カリフォルニアを縦断するように走る「パシフィック・コースト・ハイウェイ(PCH)」こと、州道1号線。風光明媚な景観が多く続く太平洋の海岸線を車で巡るロードトリップは、素晴らしい出会いとの連続です。

この連載では、「PCH」沿いにある注目のエリアを紹介しながら南部の都市サンディエゴ近郊の街テメキュラ(Temecula)からカリフォルニアを北上し、メンドシーノ(Mendocino)の街を目指します。

およそ1000kmにわたるロードトリップ。ワイルドなアトラクションや、地域のテロワール(その土地および風土が擁する個性)を反映した個性的なワイナリー、味わい深いオールドタウンに、心癒されるビーチタウンなど偉大なる寄り道をしながら、レイドバックしたカリフォルニアをゆる~く紹介していきます。

【Vol.3】
カールズバッド→オーシャンサイド→サンクレメンテ

これはThird partyの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

今回は、Vol.2でご紹介したラ・ホヤの街からI-5のフリーウェイで北上。カールズバッド(Carlsbad)とオーシャンサイド(Oceanside)という小さな街を経由して、アンティークなスパニッシュ・コロニアル様式の建築物が続くサンクレメンテ(San Clemente)へ向かいます。


海辺のスパニッシュ・ビレッジ

サンクレメンテまでの道中には、カールズバッド、オーシャンサイドという風光明美なビーチタウンがあり、海岸線にはアメリカの国有鉄道・アムトラックの線路が続きます。オーシャンサイドを過ぎると街らしい街はなくなり、車窓いっぱいに雄大な太平洋の眺望が広がります。

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写真上:オーシャンサイドのピア。写真下:カールスバッドにある1887年に建てられた歴史的な邸宅。地域のランドマークとなっています。
sitting at the pier
©Studio One-One//Getty Images
オーシャンサイドにある木製のピア。ローカルな雰囲気で居心地の良いスポットです。
オーシャンサイドの巨大なヨットハーバー
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オーシャンサイドは巨大なヨットハーバーでも有名です。

スパニッシュ・コロニアル様式の建築物が建ち並ぶサンクレメンテの街は、ロサンゼルス大都市圏最南端の街で、穏やかな佇まいの通りにはブーゲンビリアが咲き誇り、ビーチ沿いには無数のヤシの木が並びます。スパニッシュな装いとこぢんまりとした街の規模が、どことなく地中海沿いのリゾートを思わせます。

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サンクレメンテのランドマークとして知られる、1928年に建造されたサンクレメンテ ピア。

目抜き通りのエル・カミノ・リアルから急勾配の坂道を下って海岸線に近づくと、坂の途中からまるで海に浮かんでいるかのような長い桟橋が見渡せます。ビーチに隣接する通りを歩くと、赤瓦の屋根にクリーム色の漆喰の壁、ウッディなドアや飾り窓などでデザインされたお洒落なレストランやショップが軒を連ねています。通りの下のビーチ沿いには大陸横断鉄道アムトラックの駅があり、列車を降りると、すぐ目の前にビーチと桟橋が続います。

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急勾配の坂道は美しいビーチに続き、ビーチ沿いにはアムトラックの駅があります。

サンクレメンテの夕暮れ時の楽しみは、なんといってもワインとシーフードです。桟橋の入り口にある「フィッシャーマンズ・レストラン&バー サンクレメンテ(Fisherman's Restaurant and Bar San Clemente)」のテラス席に座り、サンクレメンテの夕暮れの海風に当たりながら、Vol.1でご紹介した近隣のワインカントリーのテメキュラから届く冷えた白ワインで生ガキを味わいます。空の色が紺色に染まり、海岸線に立ち並ぶヤシの木がシルエットになる頃には、店内のバーに移って赤ワインで黄昏のひとときを満喫しましょう。

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サンクレメンテ桟橋の入り口にあるレストラン「フィッシャーマンズ・レストラン&バー」。

一人の男の夢が凝縮された海の街

サンクレメンテの桟橋から街を眺めると、左側の丘の上にスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式で建設された瀟洒(しょうしゃ=上品にあか抜けているさま)なヴィラが見えます。これはオレ・ハンソン(1874-1940)というサンクレメンテの街の創設に尽力した人物が1927年に建てた邸宅「カーサ・ロマンチカ」で、現在は「カルチュラル・センター・アンド・ガーデンズ」として一般公開されています。ハンソンは下院議員を経て、後にワシントン州シアトルの市長も務めた政治家であり、辞任後の1925年にカリフォルニア州オレンジカウンティの南端に広大な土地を購入して、サンクレメンテの建設に着手しました。

 
MediaNews Group/Orange County Register via Getty Images//Getty Images
1927年に建設されたオレ・ハンセンの邸宅「カーサ・ロマンチカ」。鍵穴の形を下ドアが有名。

ハンソンはこの地域の快適な気候、美しいビーチ、肥沃な土壌が住人たちにとって天国のような場所になると確信し、スペインの地中海沿いに点在する小さなリゾートタウンを思い描きながら街の建設を行いました。名称は同州にあるチャンネル諸島の南端に位置するサンクレメンテ島にちなんで、「サンクレメンテ」と名づけました。

そして、将来の街の開発においてもスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式を保持し、赤瓦屋根と白い外装をサンクレメンテのコミュニティ文化の特徴とすることを決定するのです。そのおかげで、現在のスパニッシュ・テイストに包まれた穏やかな街が生まれることになりました。市のスローガンはずばり、「海辺のスペイン村」となっています。

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「カーサ・ロマンチカ」のメインビルディングの内部。はめ込み式のタイルと白いアーケードが印象的。
 
MediaNews Group/Orange County Register via Getty Images//Getty Images
カーサ・ロマンチカの中庭。強い陽射しが中庭に影をつくり出し、美しいコントラストを描きます。

ハンソンは1927年に、建築家のカール・リンドボムに太平洋を見下ろす家族のための邸宅の設計を依頼します。スパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式の7ベッドルーム、7バスを擁する邸宅で、当時としては最高級の材料を用いて斬新なデザインが施されました。これが「カーサ・ロマンチカ(CASA ROMANTICA)」です。アーケードからバルコニーに出ると、サンクレメンテの海岸線と素晴らしい太平洋の眺望が目の前に広がります。そして街に建設された多くの建物が、規模はさまざまですが、この様式をパターンとして取り込んで開発が進んだのです。

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「カーサ・ロマンチカ」のアーケードから望む太平洋の眺望。

サンクレメンテは1928年に正式に市として法人化され、ハンソンはその後も街にさまざまな公共施設を建設していきました。ビーチクラブ、コミュニティセンター、そして街の象徴でもある桟橋。そして、これらの建造物はすべてが市に寄贈されました。ハンソンの不動産ベンチャーは順調に推移していましたが、大恐慌が襲いかかります。

ハンソンが描いたマスタープランはここでつまずき、所有していた不動産など資産のほとんどを失ってしまいます。そして1934年には、バンク・オブ・アメリカにカーサ・ロマンチカを差し押さえられ、最終的に彼はカリフォルニア州サンバーナディーノに移ります。そうして1940年に、妻と10人の子どもたちを残して亡くなりました。現在カーサ・ロマンチカは、「カーサ・ロマンチカ・カルチュラル・センター・アンド・ガーデンズ(CASA ROMANTICA CULTURAL CENTER AND GARDENS)」に改名され、文化センターとしてサンクレメンテ市によって運営されています。

サンクレメンテはオレ・ハンセンという1人の人間が思い描いた設計図によって、現在でも「海辺のスペイン村」というスローガンは健在で、このスパニッシュな雰囲気が漂う穏やかな街は、アメリカ人の間でも有数の人気観光地となっています。

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次回は、パシフィック・コースト・ハイウェイをさらに北上して、オレンジカウンティの花形ビーチであるラグナビーチ、ハンティントンビーチ、ニューポートビーチを訪ねます。

Text & Photo / Hidehiko Kuwata
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)