トップエンドって一体どこだ?

「レッドセンターからトップエンドまで旅をしてみないか?」というオファーを受け取ったとき、正直、それがどこのことを言っているのかわからなかった。

調べてみると、レッドセンターもトップエンドも、オーストラリアの真ん中から北端に広がるノーザンテリトリー(準州)の、ざっくりとした2つのエリアを示す通称であることがわかった。

州南西部に位置する世界有数の観光地ウルル(旧エアーズロック)からアリススプリングス、ダベンポートあたりの砂漠地帯がレッドセンター、そこからティモール海に向かって北上し、熱帯域に入るとトップエンドになる。北辺の町ダーウィンやカカドゥ国立公園(ウルル同様にユネスコの世界複合遺産に登録されている)はトップエンドに属する‥‥。

何年も前にテレビで、トップエンドの汽水域で“幻の怪魚”を追ったドキュメンタリーを観たことがある。怪魚の正体はバラマンディ(アカメ科の魚で、大きな物は全長2m、体重60kgに達する)だっただろうか。画面に映っていたのは人の営みを拒むようなワイルドな自然美、漂っていたのはモワッとしていかにも暑くて濃そうな大気。以来、私にとってのあの辺りのイメージは「怪魚/ワイルド/暑気」で固定されていた。

出発まで数週間となった頃、招聘(しょうへい)元であるノーザンテリトリー政府観光局から旅程表が送られてきた。残念ながら「怪魚釣り」はプログラムに含まれていなかった。が、そこには未踏の地の名前、多彩なアクティビティ、超高級リゾートなどが列記されていて心が躍った。何より私をそそったのは、カバーページに載せられた写真だった。透明な水の中、巨大なワニと水着姿の女性が今にも抱擁せんばかりの距離で対面していた。そこには「映え」どころではない強烈なインパクトがあった。ワニと女性の間はアクリル板で仕切られていたにせよ。

その写真を見た瞬間、私は勝手に今回の旅のテーマを決めた。

〈体長7mの巨大ワニを探しに行く〉

7mという数字がどこから出てきたのか、正確には思い出せない。大方、検索エンジンに「オーストラリア」「ワニ」「最大」とでも打ち込んで得た情報だったのだろう。なぜワニだったのか? それはもう直感に従ったというほかはない。旅程はどうあれ、私は7mのワニを探しにオーストラリア中央の砂漠地帯から北辺まで旅する──それは、一旦決心してみると、自明のことに感じられた。

3人のドラッグクイーンが
目指した“約束の地”

アリススプリングスから旅は始まった。世間ではウルルがオーストラリアの中心にして世界のヘソだということになっているが、地図を見ればオーストラリア大陸の中心はウルルではなく、そこから北東へ450kmほど行ったところにあるアリススプリングスだと分かるだろう。何でもかんでも、固有名詞を短縮したがるオージーたちはこの町のことを「ジ・アリス」と呼ぶ。

1994年に公開され、日本でもヒットしたオーストラリア映画『プリシラ』は、シドニーに暮らす3人のドラッグ・クイーンがオンボロバスに乗って旅をするロードムービーだった。ドラッグ・クイーンのド派手な衣装の輪郭を際立たせる乾き切った空気、鉄錆色をした凹凸のない無辺の荒野、道中で出くわすキャラの濃い人々‥‥一度観たら容易には記憶中枢から追い出せない強烈なインパクトを持った作品だったが、このストーリーの中で目的地(=“約束の地”)に設定されたのがアリススプリングスだった。

年間降水量230mm(日本でなら、線状降水帯が発生すれば1日で降る量だ)。ジ・アリスは、パリッパリに乾燥した砂漠の只中にまるで幻のオアシスのように広がる人口26000人ほどのささやかな町だ(とは言え、その人口はノーザンテリトリーでは首府ダーウィンの約13万人に次いで多い)。

残念ながら付近にワニが棲息している予感は全くしないが、それはさておき、いったいなんでこんなところに町があるのだろう? なぜ人はこんな遠隔の地に暮らすのだろう?

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アリススプリングスの目抜き通りの先にギャップが見える。
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町で一番のカフェの誉れ高い、「ページ27カフェ」。
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コーヒーブレイクを楽しむツーリスト。

まずわれわれは郊外の牧場でキャメル・ライディングを楽しんだ。「牧場」と便宜上書いたが、実際にはそこはアウトバック(オーストラリア内陸部の未開の地を指す言葉)そのものだった。ラクダの背は中型の馬の背と同じくらいの高さがあり、地上に立って見るのとは見晴らしが随分と違う。

馬のように、乗り手がへなちょこだと言うことを聞かないということもなく、ひたすらピースフルな速度で移動するので、次第に乗り手の脳内は瞑想状態になる。

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キャメル・ライディングのインストラクションをするスタッフ。
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「乗客」を待つラクダたち。
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乾燥のせいで、風景の輪郭が際立つ。

実はアウトバックには、野生化したラクダが数多くいる。その数は100万〜120万頭(Feral Scan調べ)というから尋常な数ではない。中東や北アフリカにいるはずのラクダがなぜオーストラリアにいるのかと疑問に思うだろう。

通信と交通をラクダがもたらした

18世紀後半からイギリスによる植民地化が進んだオーストラリアだが、広大かつ過酷な環境のアウトバックの開発は容易ではなかった。そこで政府は乾燥地での長距離移動に堪える「輸送手段」としてラクダを使うことに。1860年〜1907年の間にアラビア半島の国々やアフガニスタン、インドなどから約1万頭のラクダが輸入された(同時に約2000人のラクダ使いも移住してきた)。

ラクダはあらゆる物資を運んだが、中でも重要だったのは電柱と枕木だった。電柱はイギリスからユーラシア、アジアの国々、海の底を通ってダーウィンへと伸ばされた通信ケーブルをオーストラリア南部のアデレードへ、さらには主要都市のシドニーまで延長するという一大プロジェクトに必須であり、枕木はダーウィンとアドレードを結ぶ大陸縦断鉄道の礎となった(ジ・アリスが小さいながらも重要な町として開かれ、栄えた理由はもう明白だろう)。

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ラクダたちがキャラバンを組んで物資を運んでいた時代に思いを馳せる。
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1907年に行われた最後で、かつ最大規模のラクダ輸入の様子を写した写真。500頭のラクダがボンベイからセンチュリー号に乗せられて運ばれたと記されている。
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「害獣」としてラクダの駆除が進む一方、「資源」として利活用しようとする人たちがいる。

しかし、30年代になって鉄道や道路が整い、自動車が登場すると、ラクダは無用の長物になり、荒野に放たれた。それは「遺棄」を意味していたが、人間の思惑とは裏腹にラクダはアウトバックの環境によく順応し、野生化してその数をどんどん増やしていった。そして「獣害」が発生するようになる。

ラクダたちは水を求めて水道詮を壊したり、放牧地の草を食い尽くしたりして周辺住民の暮らしを脅かした。現在、野生ラクダは駆除の対象になっている。一方でラクダを駆除するのではなく、利活用しようとする人々もいる。われわれにキャメル・ライディングを体験させてくれた「ピンダン・キャメル・トラック」もそうだし、他にラクダのミルクで乳製品をつくっている人もいるそうだ。

ピンダン・キャメル・トラック

空から見た“ワニの背中”と
米軍のスパイベース

翌朝、われわれは4人乗りの小型ヘリに乗り込み、ジ・アリスとその周辺上空の遊覧飛行を楽しんだ。さて、ここで問題です。オーストラリア大陸の最高峰は?

答えは、オーストラリア南東部、首都キャンベラとメルボルンの間にあるコジオスコ山で標高は2228mだ。ヨーロッパ全土がすっぽり収まるほどの広さがありながら、起伏という点ではこの国は非常に乏しい。平坦、プレーン、のっぺりである。が、この朝われわれが上空から見下ろし、見晴らした風景は、いささか印象が異なっていた。

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われわれを乗せた「アリススプリングス・ヘリコプターズ」の小型ヘリ。
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ワニの背中のように見える西マクダネル山脈の山並み。左手奥に、噂の米軍施設が見える。

アリススプリングス・ヘリコプターズ

ジ・アリスはオーストラリア大陸の真ん中だと述べたが、それはマクロに見ての表現だ。ヘリからミクロに見るとこの町は、まるで屏風のように東西に細長く伸びる東西マクドネル山脈のギャップ(山峡、天然の切り通し)近くに開けた町だということがわかった。

ギャップにはまるで恩寵のようにトッド川が流れ(といっても、1年の大半は水無し川だが)、大陸を南北に縦貫する道路も、鉄道も、このV字の谷を通って「屏風のあっち側とこっち側」をつないでいる。

高度を上げたヘリが西へ向かうと、前方にワニの背中のようなギザギザの連なりが見えた。先ほど屏風に喩えた山脈は、実は幾重にも重なる構造をしていて、それがワニを連想させたのだ。

オーストラリアは地球の表面を構成する10個余りのプレートの一つ、オーストラリア・プレートの上にあるが、このプレートは今も1年に7cm程度の速度で北に向かって移動しているという。われわれがヘリから見下ろした“ワニの背”のシワは、プレートの南側の移動スピードが北側のそれを上回り、そこで生じた圧力が大陸中央部で限界に達して生んだせり上がりに違いない。

西マクダネル山脈の最高峰はジール山で、標高は1531m。山麓一帯の標高は500〜600mだというから、見た目の山の高さはたかだか1000mということになるが、地平線まで続くかに見える長大な尾根の連なりには偉観と呼ぶべき迫力があった。

操縦士に促されて眼下の山腹に目を凝らすと、獣道のような筋がクネクネと伸びているのが確認できた。それは、一見人を寄せ付けぬように見える砂漠の山脈に猛者たちが開いたトレッキングルートだった。

そのうちの1つ、ララピンタ・トレイルはジ・アリスの町中から始まる全長231kmのタフなルートだ。全行程をクリアするには12〜15日かかるというから、それはもはや巡礼的体験と言っていいだろう。ルートは12のセクションに分かれていて、部分的に歩くこともできるから、猛者でない私などはそのあたりからトライしてみるのが良さそうだ。

ララピンタ・トレイルに関する情報

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尾根の南側(左)と北側(右)とで様相が大きく異なるのがわかる。
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平坦な土地からいきなり屏風状の山脈が隆起したのがわかる。
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地層を見せる花崗岩の山肌。手前に集積した土壌が、かつてこの山がもっと高く、巨大だったことを物語る。
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尾根と谷を縫うようにして伸びるトレッキングルート。
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上空から俯瞰した「アリススプリングス・テレグラフ・ステーション」。
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「アリススプリングス・テレグラフ・ステーション」の中に残るかつての郵便・電報局の建物。

1時間ほどの遊覧飛行だったが、実は町並みや山脈とは別に興味を惹かれたものがあった。ジ・アリスから数kmの距離の人家も牧場もない荒野に、眩(まばゆ)いほど真っ白なドーム形や箱形をした建屋が集まる、いかにも場違いな感じの区画があった。操縦士によると、それは米軍のスパイベース(秘密基地)であるとのことだったが、具体的にそこでどのようなことがているかは誰も知らないと言う。

周辺に大きな町がない、起伏に乏しい土地。乾燥した気候等、電波の送受信にはいかにも好都合な条件がそろっているのはわかるのだが‥‥。その孤立ぶりと周囲の風景から、完全に浮いて見える真っ白な人口構造物は見る者のイマジネーションを大いに掻き立てた。

ヘリを降り、次の目的地に向かうため小型バスに乗り込んだ。「ヘリはどうだった?」とドライバーに訊(き)かれたが、私はそれには答えず、逆に彼にスパイベースについて何か知っているかと質問した。

「町のバーなどで、ときどきアメリカ訛りの英語を話す人に出会うことがあるんだ。ベースで働いている人たちだね。そういう人にベースで何をしているの? と訊くと、ほとんどの人が私はただ庭の手入れをしているだけだと答えるんだ。大いに怪しいよね」

本稿のラストは、オーストラリアのコメディ映画『クロコダイル・ダンディ』(1986)の中で脇役のウォルターが語った台詞で締めたいと思う。

「奥地のブッシュじゃ伝説はつきものさ」

(つづく)

取材協力:ノーザンテリトリー政府観光局