歴史に名を刻むの名ラリーカーが繰り出すサウンド、ここで存分に味わってください…。
THEGALLERYCARS
Lancia Stratos
カフェインコントロールを行っている皆さんには特におすすめですが、このサウンドでカタルシスを感じてください。
今回はラリー界の歴史に、その名を深~く刻んだ伝説のクルマ「Lancia Stratos(ランチア・ストラトス)」です。いわば「Stratos(ストラトス)」という競争(協奏)曲を奏でるのは、「Dino V6」というソリスト。それはそれは、とても素晴らしい音色なのです。
話をマシンのほうに向けましょう。
このクルマは、イタリア・トリノを本拠地とする自動車関連企業「ベルトーネ」で設計され、1970年にトリノモーターショーでデビューした「ストラトス・ゼロ」を祖としています。ちなみに、このクルマのコンセプトワークや設計を担当したのは、のちにランボルギーニ「カウンタック」を手掛けることになるマルチェロ・ガンディーニ氏です。
その後、「ストラトス・ゼロ」はショーのステージから、まさに「引きづり出された」という言葉が相応しいほどの勢いで、再び工房へと運ばれることになります。(次ページへつづく)
70年代中盤からの成績は偉大すぎます!
そして、すったもんだもアリの開発物語をつづりながら、世界ラリー選手権(WRC)で勝利するという使命を担うために完成することとなりました。
1973年には、タルガ・フローリオ(1906年から1977年にかけてイタリアシチリア島で行われた公道自動車レース)に参戦。ここでは、ホモロゲーション前のマシンが参戦できる「グループ5」で出場し、結果はポルシェについで2位という成績を収めました。
翌1974年は、「グループ4」のホモロゲーションを取得。それから「ストラトス」の快進撃が始まります。この年だけで、年間9つの優勝と世界ラリー選手権の最終戦となる「ウェールズ・ラリー・オブ・グレートブリテン」、いわゆるRACラリーで3位を飾ることに。最終的には、この年のワールドチャンピオンシップフォーラリー(WCR)を手中にしたのでした。
その後も素晴らしい成果は続き、1975年、1976年とWCRを連覇。ドライバーであるS・ムナーリ氏の活躍も輝きを放ち、特にモンテカルロラリーでの速さはいまでも語り草になるほどの天才ドライバーぶりを発揮しました。その活躍により、S・ムナーリ氏は「モンテマイスター」と呼ばれるようになったのです。
「ワークスストラトス」の活動終了後である1977年のモンテカルロでも、S・ムナーリ氏の実力とのシナジー効果は継続し、圧倒的な速さで優勝に輝くなど…まさにラリー界、いや、それ以上にクルマ史に爪痕を残す名車の一台となったわけです。
当時の「ランチア・ストラトス」のボディといえば、ここで紹介している動画にも映る白ベースのアリタリアカラー。この光景がいまもなお、脳裏に焼き付いているシニア層のクルマフリークも多いことでしょう。ちなみに、セミワークスとして参戦する際には、ピレリカラーとなっています…。
そんなこんなの「ランチア・ストラトス」。話を再びボディへとクローズアップし、エンジンへ!
当初はフィアット「124スパイダー」のエンジンと、フェラーリ「ディーノ」のV6 2,418ccエンジンである「Dino V6」が候補としてあがっていました。それをフィアット自体がラリーに参戦するということもあり、「Dino V6」を選択することに。こうして、このようなサウンドが生まれたのでした。
そこには愛に溢れながらも、幾分かの狂気が感じらるのではないでしょうか…。しかしながら、その狂気の中にもまた、幾分かの理性も存在しているかように聴こえたのなら…あなたは間違いなく「ストラトス」フリークであり、交響曲よりも協奏曲好き。(次ページへつづく)
それでは「ストラトス」による、
競争曲をお聞きください!
長くなりましたが、ここでその競争(協奏)曲をお聞きください。「ストラトスはかく語りき」です。
BY TRAVIS OKULSKI
NOV 22, 2017
Road and Track(原文:English)
Courtesy of YOUTUBE@THEGALLERYCARS, Instagram@lancia_stratos
Translation / Kaz Ogawa
※この翻訳はかなりの抄訳です。
編集者:小川和繁