新語「食い尽くし系」の誕生
改めて注目される食卓の振る舞い

「食い尽くし系」は、食卓に供された皆で食べるべき料理を1人で食べ尽くしてしまうことからそう呼ばれる。心当たりが大なり小なりある人が多いようで、「食い尽くし系」に関する報告、共感、愚痴などのSNS投稿が次々と上がっている。

筆者は、娘の食べ残しを食べて「パパに食べられたくなかった」とよく泣かれることがある。そういえば筆者自身も父が残り物を平らげたことを恨めしく思ったことがある。もしや世の中のお父さんたちは、家庭内で得てして「食い尽くし系」的な見られ方をして禍根(かこん)を残しがちなのではないか…と仮説を立てた。

しかし少し調べていくうちに、「食い尽くし系」とみなされるおそれは、「お父さんたち」という枠では収まりきらず、万人にあることが徐々にわかってきた。

本稿では「日常と隣り合わせの、“食い尽くし系”認定される可能性」などについて書いていきたい。

夫が家族全員分のハンバーグを…
食い尽くし行動が起きてしまう原因


「食い尽くし系」の実態を端的に伝えるのは、X(旧ツイッター)で11万いいねがついてバズっている次のポストであろう。


<旦那2、私2、娘1の配分で食べようと晩御飯にハンバーグを5個焼いたんです。そしたら娘がお茶をこぼしたから、片付けて着替えさせて戻ってきたら、旦那が5個ともハンバーグ食べてたんです。娘の小さいハンバーグまで貪ってる姿を見たらゾッとしました。>
@genkaitoppa216
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zepp1969//Getty Images
※写真はイメージです。

その後の投稿によると、どうやら夫の分が皿に、残り3個(妻の分2個、娘の分1個)はフライパンに載っていたらしい。妻は席をはずす前に、自分たちの分を食べないように夫に伝えたので、このケースでは夫に他者の料理を横取りしている自覚はあったことになる。

食卓を同じくする他者(上の例では妻と娘)への配慮を持つことなく、全てに優先して己の食欲を満たそうと目の前の物を食い尽くす―――これが「ザ・食い尽くし系」である。

これは「食い尽くし系」の原型とでも呼ぶべきサンプルで、理解しやすいし、ひどさも伝わりやすいので、我々のような第三者が見て批判がしやすい。モラルハラスメント(モラハラ)の一形態であり、その幼児性や身勝手さを憎むことには、言ってみれば正当性がある。程度の差はあれモラハラに苦しめられる人は多く、その分共感も得られやすいし、モラハラを悪と認定することに現代の社会はおおむね異存ない。すなわち、今回の場合の食い尽くし系は自動的に悪となる。

だが、食い尽くし系の人たちを「モラハラ」や「悪」で一くくりにしてしまうのもやや乱暴かもしれない。食い尽くし行動が単なるモラハラの発露ではなく、発達障害や精神疾患に起因している可能性もあるからである。

発達障害に関する認識は近年少しずつ広まってきているが、理解が深まっているとは言えず、筆者もきちんとそのニュアンスを咀嚼(そしゃく)できているわけではない。しかし、知識として「努力や気合で完全な解決を図れる類いのものではない」と理解はしている。だから、発達障害由来の食い尽くし行動をとがめる姿勢には、花粉症の人に向かって「自己管理が至らないから花粉症になるのだ」と責めるような不毛さが宿っていると感じられる。

もっとあり得るところでは、食い尽くし行動が育った環境に由来するケースである。たとえば、親の皿の料理を自由に食べていい家庭や、生きるために大皿に盛られた料理の争奪バトルを兄弟間で毎食繰り広げていた家庭で育った子どもには、「人が食べる分を残してあげる」という尺度が、元より備わっていないかもしれない。

こうした人たちと食卓を共にする場合は、当事者間で話し合って、今後その食卓で採用していくシステムを「大皿オープン争奪制」とするのか、はたまた「不可侵・小皿事前取り分け制」なのかを決定すればよい。

しかしその話し合いも、入り口から「食い尽くし系のお前は悪」と食ってかかってしまえば、相手も気分を害してまとまる話もまとまらなくなってしまうかもしれないから注意した方がよい。

また、「多めの量の料理を用意して残り物となった分を常備菜に回したい妻と、供された料理はその場ですべて食べきるべきだと考えていた夫のすれ違い」といったケースもあり、うまく話し合えれば解決できそうな希望の光もうかがえる。

だから、食い尽くし行動を引き起こしている原因の慎重な見極めは、まず行われたいところである。原因がわかれば有益なアプローチ方法もおのずとしぼれるであろう。

なお、食い尽くし行動を改めるのが難しい場合は、「食い尽くし行動をなくす」をゴールとせず、食い尽くし行動が起こりうるという前提でお互いが気持ちよく過ごせる仕組みを模索するのが良いのではないだろうか。

男性に多い…とも言えず
もしかしたら、あなたも「食い尽くし系」?

食い尽くし系のなんたるかを少し掘り下げて紹介したが、巷間(こうかん)で口にされる「食い尽くし系」はだいたいモラハラの領域であるようだ。

また、調査している感触だと、特に夫が食い尽くしを行っている場合はモラハラの一環である割合がやはり多そうである。夫が結婚前やフォーマルな食事の場では食い尽くし行動をまったくしなかったケースの報告もあり、この場合は完全に夫の家族への甘えが食い尽くし行動を形作っている。

なお、家庭内において、夫・パパは家族から「食い尽くし系」とみなされやすい立場にある。一日に必要なエネルギー量は男性の方が多い…つまり家族の中でもっともよく食べる姿を目撃されるのはパパになる。そのイメージが日々蓄積していく。

family with one child eating meal in dining room
monzenmachi//Getty Images
※写真はイメージです。

筆者の場合だと、娘が食べきれずに残した物を、完全に食器が下げられた状態を見計らって食べるようにしていたのだが、パパが食べるとなるとその残り物であっても自分の所有物が奪われる感じがするらしく、「パパに食べられたくない」と泣くのである。妻がそれを食べる分にはあまり問題視されず、まったく納得がいかないのだが、娘の目を通して見たら筆者の体からいかにも卑しげなオーラでも立ち上っているのかもしれない。慎重に振る舞っても、おそらく娘からしたら筆者は「食い尽くし系パパ」で、レッテルは甚だしく心外だが、パパなる存在はそれくらい容易に「食い尽くし系」認定を受けるので注意が必要である。

かといって、「パパでなければ食い尽くし認定を受けにくい」と考えることはできない。今回調べてみて浮上したのは、実は誰もがいとも簡単に「食い尽くし系」認定を受けうるようだ…という救いのない真実であった。この世に安全圏は存在しないのである。

次のページに、いくつかの具体例を箇条書きしておく。相当気遣いができる人たちによる談話であり、うち半分は女性から聞けたエピソードである。

「食べ物の恨みはおそろしい」
食い尽くし系になる寸前の人はすぐそばに…?

  • 自分のペースで鍋を食べていたら、相手はそれがついていけないスピードだったらしく、後日「もっと食べたかった」となじられた。
  • 飲みの席で毎回、みんなが手を出しにくい「皿に残る最後のひとつ」を積極的に処理していたら、いつしか「あいつはいやしい」という評が立っていた。
  • 「ひと口ちょうだい」の要請に従ってひと口あげたら、そのひと口が自分の想定を大きく上回っていたので、険悪な雰囲気になった。
  • 人より食べるのが遅く、多人数で食事に行くと、大皿の料理がみるみる減っていくのを見て「こいつら…!」と異様に戦闘的な気分になる(筆者)。

これらは「食い尽くし系」認定が行われる一歩手前の、いわば「食い尽くし系の芽」である。本人に自覚がなかったり、またそこまで極端な程度のことが行われていなくても「食い尽くし系」認定は発生しうる。なぜか。

これはひとえに「食べ物の恨みはおそろしい」である。ことわざとして知られるこのフレーズは、耳にあまりになじみすぎてメッセージ性が薄れてきているが、我々が思っている以上に「食べ物の恨みはおそろしい」のである。

自分が食べようと思っている(と想定されてしかるべき)食べ物は、たとえるならむき出しの神経である。肉にも皮膚にも覆われていないそれは、微弱な刺激を与えるだけで全身に激痛を伝える。それほど食べ物の恨みはおそろしいので、普段は温厚で寛容な人がちょっと多めな「ひと口ちょうだい」を食らって内心怒り狂ったりするのである。 

そして「食い尽くし系」という新語が流布しつつある今、「食い尽くし系」認定のハードルも下がって、よりはるかに活発に認定が行われていくであろう。雨粒のごとく降り注ぐその認定の嵐をすべてかわすのは難しいので、受け止めるべきものをしかと見極め厳選して、それに絞ってきっちり自省する……くらいが健全かもしれない。

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