この記事をざっくり説明すると…

  • 史上最大の爆弾とされる「ツァーリ・ボンバ」の未公開映像を、ロシアが公開しています。
  • 1961年、ソビエト連邦(当時)が北極圏で爆発実験を行った記録です。爆発の威力は強大で、なんと170マイル(約274キロ)離れた地点で「熱風を感じた」という証言もあります。
  • 現代においては、命中精度が向上したこともあって、爆弾の爆発力は最小限に留める傾向にあります。

 ロシアの原子力機関が、ひとつの秘蔵映像を公開しています。

 それは、「ツァーリ・ボンバ(Tsar Bomba)」と呼ばれる史上最大の原子力爆弾の実験記録が収められたドキュメンタリー映像です。1961年、ソビエト連邦(当時)による実験が行われた際には、なんと1000キロ以上離れた地点からも「この核爆発による閃光(せんこう)を確認できた」という証言もあります。

 1963年8月5日に米国、英国、ソ連との間で調印された、核兵器の一部の核実験を禁止する条約「部分的核実験禁止条約」が施行される直前、ソ連は自国の誇る軍事力の象徴として一度だけ、この「ツァーリ・ボンバ」を用いた核実験を行っています。世界には今日においてなお数万発に及ぶ核兵器が存在していますが、この「ツァーリ・ボンバ」ほど大きく強力で恐ろしい核爆弾は存在しないと言っていいでしょう。そんな「ツァーリ・ボンバ」のドキュメンタリー映像が公開されたのです。

史上最大の水爆「ツァーリ・ボンバ」、ロシアの実験動画

これはThird partyの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。


 1961年7月、ソ連の最高指導者であったニキータ・フルシチョフ共産党中央委員会第一書記(当時)の命令により、100メガトン級の核兵器の開発が始まりました。「RDS-220」という正式名称を持つこの核爆弾の製造のために科学者たちに与えられたのは、極めて短い開発期間でした。

 しかし、わずか数週間のうちに科学者たちは、50メガトンの核爆弾を生み出します。当初の計画の半分の威力に過ぎませんでしたが、それでも1954年にアメリカが行ったキャッスル作戦(ビキニ環礁とエニウェトク環礁で行った一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、中でもブラボー実験が有名)の結果をはるかに凌駕(りょうが)する、十分な成果と呼べるものでした。

 アメリカが行った史上初の高出力の熱核爆弾実験の威力でさえ、15メガトンと言われています。それと比較すれば、この「ツァーリ・ボンバ」の実験が、どれだけのスケールなのかがお分かりいただけることでしょう。

 ソ連による「ツァーリ・ボンバ」の実験は、1961年10月に北極圏のノヴァヤゼムリャ島において行われました。通称「ベア(ロシアの熊)」とも呼ばれるTu-95爆撃機から投下されたのは重さ約27トン、全長26フィート(約8メートル)の巨大な爆弾です。爆弾投下のために用いられたパラシュート(爆撃機が爆破地点から十分に離れるために必要な時間を稼ぐために、爆弾にはパラシュートが用いられました)は、それだけでも1トン近くの重量がありました。爆発の衝撃波は強烈で、爆風にあおられた爆撃機は高度約3000フィート(約900メートル)まで下降…。「危うく墜落するところだった」と言われています。


tsar bomba
TASS//Getty Images
これが「ツァーリ・ボンバ」。重さ約27トンという巨大な爆弾でした。

 「ツァーリ・ボンバ」…正式名「RDS-220」が、実際に発揮する破壊力を理解することはできないでしょう。それは想像をはるかに超えるレベルと言えるからです。きのこ雲の高さは、なんと21万フィート(約64キロ)にまで達しています。さらにその閃光は、悪天候にもかかわらず約621マイル(約1000キロ)も離れた地点において確認されているのです。「168マイル(約270キロ)離れた地点で爆発による熱風を感じた」という証言があるばかりか、62マイル(約100キロ)離れた地点でも火傷を負わせるほどの威力だったのです。さらにグラウンド・ゼロ(実験後の爆破地点)の様子を、「まっ平らで何もなく、巨大なスケートリンクのようだった」と表現した目撃者もいるほどなのです。

 ソ連の北の僻地(へきち)で行われたこの実験の結果、幸いなことに死者は出ていません。しかし、もしこの爆弾がどこかの国の主要都市に落とされたと仮定したら…その被害は計り知れないでしょう。

 1963年の「部分的核実験禁止条約」により、大気圏内の核実験が禁止されたため、この「ツァーリ・ボンバ」と同じ規模(もしくはそれを上回る規模)の核実験が繰り返されることはありませんでした。以降、現在に至るまでの間にミサイルの命中精度が向上したため、爆発力はむしろ抑えられる傾向が続いています。

 人類が「ツァーリ・ボンバ」のような巨大爆弾を目にすることは、もう二度とあってはなりません。ですが…2019年には、「第二次世界大戦以来最大の核戦争リスクが生じている」と、国連の専門家が警鐘を鳴らしていることも忘れてはいけません。

 全人類が平和で暮らすことができるために、私たちに何ができるのか…。そして、考えるだけでなく、実際に行動に移すべき時期を迎えているのではないでしょうか。

Source / POPULAR MECHANICS
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。