カリフォルニアを縦断するように走る「パシフィック・コースト・ハイウェイ(PCH)」こと、州道1号線。風光明媚な景観が多く続く太平洋の海岸線を車で巡るロードトリップは、素晴らしい出会いとの連続です。

この連載では、「PCH」沿いにある注目のエリアを紹介しながら、南部の都市サンディエゴ近郊の街テメキュラ(Temecula)からカリフォルニアを北上。メンドシーノ(Mendocino)の街を目指します。

およそ1000kmにわたるロードトリップ。ワイルドなアトラクションや地域のテロワール(その土地および風土が擁する個性)を反映した個性的なワイナリー、味わい深いオールドタウンに心癒されるビーチタウンなど偉大なる寄り道をしながら、レイドバック(のんびり)したカリフォルニアをゆる~く紹介していきます。

【Vol.4】
ラグナビーチ→ニューポートビーチ→ハンティントンビーチ

42 マイルにわたって海岸線が続くオレンジ・カウンティへ

これはThird partyの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

通称「The OC」と呼ばれるオレンジ・カウンティ。日本ではなんと言っても、「ディズニーランド」とメジャーリーガー大谷翔平選手が所属する「エンジェルス」があることで有名ですが、ここは南カリフォルニアを代表するビーチシティが並ぶ風光明美なエリアです。南からラグナビーチ、ニューポートビーチ、ハンティントンビーチとパシフィック・コースト・ハイウェイ上に続き、それぞれに異なる魅力的なカルチャーを擁しています。


手つかずの自然が残るアートの街、ラグナビーチ

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Hidehiko Kuwata
ラグナビーチは、白砂のビーチが約11km続く圧巻の美しさです。

サンクレメンテからI-5(インターステイト5号線)で北上し、映画『ビッグ・ウェンズデー』の舞台にもなったダナポイントの手前でパシフィック・コースト・ハイウェイに入ると、間もなく美しい海岸線が車窓に広がります。

ここからおよそ45分でラグナビーチに到着です。およそ11 km続く美しいラグナビーチの海岸線は、30 を超える風光明美な入り江やビーチで構成され、すべての生態系を保護するカリフォルニア州海洋保護区の一部となっています。

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写真上:ラグナビーチには、素晴らしいブティックホテルが建ち並びます。写真下:古くから多くのアーティストが移り住んできたラグナビーチには、街中にアートギャラリーが点在しています。

眩しく輝く白い砂浜、そして切り立った崖と建ち並ぶ瀟洒な家々。ラグナビーチはいわゆる高級住宅街ですが、街に気取った雰囲気はなく、かつてのカウンターカルチャーをお洒落に発展させたような上品で自由な雰囲気が漂います。

古くからさまざまなアーティストがこのエリアを気に入って定住するようになり、20世紀初頭のラグナビーチには300人ほどの人口がありましたが、そのうちの約半分がアーティストだったと言われています。

1918 年、アーティストのエドガー・ペインがこの街にアートギャラリーを開設します。このギャラリーが、後に州内でも初期の美術館の一つに分類される「ラグナ・アート・ミュージアム」となるのです。

現在、ラグナビーチのダウンタウンには、ユニークなショップや素晴らしいレストラン、太平洋を一望できるカフェがたくさんあり、また街の活気に満ちたアートシーンを反映して有名なアートギャラリーも多く点在しています。

Bette Davis Estate @1991 Ocean Way, Laguna Beach
これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
1991 Ocean Way, Laguna Beach | Full Length
1991 Ocean Way, Laguna Beach | Full Length thumnail
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1940年代後半には、ベティ・デイビスやメアリー・ピックフォード、ジュディ・ガーランド、チャーリー・ チャップリンなどのハリウッドスターが、ラグナビーチに家を構えました。

中でもベティ・デイビスは、1929年にラグナビーチの南側にあるウッズコーブにイングリッシュ・チューダー様式の家を建設し、現在は歴史的建造物として登録されています。煙突には装飾された「D」という大きな文字があり、ここはラグナビーチ訪れたら必見の場所です。

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Las Brisas:61 Cliff Dr, Laguna Beach, CA 92651

夕暮れが訪れたら、ラグナビーチの海岸線に位置する「Las Brisas(ラ・ブリザス)」 でディナーです。鮮やかな太平洋の夕景を眺めながら、伝統的なメキシカンテイストのトルティーヤや濃厚なサルサ、新鮮な魚介類などの素晴らしい料理を満喫しましょう。

豪邸が建ち並ぶ、ニューポートビーチへ

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ニューポートビーチは、「ニューポートビーチ・ピア」と「バルボア・ピア」という二つの桟橋がある活気に満ちた洗練された街です。それぞれの桟橋の周辺は、独自の雰囲気が漂う個性的なエリアとなっています。ニューポートビーチ・ピアはさまざまなアクティビティで賑わいます。バーやカジュアルなレストランもたくさんあり、旅行者だけではなく、ローカルの住人たちも多く集まる街の賑わいの中心となっています。

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ニューポートビーチの住宅地のほとんどは、ゲートで囲まれた高級コミュニティ。
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ニューポート・ピアの入り口と魚市場「ドリー・フィッシング・フリート」の入り口。

ニューポート桟橋の脇には1891 年に設立された「ドリー・フィッシング・フリート」という魚市場があります。ここではカニやロブスター、ムール貝やエビなど、真夜中に漁に出かけるドリー船の漁師たちが水揚げした新鮮な魚介類が販売されています。日の出前にこの市場に来て現金を持って行列に並び、新鮮な魚介類を購入する人たちも多いのです。

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多くのヨットやボートが行き交うニューポートベイのハーバー。

現在のニューポートビーチは、バルボア、ニューポート、ベイなどの名を持つ8つのアイランド(人工島含む)から構成されています。かつて、ハーバー周辺は造船や大規模な漁業で栄えていました。現在のニューポートハーバーは、主としてレクリエーションスポットとして使用されており、ボート、カヤック、ウォーター サーフィン、パドルボードなどのウォータースポーツアクティビティに利用できる施設が整っています。

ニューポートビーチの住宅地のほとんどは、ゲートで囲まれた高級なコミュニティです。中でもバルボア半島のすぐ近くに位置する「ベイアイランド」は、ニューポートビーチで最も物価の高いエリアの一つ。この小さな島には、海の美しい景色とプライベートビーチを擁する 30 戸未満の小さなコミュニティがあります。

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ニューポートビーチのランドマーク「バルボア・パビリオン」。

ニューポート・ピアから車で5分ほど南西方向に進むとバルボア・ペニンシュラ・パークに到着し、海側に進むとバルボア・ピアが現れます。ピアの反対側にはニューポートビーチのランドマークであり、1906年に建造された「バルボア・パビリオン」が建っています。かつてはボートハウスや浴場などが設けられ、コンサート会場などにも使用されました。ビッグバンド全盛時代にはベニー・グッドマンはじめ、多くのジャズマンがここに出演しました。ニューポートビーチで最も古い建物であり、カリフォルニアで現在も使用されている最古のウォーターフロントのレクリエーション施設の一つとなっています。

Surf City, USA、ハンティントンビーチ

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ハンティントンビーチの中心、パシフィック・コースト・ハイウェイとメイン・ストリートの交差点。

ハンティントンビーチの通称である“サーフ・シティ”とは、1963年にデュオグループのジャン&ディーンがリリースした曲のタイトルで、全米No.1ヒットとなり、初のサーフソングとして認知されました。

この曲を書いたのは、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンとジャン・ベリーで、ブライアンが曲の出来栄えを気に入らなかったため、その後サーフソングの代表格となるビーチボーイズではなく、ジャン&ディーンによるリリースへと切り替わった逸話が残されています。

Surf City - Jan & Dean 1963
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NEW * Surf City - Jan & Dean {Stereo} 1963
NEW * Surf City - Jan & Dean {Stereo} 1963 thumnail
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デュオの片割れであるディーンは、1991年にハンティントンビーチに移住してきました。そして、この街が正式に“サーフ・シティ”と呼ばれるようになるために、街の役人たちに働きかけを始めます。ところが、サーフ文化が根強いサンタクルーズ(カリフォルニア州中部の都市)と“サーフ・シティ”という商標紛争となり、訴訟へと発展してしまいます。が、2008年に「Surf City, USA」という公式商標が正式にハンティントンビーチに認められたのです。

約14kmにわたって美しいビーチが続くハンティントンビーチは、サーフィン文化に彩られたカリフォルニアのビーチライフスタイルの象徴的な街と言えるでしょう。

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長さが約564mのハンティントンビーチ・ピアは、西海岸で有数の長さのパブリックピア。

1920年代初頭に、ハワイ出身の伝説的な水泳選手兼サーファーであるデューク・カハナモクがハンティントンビーチにサーフィンを紹介します。彼はすでに、水泳ではオリンピックメダリストに数回輝いた実績のある選手でした。

カハナモクの尽力もあって、その後サーフィンの人気はカリフォルニア各地のビーチタウンに広がり、1959年には第1回全米サーフィン選手権(現在のThe US Open of Surfing)がここハンティントンビーチで開催されました。翌1960年にはこの大会がテレビ放映され、ハンティントンビーチは“サーファーたちの楽園”として国際的な注目を集めるようになります。

orange county register archive
MediaNews Group/Orange County Register via Getty Images//Getty Images
ニューポート湾の東に位置するコロナ・デル・マーで、サーフィンを楽しむデューク・カハナモク。近代サーフィンの父と称されます。

ハンティントンの広くて白いビーチは、連なる浅い砂州が青い太平洋に徐々に落ち込んでいます。これが海のうねりを呼び込みサーフィン可能な波を形成するのに役立ち、あらゆるスキルレベルのサーファーたちが自分に適した波を見つけることができるというわけです。

そして最適なサーフスポットは、デューク・カハナモク自身も頻繁に波に乗った桟橋に隣接したエリアとされています。現在ハンティントンビーチには、サーフィン業界の世界的企業が本拠地を置き、世界のサーフィンの歴史やデューク・カハナモクのサーフボードなどが展示された「ハンティントンビーチ・インターナショナル・サーフィン・ミュージアム(Huntington Beach International Surfing Museum)」、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムのサーフィン版とも言える「サーフィン ウォーク オブ フェーム」などがあり、サーファーにとってはまさに聖地のような場所となっています。

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メインストリートには、ハンティントンビーチのサーフカルチャーを象徴するようなバーが軒を連ねています。

ハンティントンビーチには、毎年1100 万人を超える観光客が訪れます。サーフィンだけではなく、遊歩道に沿ってサイクリングを楽しんだり、メインストリートに軒を連ねるボヘミアンな雰囲気のバーやレストランでくつろいだりと、自分のスタイルで滞在を満喫できる街となっています。

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次回は、ロサンゼルス・エリアを駆け抜けるパシフィック・コースト・ハイウェイ沿いの街を訪れます。

Text & Photo / Hidehiko Kuwata
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)