この世には実にさまざまな職業があります。中でも自動車業界は特殊かもしれません。業界内の友人たちの顔を思い浮かべれば、「ややこしく、才気にあふれた変人」とでも呼ぶべき、あらゆる種類の変わり者だらけです。そしてF1ドライバーもまた、その例外ではありません。

彼らは常に危険と隣り合わせの高速の世界に身を置き、コンマ数秒の争いを繰り広げています。レースに臨む際のプレッシャーや恐怖心は、私たち常人には想像すらつかないほど強烈なものでしょう。果たしてそんな彼らは、いったいどんな思考回路を持った人間たちなのでしょうか?

業界で仲の良い大先輩から、「F1ドライバーには退屈な奴らが多いよ」なんてことを言われたことを思い出します。輝く白い歯とノーメックス製(※編集注:ノーメックスとはモータースポーツで圧倒的なシェアを誇るレーシングスーツのトップブランド)のレーシングスーツがあってこそ、特別な存在としてわれわれの目に映るF1ドライバーですが、その大先輩いわく「そんな仮面を剥いでしまえば、面白味に欠ける1人の人間だ」と言うのです。

F1のようなトップカテゴリーまで上り詰めるためには、多くのことを犠牲にして挑まなければならないのは確実。それゆえ、「“人間性の肥やし”となるような、人並みの苦労や失敗を経験する機会を得られない」というのが彼の持論でした。

もちろん、彼の論は誤りです。

確かにF1ドライバーのインタビュー記事は、どれも驚くほどつまらないものばかりであることは否定できないかもしれません。でもそれは、インタビュアーが悪いだけです。F1ドライバーは皆、独特の魅力を備えているものです。世間の人々にしたところで、仕事モードの鎧を脱げば、それぞれに個性的な人間です。それと同様に、F1ドライバーたちもまた破天荒であったり、矛盾に満ちたカリスマであったり、醜かったり美しかったり…。中には、思わず抱きしめたくなるようなドライバーだっているのです。

 
Illustration By Ted Slampyak
ミック・シューマッハ選手

アメリカ・テキサス州の牧場でミック・シューマッハ選手(2022年シーズンまでハース・フォーミュラLLCに所属。新シーズンはメルセデスAMG・ペトロナスのリザーブドライバーを務める。父親は伝説のF1ドライバーのミハエル・シューマッハ氏)のインタビューを無事終え、その帰りの機内でのことでした。

「彼のようなエリートドライバーたちに共通する性質があるとすれば、一体なんだろう?」と、私(アメリカのカーメディア「Road & Track」編集部のカイル・キナード氏)は思いを巡らせていました。

「ただのスピード狂か? いや違うな。それを言えば、私たちだって何らかの執着を持っているものだし…」などと考え込んでしまったのです。

なぜそんなことを考えたのかと言えば、私のインスタグラムにはシューマッハに関する質問が数多く寄せられていたからでした。ヒーローに対する興味は尽きることがありません。仕事柄、彼のようなヒーローたちと知り合う機会がある私には、その手の質問がよく舞い込んでくるのです。ご想像とおりかもしれませんが、インスタに届くのは「あのドライバー、ぶっちゃけ実際はどんな人なの?」といった質問が大半を占めます。

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Illustration By Ted Slampyak
右上から時計回りに:ジェンソン・バトン氏(2017年までF1で活躍)、マックス・フェルスタッペン選手(オラクル・レッドブル・レーシング)、セバスチャン・ベッテル氏(2022年に引退)、フェルナンド・アロンソ選手(アストンマーティン フォーミュラ1)※イラストはあくまでもイメージです。本文中に記載の選手を示しているわけではありません。

飽きることのない、
魅力的な男たち

私はこれまで、5人のF1ワールドチャンピオンのインタビューを行なってきました。レジェンドと呼ばれるドライバーたちとも、仕事を通じて知り合いました。落ちこぼれドライバーと飲み交わし、仲良くなればシャンパンで乾杯し、ときには輝くばかりの才能の出現を目撃する機会にも恵まれてきました。そのように過ごすうち、付き合いが深くなればなるほど、F1ドライバーもまた一個たる人間であることを知るに至ったのです。彼らもまた、個性あふれる人間だったのです。

すでに現役を退いて久しいF1ヒーローがいます。知り合って間もない頃は彼もまだ会うたびにピカピカの格好で現れ、態度もそれなりに生意気でした。ですがある晩、ラガービールを12杯ほど呑み交わしてから、彼の警戒心が解けたのです。彼は間近に迫ったバケーションの計画について話し始めました。「キャンピングカーを借りてアメリカ南部を横断しながら、仲間と合流する予定なんだ…」と。それはそれは、待ちきれない様子でした。

その仲間というのは、NASCARのS級ドライバーです。「実に愉快な男なんだ」と言って笑いました。「一緒に各所のダートコースを巡りつつ、ロードトリップをするんだ」と楽しげです。道中では大いに(合法的かつ節度を保って)羽目を外すつもりだとも打ち明けてくれました。「カリフォルニア州では、ドローンを標的に射撃をするのは合法かな?」と突然訊ねられました。もちろん、そんなこと私が知るはずもありませんが、「そういうの詳しいのかなと思ってね」と言い出す具合です。

F1の世界ではスポンサー企業から問題視されるような悪ガキほど、ダートトラックではむしろ輝ける存在であることは珍しくありません。つまる、常にスポンサー企業の厳しい目にさらされているのが、F1ドライバーという職業なのです(少なくとも表向きは)。ロードトリップに出たこのドライバーの旅の様子を、ここでお話しできないことがとても残念でなりません。

 
Illustration By Ted Slampyak
ルイス・ハミルトン選手(メルセデスAMG・ペトロナス)

とあるF1チャンピオンと、その麗(うるわ)しいパートナーとのランチの席に加えてもらったこともありました。ちょうどインタビュー取材を終えたタイミングで、私は1人で手持無沙汰にしていたのです。最大手のスポンサー企業によるインタビュー企画でした。取材中の彼はいつものとおり、外向きの毅然とした態度を崩すことなく、まさにお手本どおりのイケメンレーサーといった役回りを演じていました。

しかし、ランチでの彼はまた異なる一面を見せてくれました。

30代半ばという年齢で、F1を去らねばならぬことへの不安――そして、待ち受ける空虚な日々への迷い。さらに父親となったことで得られた充実と喜びなどなど、あれこれ包み隠さず打ち明けてくれたのでした。それは共感する独白の数々でした。ただし、愛する妻が話をする間はその話を優先し、彼女が食事を楽しんでいる間にだけ、彼は話を引き取っていました。

公の場では、自らのブランディングにばかり意識を向けてしまうようなドライバーもいます。ですが、それではむしろ魅力が伝わらないこともあります。例えばカメラの前のルイス・ハミルトン選手(メルセデスAMG・ペトロナス)の振る舞いは、こちらがちょっと身構えてしまうほど上品なものです。

しかし、「もうF1の話はこれで終わり」とインタビューを打ち切ると、とたんに彼の目に生き生きとした光が宿るのです。気を揉むPR担当者のことなど一切お構いなしといった様子で予定時間を16分もオーバーして、結局36分間も話に付き合ってくれたこともありました。

白状すると、当初の私は彼のことをそこまで高く買っていたわけではありません。正直に言えば、メルセデスの支配者のごとく振舞う彼の姿に、息苦しささえ感じていたほどだったのです。ですが、そんな私も今ではハミルトン選手の大ファンです。

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Illustration By Ted Slampyak
マーク・ウェバー氏(2016年に引退)

もちろんクセ者も。
何度泣かされたことか…

活躍するドライバーが常に若々しく善良であるか?と言えば、そんな話でもありません。商業的にはちょっとクセのある二枚目を演じていた、とあるワールドチャンピオンは実生活においては少し違った顔を持つ男でした。

彼のインタビューに挑んだ私は、そのドライバーのアシスタントから、彼の行うチャリティ活動に対して、それなりの額を寄付するよう求められたのです。当時の私はまだ世間知らずの青二才で、いつも締め切りに追われており、業界の常識さえよく知らずにいたのです。彼の人間性を垣間見ることになりました。

ジャーナリズムの世界において、取材相手に対価を支払うことなどあり得ないのは鉄則です。今にして思えば、寄付の申し出など許容されるべきモラルを逸脱したものでした。私はライターとして回避しなければならない汚く濁った水の中に、そのとき沈んでしまいました。「取材相手の機嫌を損ねてはいけない」と、愚かだった当時の私はそう考えてしまったのです。「お金については、会社がどうにかしてくれるだろう」と…。

チャリティに寄付をして、取材に応じてもらいました。ですが「Road & Track」の上司である編集長から、「この寄付は経費として落とせない」と、当然の苦言を呈される結果になったのです。高い授業料を支払い、教訓を学んだ瞬間でもありました。

そのF1チャンピオンから私の携帯電話に連絡が入ったのは、それから数週間後のことでした。怒りに震える声で、なぜ寄付をしないのだと責め立てられたのです。私は何事か分からず、また震える手でクレジットカードを取り出し、あろうことか二度目の支払いをしてしまいました。口座を確認してみると、1度目の支払い額もしっかり記載されていました。その後は彼から連絡が来ることなど一度もなく、私は支払額の返済に数カ月を費やすことになったのでした。

もっとひどい失敗だって数えればきりがありませんが、F1の象徴とも言えるドライバーの携帯電話の番号が、私のiPhoneに表示されたときにの感動を想像してみてください。そして、そのヒーローに食い物にされた恐怖は、まさにシュールとしか言いようのない経験でした。きっとそれは、死ぬまで忘れることはできないでしょう。

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Illustration By Ted Slampyak
1965年~1973年の間F1で活躍したサー・ジョン・ヤング・"ジャッキー"・スチュワート氏

感情を持った普通の人間が
超高速のマシンを運転する。
F1の醍醐味は語り尽くせません

このような彼らから共通項を見出すことなど可能でしょうか? おそらく無理だと思うのです。F1ドライバーとなるのは、究極のモチベーションと類まれなる才能を併せ持った人間であることは確かです。極限とも言える彼らの能力から、人間という存在の持つ美しさを見出すことは可能かもしれません。彼らの超人的な能力が、人類という存在の美しさを物語ることもあるかもしれません。通常、私たちが目にするF1ドライバーの才能とは、巧みなオーバーテイクや狡猾なレース運びといったサーキット上での表現でしかないのです。

しかし彼らに接すれば接するほど、仮面の下から覗き見えてくる顔があるのも事実です。ジェームス・ハント(イギリス出身の元F1ドライバー。派手な私生活で、プレイボーイとしても名を馳せた)のように貪欲なレーサーは、他にもいるに違いありません。もっと極悪な人物だっています(個人的な経験は、ここでは掲載できませんので伏せておこうと思います)。

結局のところ、F1ドライバーをひと括りにすることなどできないでしょう。とは言え、彼らが単なるスピード狂などという括りでは留まらない個々人であることは確かです。つまり彼らとて、私たちと同じ人間に他ならないのです。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です