6月11日(日)午前1時12分

その日は、蒸し暑い夜でした。

自動車耐久レースの象徴とも呼ぶべき「ル・マン24時間レース」の開催を迎えたフランス北西部の街ル・マンで、その100周年の節目を祝う記念レースが幕を開け、ちょうど8時間が過ぎたころでした。ポルシェAGのワークスチーム「ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツ」のメカニックたちは、ガレージのオペレーション画面の明るい光をものともせず、折り畳み椅子に身体を沈めて仮眠をとっています。

ピットレーンは静まり返ったまま――現在、サーキットに送り出されたセーフティカーが50台ほどのレシングカーを従えて周回しているところでした。この静寂がもう3分ほど続けば、すぐにまた耳をつんざくようなエキゾースト音を響かせた各車がスタート/フィニッシュラインのあるストレートを駆け抜けていくはずです。

ブレーキランプをたなびかせて行く、ポルシェ「963ハイパーカー」と「911」の一群。俊敏なシボレー、フェラーリ、そしてトヨタ。さらにフランスのレーシングチーム・コンストラクターである「オレカ」によってLMP2仕様に仕上げられたアルピーヌ、その後からアストンマーティン…。そこに2012年の第80回大会から設定された特別枠“ガレージ56”から出走したヘンドリック・モータースポーツ(HMS)による現行のNASCARカップカーNext Genシボレー『カマロZL1』に改造を施したマシンの猛(たけ)り狂うエンジン音を轟(とどろ)かせ、1列となってダンロップシケインへと消えてゆきます。

ポルシェに訪れた憂鬱

コース上にトラブルが生じた際に現場周辺で振られ、後続の車両に危険を知らせるイエローフラッグ。この鮮やかな色を帯びた旗が振られたことで減速しているとは言え、マシンの速度と爆音のすさまじさは相当なものです。スタンドにいる観客の鼓膜と胸に、衝撃波となって襲いかかってきます。そんな状況下でもポルシェのピッチクルーたちは、お構いなしに仮眠を続けています。

ですが、ヘッドセットからの指示が届くと彼らは瞬時に立ち上がり、身体を伸ばし、椅子を片づけはじめました。コースで何かが発生したのです。ピット後方に陣取ったレース監督と通信チームが、緊張感に凍(い)てついた面持ちで身構えています。ペースカーの背後で流れ星のようなヘッドライトがひしめき合う「ミュルサンヌ・ストレート」(「ユノディエール」または「フォード・シケイン」とも言う)の状況が、モニターに映し出されました。

ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツは、3台のハイパーカー(カーナンバー5、6、75)をコースに送り込んでいました。いずれも280万ユーロ(およそ4億5000万円)はくだらないマシンです。モータースポーツの最高峰として位置づけられるエリートクラスのレースである「ル・マン24時間レース」には、各チームとも最高レベルのマシンを投入します。それを3人のドライバーが交代しながら、24時間のレースを走破する。ですが、今回は何か様子がおかしい…何かがかみ合っていないようです。

ル・マン24時間レースのリポート
Nicholas J.R. White
ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツのガレージから、メカニックがレースを監視。目の前にあるライブストリーミングカメラは、車がコース上のどの地点にいるかを示しています。

ツナギ姿のメカニックが数名、私の横を慌ただしく通り過ぎて行きます。工具を確認し、チューブやポンプ、オイルトレーなどをそろえています。飛び込んできたナンバー5のハイパーカーがピットストップに停まると、昆虫のような車体のシルエットは、たちまちにメカニックたちの群に覆い隠されてしまいました。

ジャッキが音を立てて車体を持ち上げ、ホイールガンのラチェットが突き刺さります。ドライバーが車を降りる気配はありません。ドリルの回転音が聞こえてきます。リアウィングが外され、後部カウルもはぎ取られました。外したパーツが車の真横に、几帳面に並べられています。通気口のロッドや導管、バネ、スポイラーのメッシュといった、SFめいた車両内部が姿を覗かせます。続いて、耐火炎の目出し帽をかぶった男たちが車の底に滑り込みます。そしてフロアパネルが外されると、ガレージ内は一層のざわめきに包まれました。イヤホンごしに送られる無線の指示を頼りに、作業が進められているようです。

熱を帯びた油と金属の臭いが、あたりに充満します。極度の緊張感が渦巻き、液体がガレージの床に滴り落ちています。叫び声が響くとエンジンがうなり声をあげ、もう一声発せられると、今度はエンジンが止まります、点検の再開です。フロアパネルが元あった場所に戻され、ボディパネルも載せられました。ホイールガンの音が鳴り響き、新しいタイヤが装着されています。橇(そり)のような台に乗せられた車体が向きを90度変え、また何かの音とともに車体は下ろされ、そして発車。クルーが床を磨いています。

「今ここで、いったい何が起きていたのか教えてもらえないでしょうか?」

私は、ひとりのメカニックを捕まえて尋ねました。彼は軽くウインクをして、ただ首を振ります。後になって、「カーナンバー5の冷却システムが液漏れを起こしていました」とレベッカ・ジョーンズから説明がありました。彼女はポルシェ・ペンスキー・モータースポーツのチームコミュニケーター担当です。公式発表は、全て彼女を介して行われることになっています。

私たちはピットの背後に設けられた、蛍光灯がともるオフィススペースで向き合っていました。もう午前2時20分を回ろうというのに、辺りは熱気に包まれています。「パーツを外して、配管を何本か交換する必要がありました。修理の所要時間は23分でした」と、彼女の発表の声が聞こえてきます。

メカニックたちは再び目を閉じ、眠りにつきます。出番を待つドライバーも、ステアリングを握る瞬間に備えて仮眠中です。セーフティカーがピットレーンに消え、レースが再開されていました。

ル・マン24時間レースのリポート
Nicholas J.R. White
緊迫した様子のメカニックたち。ナンバー 6 のポルシェ・ペンスキー 963 ハイパーカーのスリックタイヤを、溝付きの雨天用タイヤに交換するために全力疾走します。

残り14時間の熾烈(しれつ)な闘い

F1のモナコGPやインディアナポリス500と並び、3大レースのひとつと崇められているのがル・マン24時間レースです。あのスティーブ・マックイーンが主演した1971年の映画『栄光のル・マン』でもおなじみのレースが、毎年6月にル・マン市郊外のサルト・サーキットで開催されるのです。スペクタクルあふれる興行という側面と、マニアックな耐久レースという側面を持ち合わせていますが、これは奇妙な組み合わせと言えないこともありません。今年は6月10日(土)、午後4時の開幕でした。

軍用ヘリでトリコロールのフランス国旗が運び込まれると、それを合図にバスケットボール界のレジェンド、レブロン・ジェームズが雄たけびをあげ、イギリスのアーティスト、デュア・リパがパドックを星くずの煌(きら)めきで染め上げました。そして12時間後の午前4時、サーキットに居残る観客の一部は寝袋に身を包み、グランドスタンドの高いところからマシンが走るのを見守っています。午後4時の華やかさとは打って変わって、疲労が厳しく迫る時間帯です。

走り続けられるかどうか。
ただそれだけさ

短時間のグランプリレースが主流となった時代に幕を開けたル・マン24時間レースの歴史によって、自動車メーカーの技術革新が促され、速くて信頼性の高いマシンが生み出されてきました。決められた距離を可能な限り短時間で走るF1とは異なり、決められた時間内に最長の距離を走ることが、このレースの目的です。

できる限りの時間をコース上で走り抜き、最小限の時間をピットで過ごすマシンが、すなわち勝利者となるのです。バッテリーと内燃エンジンが組み合わされるようになり、フランスの代表的産業であるワイン造りの過程で発生するブドウの果皮と搾りかすからつくられた再生可能な燃料で車を走らせるハイブリッド時代になってなお、効率化と安定性、そしてスタミナが勝負の鍵であることは1923年の当時となんら変わりありません。

「走り続けられるかどうか、それだけさ」と、あるドライバーがレース直前に冗談めかして笑っていました。「コースにとどまり続けるか、それとも壁に激突するか、そんなレースだ」

ル・マン24時間レースのリポート
Nicholas J
大会運営に欠かすことのできない運営スタッフ。夜間は最大で6時間シフトの勤務となる。

運がなければ勝てない

F1出身のドライバー、NASCARの英雄、プロかアマチュアかを問わず、世界各地から腕に覚えのあるドライバーがここに運試しにやってきます。男性も女性も、肩を並べて競い合っているのです。特に今年は、ドライバー、エンジニア、マネージャーなど、あらゆるポジションを女性のみで固めたチーム「アイアン・デイムズ(Iron Dames=鋼の淑女)」が表彰台を目指して戦っています。これは、これまでなかったことです。ル・マンもまた他のレース同様、プロの「ジェントルマン・ドライバー」を擁した男性的で閉ざされた世界に過ぎませんでした。歴史を振り返ってみても、グラマーで競争心にあふれた俳優やアーティストといったセレブリティが外部から参加がした過去があった、その程度に過ぎません。

「演技とレースに共通するのは、集中力と確実さだ」と述べているのは、過去に2度のル・マン参戦を果たした俳優、マイケル・ファスベンダーです。「何が起きても動じない力と、冷静な意識を保ちながらリラックスすること。その両方が求められるのさ」

孤独を抱えて走る。
本当にすごい経験なんだ

映画『HUNGER/ハンガー』(2008年)や『それでも夜は明ける』(2013年)といった代表作に加え、愛してやまない映画監督のスティーヴ・マックイーン(『栄光のル・マン』主演のスティーブ・マックイーンとは別人です)との仕事でも知られるファスベンダーですが、ル・マンのアマチュア向けカテゴリーの「GTE-Amカテゴリー」に参戦した実績の持ち主です。ポルシェ「911 RSR-19」のステアリングを握り、その24時間の大半をハイブリッドカーを駆るプロレーサーたちに追い抜かれ続けた過去を持つという話ですが、本人はそんなことなど意に介していません。

「世界最高峰のドライバーと同じコースを走るのだから、なかなかクレイジーな経験ですよ。街全体が、そしてこの地を訪れるファンたちが、モータースポーツに対する情熱にあふれ返っているのですから。35万人もの人々が集まるわけですから、他所で味わうことなどできない素晴らしい体験です」

そんなファスベンダー同様に、GRレーシングからのエントリーとなったインディペンデント・ドライバー、ベン・バーカーも「ル・マンはとにかく集中力と流れを読む力が勝負だ」と語っています。

「とにかく、すごい体験だよ。ミラーに映るライトの光の明るさと言ったら、車間距離さえ全くわからないほどさ。見晴らしのいいエリアでは、ひたすら自分自身との闘いだよ。リズムよく走り抜け、照明の暗いセクションを通過するときにはスタンドの観客たちのシルエットも目に入る。『ああ、僕はまたここに来たんだ。また走れたんだ』と感動する瞬間だね。

それから激しいバトルがある。まさにドッグファイトだ。気づくともう、その渦中にいる。2周ほどすればまた静かになって、あとはまた孤独な闘い。静寂を切り裂くように、ひたすら走るんだ」

オーストラリア出身の元F1ドライバー、マーク・ウェーバーは、これまで4度の参戦を果たし、表彰台にも上っています。彼は次のように話します。

「ル・マンは言ってみればライトを消して、暗闇の中を走るような体験だね。まさにナイトレーシングの醍醐味(だいごみ)だよ。孤独を抱えて走るというのは、本当にすごい経験だ。2015年には2位になったけど、優勝を目指して走る間、奮い立つような気分だった。もちろん運も重要さ。どのタイミングでどこに居合わせるか、そこでどんな働きをするか、すべてが関わってくるんだ」

ル・マン24時間レースのリポート
Nicholas J.R. White

多くのドライバーたちが異口同音に、そのことを語っています。「運がなければル・マンで勝つことなどできない」と――。

孤独で心細い暗闇の中を走る、そんな時間帯にこそレースが決着することは珍しくありません。2015年にウェーバーを抑えて優勝したポルシェを駆ったニック・タンディは、4時間交代の夜間走行は「想像するよりはるかに難しいね。誤解のないように言えば、難しいというよりもミスを犯しやすいんだ」と笑います。「日中の明るい時間帯にレースの感覚をつかみつつ、夜間に向けて自分を適応させていくことが理想だ」と言います。

「いつもの慣れた感覚でレースを始め、そして徐々に暗くなるコースに順応していければベストだね。厄介なのは曲がりくねったピットレーンに暗闇の中、突入していかなきゃならないことだ。ウェットコンディションと同じくらい、注意が求められるんだ」

6月10日(土) 午後6時55分

今年のレースでは開始から3時間が過ぎたころ、コース終盤のポルシェ・カーブの辺りの路面を雨が濡(ぬ)らし始めました。長距離のサーキットということでコースの半分がドライ、もう半分が雨に降られる、などという現象が起きるのです。

時間のロスを覚悟してタイヤ交換を断行すべきか? だとすれば、何周後にピットストップすべきか? 各チームとも頭を悩ませる瞬間です。我慢に徹するか、それとも勝負所と見るべきか? 大半のチームは雨が降りやむことを信じて、スリックタイヤのままで行くことを選択します。しかし次第に、雨脚が強くなることも珍しくはありません。

コーナーに突入した5台のマシンが、水しぶきを上げながら駆け抜けていきます。

1台のオレカが、まるで水上飛行機かのようにコースを横切り滑っていきます。バランスを完全に失ったグリッケンハウスのハイパーカーの鼻先が、突っ込んできたフェラーリと接触します。そして数秒後には、キャデラックの1台がスピンしてコース中央で立ち往生。レールに激突したGTE-Amのポルシェが、リアを損傷。急きょ、セーフティカーが送り込まれる事態が発生したというわけです。余力ある車はそのままピットレーンを目指し、そうでなければ渋滞に行き場を失いながら、しばし諦めるほかありません。

レースの行われる週末を通じ、ドライバーたちの希望を奪い、マシンを破壊するのがコーナーです。2021年のアジアン・ル・マン・シリーズのチャンピオンに輝いた中国の新星イーフェイが、トップを走るイオタ・ポルシェをコースから押し出し、バリアに激突させました。レースは残すところ8時間。第5位を走るフランス人ドライバー、ケヴィン・エストレのポルシェ「963」が足元を滑らせタイヤウォールに激突しています。

ル・マン24時間レースのリポート
Nicholas J.R. White

昼と夜、勝利と敗北、夢と悪夢…。そんな二元性がル・マンに潜んでいるのです。ハイパーカーでのエントリーで9位という不本意な結果に終わったポルシェの失望の裏では、50年ぶりの参戦となったフェラーリが勝利を手にし、あたかもデジャヴのような光景にサーキットは沸き立っていました。

敗れた男の最後の言葉

チェッカーフラッグが振られる1時間ほど前、私はポルシェの食堂でケヴィン・エストルの姿を見つけました。サーキットでの恐れ知らずな速さで知られる、34歳の長身のドライバーです。すっかり意気消沈し、その端正な顔つきからは生気が抜け落ちてしまったかのようでした。彼にとってのル・マンは、もう終わってしまっていたのです。「人々の期待に応えられなかった」と、彼はうなだれていました。パンクしたタイヤでどうにかピットに戻ったものの、マシンはついに完全復活には至らず…。レースから降りる結果となったのです。

視界の悪さ、虫だらけのフロントガラス、路面に散らばるゴムのくずやオイルや破片…。彼はクラッシュという最悪の結果を迎えた瞬間を振り返りながら、「楽観的だったと言えるかもしれないが、できなくはなかったはずだ」と首を振ります。彼はかつて、あのニュルブルクリンクでコースから半ば外れながらも時速277kmでメルセデスをオーバーテイクしてみせた男です。

「うまく行く可能性はあった…」

バリアに激突する直前、コントロールを失う車と格闘した瞬間のことが彼の脳裏によみがえったようです。「目を閉じると、あの光景がありありと浮かぶんだ。教訓にしないといけないね。同じ過ちはもう繰り返さない。今夜はビールでも飲んで、もう忘れるさ」

そう言い残し、彼は腰をあげました。「失敗に学び、前進するしかない。僕は確かにミスを犯した。でも、これがレースというものなんだ」

Source / Esquire UK
Translation / Kazuki Kimura
Edit / Ryutaro Hayashi
※この翻訳は抄訳です