1981年のラスベガス・グランプリ。
会場はまさかの「カジノの駐車場」

まるで地獄…。

キャリア通算3度のF1ドライバーズチャンピオンに輝いた往年の名F1ドライバー、ネルソン・ピケはテスト走行を終え、そうため息を漏らしました。砂漠の街の特設コースで、「F1マシンの強烈なダウンフォースを受けながら反時計回りに周回を重ねるうち、首を痛めてしまった」と言います。

そんな彼の症状を見かねて、シーザーズパレスホテルのスタッフが往年のボクシング世界チャンピオン、シュガー・レイ・レナードが贔屓(ひいき)にしていたマッサージ師を紹介してくれました。こういったサービスの充実こそ、だだっ広い砂漠に現れたカジノの駐車場を使って催されたグランプリの唯一の利点だったかもしれません。

1981年、超高級ホテルやレストランなどが集まるラスベガス随一の目抜き通り「ラスベガス・ストリップ」と、州間高速道路15号線の中間に位置する75エーカーの巨大駐車場で催されたのが「F1ラスベガス・グランプリ(以下、ラスベガスGP)」、通称「シーザーズパレス・グランプリ」でした。わずか45日間という短期間で2.26マイル(約3.6km)の臨時サーキットが用意され、準備万端に整っていた…はずだったのです。

1981年のラスベガスグランプリ
Motorsport Images
「シーザーズ・パレス・グランプリ」は1981年から1984年まで計4回行われ、最初の2年はF1、残りの2年はCARTインディカーのレースが行われました。

「むき出しのコンクリートが砂埃(すなぼこり)まみれという、大変なコースでした」そう語るのはF1史の専門家、ニック・ガートンです。「開発当初の中東バーレーンを思い浮かべてみてください。まさにそんな感じでした」とも。

それでも道幅54フィート(約16.5メートル)のコースに14のコーナーを配し、FISA(国際自動車スポーツ連盟)の承認も得ていました。周囲には4万5000席の観客席も設けられ、あとはレースを待つばかり。1980年代のカジノ王が700万ドル(現在の2300万ドル相当=約35億円)の予算を投じれば、サーキットを完成させるのに2カ月もかからなかった…という話でもあります。

ちなみにシーザーズパレスホテルと言えば、当時のラスベガス・ストリップの覇者と呼ぶべきホテルです。F1グランプリの前年には、あのモハメド・アリ vs ラリー・ホームズの世紀の一戦が催され、アメリカ中のハイローラー、つまりカジノで大金を賭ける上客たちが大金を手に集まりました。

1981年のラスベガスグランプリ
CLIVE MASON, FORMULA 1/FORMULA 1//Getty Images
ブラジル人ドライバーのネルソン・ピケは、キャリア初となるF1年間チャンピオンをこの砂漠に現れたカジノの街で獲得しました。

その年のF1界にとっても、極めて重要なレースでした。40年の歳月を経た今日でも語り継がれるほどに混迷を極めたポイント争いが繰り広げられたシーズンで、その締めくくりとなったのがこの1981年の最終戦、ラスベガスGPだったのです。

その過酷なコンディションに
レース開始前から大喜利状態。
それでも、決戦の朝を迎えます

さて、話をピケに戻しましょう。

日頃はボクサーの強靱(きょうじん)な肉体を専門にするマッサージ師の施術は90分に及び、小柄なドライバーの背中はあざだらけになったという逸話が、「地獄以上の苦痛だった」というピケの言葉とともに残されています。そう、この日のピケは地獄続きでした…。

イギリスの名門チームであり、コンストラクターのブラバム・フォードのマシンを駆る29歳のブラジル人ドライバーのピケが、ウィリアムズのカルロス・ロイテマンに1ポイント差で肉薄して迎えたのがこのラスベガスGPでした。ピケの体調はさておき、いずれにせよ「アルゼンチン人ドライバーのロイテマンが、ピケを抑えてチャンピオンを獲得するだろう」というのが大方の予想だったのです。

1981年のラスベガスグランプリ
Ercole Colombo
ドライバーのマリオ・アンドレッティ(右端)と歌手のサミー・デイビス・ジュニア(左端)が、シーザーズパレスホテルの社長ハリー・ワルドを挟んでいます。

「そのシーズン、ロイテマンは年間を通じて、誰よりも安定したパフォーマンスを見せていました」と、ガートンは振り返ります。そして、「マシンの性能も文句なし。あらゆる点でロイテマンが有利でした」とも。

さらにもうひとり、フランス人ドライバーのジャック・ラフィットもチャンピオン争いに加わっていました。フランスのエキープ・リジェのドライバーだったラフィットは、3週間前のカナダGPで予選10番手から優勝をもぎ取り9ポイントを獲得。計43ポイントとなり、ロイテマン(49ポイント)、ピケ(48ポイント)に次ぐ3番手としてシリーズ最終戦を迎えていました(編集注:当時のチャンピオンシップポイントは1位から6位まで、9、6、4、3、2、1ポイントというルールでした)。

1981年のラスベガスグランプリ
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このアングルから眺めると、駐車場をコースにしていることがよく分かります。ちなみに、かつてサーキットがあったこの駐車場は、今ではシーザーズパレスホテルのフォーラムショップとミラージュ・ホテル&カジノになっています。

ちなみにそのラフィットはラスベガスGPの直前にイタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」紙に対し、「こんなバカげたゴーカート・コースでグランプリを戦うのは悪い冗談としか思えないよ」と本音を語ったことで、カジノ王の逆鱗(げきりん)に触れてしまいます。「侮辱的で無責任な発言」と非難するシーザーズパレスが数百万ドル(数億円)の損害賠償を求めて提訴したことが「ロサンゼルス・タイムズ」紙によって報じられると、事態はますます混乱を極めることになりました。

サーキットのコンディションについて、「特筆すべき素晴らしさ」と皮肉を放ったフェラーリのジル・ヴィルヌーヴのひと言がアメリカの 『タイムズ』誌に取り上げられました。ほか、口下手で知られるウィリアムズの監督フランク・ウィリアムズでさえもが嫌みたっぷりに、「非の打ちどころのないサーキット。マシンとドライバーの力量が存分に試されるだろう」と発言。そのような物々しい雰囲気に包まれながら、ついに決戦の瞬間、1981年10月17日の土曜日の朝を迎えたのです。

1981年のラスベガスグランプリ
LAT PHOTOGRAPHIC
この駐車場内に設けられたF1コースはコンクリートとフェンスに囲まれ、ラスベガスにある建造物の中で最も地味なものでした。

その前日、“季節外れの肌寒さ”のなか行われた、金曜の予選でポールポジションを獲得したのは、チームメイトのアラン・ジョーンズを0.174秒差で下した本命カルロス・ロイテマンでした。強烈なマッサージのせいで痛みを抱えていたピケは予選4番手、ラフィットは12番グリッドからのスタートでした。

「3人の中で、最も状態が良かったのがロイテマンでした。すべてを思い通りにコントロールできているように見えました」とガートンは言います。

満身創痍で迎えたフィニッシュ。
ネルソン・ピケは最後に笑えたか?

土曜日のレース当日には気温も上がり、晴天に転じました。好スタートを切ったアラン・ジョーンズが第1コーナーでトップに躍り出ると、そのまま快調にレースを引っ張っていきます。「ロイテマンはジル・ヴィルヌーヴ、アラン・プロスト、ブルーノ・ジャコメリを相手に手こずっていた」と、『モータースポーツ』誌のアラン・ヘンリーが、レース後の解説記事に書いています。

「ロイテマンは、ずるずると順位を下げていきました」と、ガートンもレースの模様を語ります。1周目を終えた時点で、ロイテマンは5番手まで順位を下げていました。スタートで8番手に後退したピケは懸命の追い上げで順位を挽回しつつあり、7番手を走るラフィットもチャンピオンシップへの望みをつないでいました。

1981年のラスベガスグランプリ
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周回を重ねながら、順位が目まぐるしく動いていきます。一度は第3位まで順位を上げたピケですが、その後また6位に後退しました。独走状態のジョーンズが後続を引き離していきます。見どころの多いレース展開でした。ドライバーたちは抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げ、タイヤ交換でも順位が入れ替わります。

チャンピオン奪取のためには優勝が必要だったラフィットが、ファイナルラップとなる75周目の最終コーナーでマクラーレンのジョン・ワトソンを抜いて6位でフィニッシュ(ちなみに彼は、ピケとロイテマンがポイント圏外なら2位でも自力優勝という状況でした)。ロイテマンはまさかのポイント圏外です。

1981年のラスベガスグランプリ
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ネガティブな声も多く聞こえた当時のラスベガスGPですが、タイトルを逃した後のストレス解消に地球上でこの街以上にふさわしい都市はありません。

「8位に終わったロイテマンにとっては、まさに失意のどん底のレースだった。彼のウィリアムズは早々に4速ギアを失っていたのだ」と、『モータースポーツ』誌のヘンリーは書いています。

ガートンは、「間違えさえ起きなければ、ロイテマンのシーズンとなったはずでしたが…」とため息を漏らします。「なかなかお目に掛かれない状況だったかもしれません。リードを保って最終戦に挑んだ大本命のチャンピオン候補が、何もさせてもらえずにサーキットを後にしたのですから…」と。

1981年のラスベガスグランプリ
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ウィリアムズのスタッフはピットボードを使ってカルロス・ロイテマンに、現状では彼がチャンピオンになれないことを知らせました。

「体調が優れなかったのか、メカニカルトラブルか、それとも精神的なものだったのか…明言はできません」と、ブラバムのデザイナーであるデヴィッド・ノースはその日のロイテマンについて述べています。「とにかく、ロイテマンが何らかの理由で調子を落としたことで、苦戦を強いられていたピケに幸運が転がり込むことになりました」と。

「ラスト33ラップと書かれたプレートを見たのが最後、その先の記憶はない」と、ピケはレース後にイギリスの 「ガーディアン」紙のモーリス・ハミルトンのインタビューに答えています。「その時点でもう限界を超えていた。頭をまっすぐに保っておくことさえ困難だった。ただ、カルロス(・ロイテマン)よりひとつでも順位が上ならチャンピオンになれると分かっていたから、それだけを支えにどうにか走り続けたんだ」

5位でフィニッシュラインを通過したピケは、自身初となるF1チャンピオンの栄冠を手にした瞬間に、ヘルメットの中で嘔吐(おうと)したと言います。F1グランプリ史上、最高に白熱した、もしくは最も過酷なレースとして、あるいはその両方として、この第1回シーザーズパレス・グランプリ(ラスベガスGP)の名が歴史に刻まれた瞬間でした。

モータースポーツの街として
生まれ変わりを遂げたラスベガス

現実離れしたイメージもあるラスベガスですが、間違いなくネバダ州に実在する都市です。そして、その街に暮らす実在の人々にとって、この11月に開催が決まったF1グランプリに向けた準備は…「頭痛の種」だったと言います。

夏の間、ラスベガスで最も交通量の多い道路のあちこちで、ラスベガスGPに向けた工事が進められました。F1仕様の市街地コースをつくるにあたり、再舗装の必要がありました。大型ホテルやカジノが立ち並ぶ「ラスベガス大通り」、通称「ザ・ストリップ」も市街地コースに組み込まれています。至る所でひどい交通渋滞が起き、人々は不便を強いられることになりました。

そんな今回の市街地コースですが、駐車場を利用したものでも、中途半端な特設コースでもありません。今後10年間のF1グランプリ開催が決定した瞬間から、5億6000万ドル(約837億円)の総費用が投じられ準備が進められてきました。ラスベガスにとっては、新たな目玉と呼ぶべき巨大イベントの誕生です。

39エーカー相当な敷地の確保に2億4000万ドル(約365億円)の予算が充てられ、アメリカンフットボールのフィールド3面分に匹敵する長さの4階建てのパドック棟が用意されています。ですが、30万平方フィート(約2万8000平方メートル)というスペースの大部分がハイローラーたちをもてなすための施設というのですから、驚くほかありません。およそ10万5000人の観客がグランプリに訪れると想定されており、「経済効果は13億ドル(約2000億円)に上る」と見られています。

ラスベガスグランプリ
Clive Mason - Formula 1//Getty Images

なぜこんなことになっているのか? いくらラスベガスと言えども、キャンブルだけでは人々を引きつけられなくなりつつある、そんな現状が背景にあります。アメリカには現在500以上のカジノが点在しており、また今日ではスポーツ賭博もアプリで簡単に楽しむことができます。飽食の時代のアメリカにあっては、お得なビュッフェで人を引き寄せることも困難です。そういった事情もあってか、ラスベガスは今やイベント中心の都市へと生まれ変わりを遂げつつあります。もちろん、F1開催もそのひとつです。

歴史が証明しているとおり、ネバダ州は11月でも暑さが残ります。そこで、灼熱(しゃくねつ)のサウジアラビアや蒸し暑いシンガポールで開催されるF1グランプリ同様に、ラスベガスGPもナイトレースとして開催されることになりました。メガホテルの立ち並ぶ渓谷の大都市を彩るライトアップも、大きな見どころとなるでしょう。

F1グランプリも他のスポーツイベントと同様に、大規模なマーケティングを駆使した興行へと発展しています。17のコーナーを配した全長3.8マイル(6.201km)の市街地コースの借景として、ラスベガスを象徴する豪華絢爛(ごうかけんらん)な建造物が姿を現すレイアウトとなりました。

ウィン・ラスベガス、ベラージオ、シーザーズパレスといった名門カジノに見守られながらザ・ストリップを貫いて走る約2kmのロングストレートは、最高時速200マイル超(※編集注:最高速度は342km/h)という、超高速サーキットです。ストレート終盤、アリア・リゾートに差し掛かるあたりのブレーキングゾーンが、オーバーテイクの見どころとなるかもしれません。

2023年シーズンのドライバーズチャンピオンはマックス・フェルスタッペン(レッドブルレーシング)、コンストラクターズチャンピオンはレッドブルレーシングにすでに決定しています。それでも今回のレースは見どころが山盛りです。

40年以上ぶりとなるラスベガス開催。新設計のコース。しかも、カジノの街の市街地を舞台としたナイトレースです。レッドブルはラスベガスGP専用のカラーリングで臨むことを発表していますし、前回のサンパウロGPでは9位入賞を飾りポイントを獲得し勢いに乗る日本人ドライバー角田裕毅の活躍に期待する人もいるでしょう。

決勝は日本時間11月19日(日)15時からです。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です