フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii

古くから日本における輸入車のスタンダード的存在、それがフォルクスワーゲン(以下VW)でした。あえて過去形なのは、今や高級セグメントのドイツ車として知られるメルセデス・ベンツが、日本市場における輸入車ブランドとして最大の販売台数を占めるためです。

とは言え、この現象はVWの車づくりや存在感が薄れているからではありません。むしろ電動化やプレミアム化の波に洗われ、「良品廉(れん)価」であることを求められる“スタンダード”かつ“ベーシック”なものが変質してきた、それが今の輸入車事情です。

今回試乗した「T-Roc」のガソリン仕様の上級グレード、「TSIスタイル」のベース価格は442万2000円。400万円半ばの価格帯を「廉価」とは確かに捉えづらいですが、通貨の価値はグローバルでいえば相対的なものなので、円安の島国で数値の多寡(たか)ばかりに拘泥(こうでい)しても始まりません。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
【主要諸元】グレード:TSIスタイル、種別:ガソリン車、全長 × 全幅 × 全高:4250 × 1825 × 1590mm、ホイールベース:2590mm、車両重量:1320kg、荷室容量:445L、乗車定員:5名、エンジン:1.5L直列4気筒DOHCインタークーラー付ターボ、トランスミッション:7速DSG、最高出力:150ps@5000~6000rpm、最大トルク:250Nm@1500~3500rpm、燃費:15.5km/L(WLTCモード)、価格:422万2000円|試乗車価格は442万5500円(メーカーオプション:Discover Proパッケージ16万5000円、ディーラーオプション:フロアマット3万8500円含む)

そしてついに、風が吹く

VWの名作シリーズは、常に大衆向けのマスプロダクトでした。古くはビートルの名で知られる「タイプI」、ほっこりしたピープルムーバーにしてモータリング・キャンプやバンライフの先駆けとなった「タイプII」、そして(エンジンレイアウトが)横置きFFハッチバックの指標、かつ至高のベーシックカーとされた初代からの歴代「ゴルフ」など。いずれにも「安いのと安っぽいのは違う」ことを明確に貫き通すような強烈に主張めいたところがありました。そこがVW流の良品廉価が、他のマスプロダクトと決定的に違うところでした。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii

ひるがえって「T-Roc」ですが、まずはネーミング、欧文の「T-Roc」に注目しましょう。時は1974年、初代「ゴルフ」とほぼ同時に同じコンポーネントを用いつつ、3ドアでより低いルーフを与えられたスポーティなハッチバック・クーペ「シロッコ(Scirocco)」へとさかのぼります。

「シロッコ」は「ゴルフI」と同じ、イタリアの著名工業デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロのデザインながら、より個性的で走りも意識したスペシャルかつプレミアム版でした。2代続いた後の1980年代末、今度はカルマンというコーチビルダーのデザインで、さらにスポーティに尖(とが)った「コラード(Corrado)」という2+2の本格スポーツ・クーペにとって代わられます。

フォルクスワーゲン「シロッコ」
VOLKSWAGEN
初代「ゴルフ」をベースに、1974年に誕生した初代「シロッコ」。より低い車高で、操縦性もよりスポーティに仕上げられました。
フォルクスワーゲン「コラード」
Heritage Images//Getty Images
1988年、スポーツカーとして発表された「コラード」。多くの基本コンポーネントを「ゴルフⅡ」と共有し、「ゴルフII」の派生車種として位置づけられています。写真のモデルは「コラード VR6」。

「コラード」は一代限りでしたが、今度は2000年代後半にVWグループのチーフデザイナーとして一世を風靡(ふうび)したワルター・デ・シルヴァの筆により、「ゴルフ6」をベースとした3ドアハッチバック・クーペの「シロッコ」が復活します。この最後の「シロッコ」は2017年まで生産されましたが、後継モデルはルーフ低めで運動神経が自慢の3ドア・クーペではなく、ブーム満開のSUVとすべきとの判断だったというわけです。

前置きが長くなりましたが、この後継モデルこそが「ゴルフ7」以降の万能モジュラー式プラットホームの先駆「MQB(Modulare Quer Baukasten)」を使った、SUVクーペたる「T-Roc」です。

あくまで個人的見解ですが、いわば「T-Roc」とは「トールなRoc」とでも言うべきネーミングで、「シロッコ」とはもともと“北アフリカから地中海に吹く熱風”のこと。「T-Roc」の“人生をもっとロックに”というキャッチコピーは、「Roc」の名に煎じ詰められはしたもののVWが半世紀もの間、吹かせようとしてきた風なのです。ややサイズ感が前後して、荷室容量もひと回り大きなSUV「ティグアン」とその弟分「T-Cross」もありますが、これら実用SUVと「T-Roc」はまさに昔でいう「ゴルフ」と「シロッコ」と同じ関係に当たります。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
VWロゴを中央に据え、フロントを左右に貫くLEDイルミネーション。LEDマトリックスヘッドライト「IQ. LIGHT」は、カメラで前方を検知しLEDを最適に制御します。
フォルクスワーゲン「troc」
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VWらしさを主張する太いCピラー。ベルトライン以下と同じボディカラーです。ちなみに試乗車のカラーは、ペトローリアムブルーメタリック。
フォルクスワーゲン「troc」
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試乗した「TSIスタイル」のタイヤサイズは、215/55R17。

VWがここまでクーペの美しさ・カッコよさを世に伝え広めることにこだわるのは、美が人の心を動かす、あるいは芸術が社会を導くという確信があるからと言えます。そんな意識の高さがときどき、あらぬ方向に突っ走るのもドイツのお国柄。とは言え、ただ大衆の好みに合わせるのでなく、それを先取りしつつ寄り添うのがベーシックかつスタンダードな大衆車(=フォルクスワーゲン)のあるべき姿、というわけです。

今や人々が車に求めるものは、単に目的地に行って帰って来られるとか、荷室が積めることのみならず、生活車として乗る自分のスタイルを反映してくれることが重きをなします。その全ての容(い)れ物になりうる、コンパクトなSUVクーペという車型こそがハッチバックの代替にして当世風のスタイリッシュな選択肢、「T-Roc」なのです。

実用本位。転じてエモーショナルに

「T-Roc」の大胆さは外観にも表れています。

荷室容量は445Lと、ある程度は割り切ってリアハッチガラスの角度を前傾させながらも、どこか「タイプ2」をほうふつさせるレトロなルーフ&ボディのツートンカラーを採用。前衛フォルムに懐かしの冒険者ルックで、クール可愛い雰囲気を強調します。

荷室の割り切り具合は、ひと回り小さい弟分の「T-Cross」のほうが5名乗車時でも445Lとわずか+10Lほど上回るので、「実用スペックではなくスタイルで選ばれたい」、そういうSUVクーペということです。-10Lの踏み絵にとどめたあたりが、さすがの寸止め感覚とも言えるかもしれませんが。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii

また高級車の定石、ドアやルーフなどで輝く縁取りであるクロームモール使いですが、「T-Roc」はウインドウ枠をぐるりと囲うのでなく、ルーフラインの下押しとしてクーペの流麗フォルムをアーチ状にさりげなく強調するという、控えめな装いにとどめました。また、車のピラーは前からABC各ピラーと呼びますが、Cピラーが太いのはVW伝統のアイコン的ディティールで、そこだけがベルトライン以下と同じボディカラーで強調されるなど、すぐにVWの1車種として認識できます。コンサバと新しさが良い塩梅(あんばい)で組み合わされた、VWらしい均整のとれたデザインです。

内装については、ドライバーを囲むようにセンターコンソール付近が軽くチルト(傾斜)したところは、「ゴルフ」辺りに似るところです。しかし、エアコンのベンチレーターをはじめ視線を集めるポイントがダッシュボードの上側に備わり、着座位置ごと重心の引き上げられた室内が「T-Roc」ならではの特徴と言えます。

そしていつもどおり、抑制が利いていて過剰なところがないのに、ひとつひとつの機能が充実しています。使いながら思わずニヤリと充足の笑みが漏れてくるほどに、実用本位転じてエモーショナルな使い心地はドイツ的スタンダードと言えるのです。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
9.2インチのインフォテインメントシステム「Discover Pro」。
フォルクスワーゲン「troc」
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試乗した「TSIスタイル」は、「チタンブラック/アンスラサイト」のファブリックシート。
フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
二列目シートは40:20:40の分割可倒式で、多彩なアレンジが可能。後席を倒すと容量は1290Lに。

具体的に「T-Roc」のデフォルトでハイレベルな実用装備としては、輝度が十分で見やすいうえに、表示の連係が容易なデジタルクラスターメーターとインフォテイメントシステム、あるいはレーンキープや車線変更アシストなどが含まれます。それでありながらステアリングホイール左側にボタン類が集められ、指先チョイチョイで動作させられる、賢いADAS(先進運転支援システム)も挙げられるでしょう。

もう一つ、「T-Roc」の内装でドイツ車的スタンダードを強く意識させるのが大ぶりなシート。フラットな座面にやや固めのクッションですが、骨盤を立てて正しく座らせるというか、そうすることで長時間の運転でも疲れにくい、そんな威力を発揮します。

気負わないハイスタンダード

試乗車は「TSIスタイル」で、直列4気筒の1.5Lターボのガソリンエンジンに7速DCTオートマチックトランスミッションの組み合わせ。その特徴はと言えば、1500rpmの早々から最大トルクに達するので、1320㎏というSUVクーペとしては軽快なボディを素晴らしく軽々と走らせてくれることです。

しかも負荷の少ない場面では、直列4気筒のうち中2気筒を休ませる「アクティブシリンダーマネージメント機構」を搭載し、郊外で低速のような場面では走らせ方によってはエンジンの存在感が希薄なほど。静かなのに力強いので、加速のような負荷仕事は素早くこなすも、フロントノーズも軽いのでハンドリングも軽快そのものです。速度を上げるとプログレッシブにステアリングの手応えも増し、ドイツ車らしくどっしりした直進の安定感も味わえます。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii
エンジンは、1.5L直列4気筒DOHCインタークーラー付ターボ。トランスミッションは7速DSGです。

かくして、昨年マイナーチェンジされ熟成を迎えた「T-Roc」は、スタンダードな生活車として優れたバランス感覚の1台と言えます。スタイリッシュでありながら廉価良品の流れをくむ生真面目さが、細かいディティールの数々ではなく、全体のバランスの中にあるのです。

ここ数年、電動化に傾倒し過ぎた欧州の象徴のようにVWは報じられがちですが、これまで手がつけられていない分、戦略的に厚くすべきは電動車という点では既存の自動車メーカーはどこも同じ。実は必要以上に前のめりにならなくても、シンプルで生活感豊かなSUVクーペとして、ドイツ的スタンダードは現状ここまで美しいプランを用意できるということです。

フォルクスワーゲン「troc」
Motosuke Fujii

Text / Kazuhiro Nanyo
Photo / Motosuke Fujii(Salute)
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)