カリフォルニアを縦断するように走る「パシフィック・コースト・ハイウェイ(PCH)」こと、州道1号線。風光明媚(めいび)な景観が多く続く太平洋の海岸線を車で巡るロードトリップは、素晴らしい出会いとの連続です。
この連載では「PCH」沿いにある注目のエリアを紹介しながら、南部の都市サンディエゴ近郊の街テメキュラ(Temecula)からカリフォルニアを北上。メンドシーノ(Mendocino)の街へと目指します。
およそ1000kmにわたるロードトリップ。ワイルドなアトラクションや地域のテロワール(その土地および風土が擁する個性)を反映した個性的なワイナリー、味わい深いオールドタウンに心癒やされるビーチタウンなど偉大なる寄り道をしながら、レイドバックしたカリフォルニアをゆる~く紹介します。
【Vol.7】
サンタバーバラ→サンシメオン(ハーストキャッスル)
古き良きカリフォルニアの空気が漂うセントラルコースト。サンルイス・オビスポ・カウンティはその中心に位置する、風光明媚(めいび)な景観と広大なワインカントリーに囲まれたエリアです。そこで今回は、その中にあるサンシメオンという美しい海岸線の街を目指します。
ここはかつて新聞王と呼ばれ、メディアコングロマリット「ハースト・コーポレーション」の創業者でもあるウィリアム・ルドルフ・ハーストが育った町。彼はこの美しい海岸線を見下ろす丘の上に、膨大な資金を投じて豪華絢爛(けんらん)な城を建設しました。それが「Hearst Castle(ハーストキャッスル)」です。完成後は妻と別居してここで愛人と暮らし、ハリウッドスターや政財界の要人をここでもてなし、まさにメディア王としての生活を謳歌(おうか)したのでした。
ハーストが築いた栄華――ハーストキャッスル
サンタバーバラからUS101号線を北上すること約2時間。サンルイス・オビスポという街に到着します。ここはサンフランシスコとロサンゼルスのほぼ中間点に位置し、セントラルコーストと呼ばれるエリアの中心となる街です。この街からカリフォルニア1号線(PCH)に入り、海岸線を北上すると40分ほどでサンシメオンという美しい海辺の街に到着します。
ここの海岸線が一望できる丘の上には、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが、1920年代に建造した豪華絢爛(けんらん)な城「ハーストキャッスル」がそびえています。自身のビジネスのピーク時には複数のラジオ局や映画会社に加えて、28の新聞と18の雑誌を所有していたハーストが、贅(ぜい)の限りを尽くして築いた自らの栄華の象徴とも言える住居です。
約8000平方メートルという広大なハーストキャッスルの敷地内には、二つの城と三つのゲストハウス、ローマスタイルの豪華な屋内プール、大理石の屋外プール、そして当時は動物園とエアポートも擁していました。建築は“地中海リバイバル様式”と呼ばれるルネサンス期のスタイルで、「カーサ・グランデ」と呼ばれる主城は「ハーストがスペインの断崖絶壁の街ロンダで見た教会をイメージしたもの」とされています。
カーサ・グランデの内部には、寝室・書斎・図書室・映画室・遊戯室・食堂など115もの部屋があり、あらゆる部屋にハーストが収集した2万点にも及ぶ絵画やアンティーク調度品で飾られています。
ハーストは遠くに海を望む丘からの眺望を気に入り、城の建造を計画しました。設計にはハースト社のいくつかのビルを手掛けてきた女性建築家ジュリア・モーガンが携わり、1919年に着工しています。城が完成するとハーストは妻とは別居し、当時の愛人だった駆け出し俳優マリオン・デイヴィスと暮らし始めます。そしてチャーリー・チャップリン、ケーリー・グラント、クラーク・ゲーブルなどの親しい俳優やハリウッドの映画関係者、ウィンストン・チャーチル、チャールズ・リンドバーグ、バーナード・ショーなどの政財界の著名人を頻繁に招き、ぜいたくで華やかな日々を過ごした…と言われています。
ゲストたちは毎晩のように「カーサ・グランデ」に集まり、アッセンブリー・ルームで高級なお酒を楽しみ、レフェクトリーで豪華な食事をして、その後はプライベートシアターで最新の映画を鑑賞しました。そして「カーサ・デル・マール」「カーサ・デル・モンテ」「カーサ・デル・ソル」のゲストハウスで、ラグジュアリーな宿泊を満喫するのです。オーソン・ウェルズ監督のデビュー作『市民ケーン』は、ハーストの生涯をモデルにして制作された映画とされていますが、劇中に登場する主人公が暮らす未完の豪邸「ザナドゥ」は、まさにハーストキャッスルをイメージしたものとされています。
サンシメオンで育ったハーストの成功の象徴
1865年、ハーストの父ジョージ・ハーストは、サンシメオンのキャンプヒルに4万エーカーの土地を購入し、この広大な土地はハーストの少年時代には家族でキャンプをするために使用されていました。そして1919年にハーストはサンシメオンの土地を含む父の所有していた財産を相続し、その資本をすでにいくつか所有していた新聞や雑誌、ラジオ局などに投資して、自らのメディア帝国をさらに発展させていくのです。そして1920年代から30年代にかけて、ハーストのビジネスは社会的なピークを迎えました。
幼い頃から収集癖のあったハーストは、自ら築いた財力をつぎ込んで、気に入った建築物、美術品、骨董(こっとう)品、彫像、銀食器、織物などを壮大なスケールで購入していきました。ハースト自身はこのハーストキャッスルを、「自分が入手できる最高の物を集めた博物館」にしようと考えていたのです。主にヨーロッパで買い集められた膨大な数の美術品や骨董(こっとう)品のコレクションは、まずはハーストのブルックリンの倉庫に集められ、その後ハーストキャッスルに運ばれました。中でも古代ギリシャのつぼのコレクションは、「世界最大級であった」とも評されています。
栄華を極めたハースト帝国が失速するきっかけとなったのは、世界恐慌とハーストの桁外れの浪費とされています。1930年代を通じて資本主義世界に波及した経済恐慌は、彼が築いた巨大メディア帝国も大きく揺さぶりました。ハーストの負債総額は1億2600万ドルにのぼり、所有していた新聞やラジオ局に加え、膨大な美術コレクションの多くが低い金額で売却されました。1940年代に入ると経営状態はさらに厳しくなり、1947年にはハーストは病に倒れ、ハーストキャッスルを離れて病気治療のためビバリーヒルズへと移ります。
「ハーストキャッスル」は、ハースト社が引き継いで管理していました。が、1957年にカリフォルニア州に寄付され、1972年には国家歴史登録財に追加、1976年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されました。映画のロケなどの商業撮影はほとんど許可されていませんが、なぜか以下の次の二つのプロジェクトにだけは撮影許可が出ています。一つはカーク・ダグラス製作総指揮、スタンリー・キューブリック監督の1960年公開の映画『スパルタカス』。ローレンス・オリヴィエ扮(ふん)するクラッススの別荘として、ハーストキャッスルがスクリーンに登場しています。もう一つは2014年のレディ・ガガの『G.U.Y.』のミュージックビデオです。ネプチューン・プールとローマン・プールで撮影されました。
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次回は、ハーストキャッスル以外のサンシメオン周辺の見どころを紹介します。
Text & Photo / Hidehiko Kuwata
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)