります。広大な市場跡や大神殿跡、西端にはローマ皇帝トラヤヌスの凱旋門が残るこの柱廊通りは古代ペトラの中心地だった場所です。凱旋門を過ぎると、右手にペトラで最も重要な神殿とされる「カスル・アル・ビント」が遺されています。紀元前30年ごろに建設された、「ナバテア人の神・ドゥシャラを祭った神殿だ」と伝えられています。

王家の墓
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さまざまなファサードの複合体のような様式が印象的な、「王家の墓」。右から「壺の墓」「シルクの墓」「コリント式の墓」が並び、その先には「宮殿の墓」「フロレンティヌスの墓」が続いています。いずれの墓も紀元前1世紀前後に建造されています。

ここからペトラ最大規模の建造物である「エド・ディル(修道院)」までは、急勾配の坂道と800段を超える階段を登り、1時間弱の距離があります。渓谷に建つ「エル・ハズネ」に比べるとシンプルな装飾のファサードですが、ペトラ最奥地の山頂にそびえる「エド・ディル」の存在感は圧倒的です。内部は一間の広い部屋があるだけで、正面には祭壇らしきものがあり、壁には十字架が彫られています。「エド・ディル」の正面には休憩用のカフェが設けられ、その後方の小高い丘を登ると絶景のビューポイントが…。眼下に広がる歴史を超えた手つかずの原風景は圧倒的です。

カスル・アル・ビント
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ペトラで、最も重要な神殿とされている「カスル・アル・ビント」。紀元前30年ごろの建造物で、神殿の高さはおよそ23m。手前には、コリント式円柱や生贄(いけにえ)を捧げたと伝わる祭壇が残されています。

幻想的な夜のペトラ

夜のペトラ遺跡の雰囲気が満喫できる「ペトラ・バイ・ナイト」は、キャンドルが照らされた「エル・ハズネ」前の広場で行われる幻想的なイベント。甘いチャイが配られ、ベドウィンの伝統的な音楽が演奏されます。演奏が終わると、「エル・ハズネ」が淡い明かりでライトアップされます。月曜・水曜・木曜のみ開催され、昼間の入場料とは別途料金が必要となります。シークの両側にある行灯に従って、照らされた順路を進み「エル・ハズネ」に向かいます。暗闇の中を歩くシークの雰囲気がなんとも神秘的で、開催日にはかなりの人で混み合います。

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「ペトラ・バイ・ナイト」で、薄っすらとライトアップされたエル・ハズネ。シーク内からエル・ハズネの前まで、約1500本のロウソクの明かりで灯して古代ペトラを実感する夜のイベント。エル・ハズネ前では伝統的なベドウィン音楽が演奏されます。

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連載第2回 [ワディ・ラムと死海を巡る旅]へ続きます。