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CEDRIC DIRADOURIAN
仕舞「船弁慶」山階彌右衛門

「能、狂言、歌舞伎…と代表される日本の伝統芸能の魅力はどこにあるのか」、「古典と言われる芸能から私たちは何を学び、どのように日常に落とし込むことができるのか…」という疑問を持つ「エスクァイア日本版」東京特派員のクリストファー・ベリーが、日本の伝統文化へのエクスペリエンスをメンバーに展開しているクレジットカード「ダイナースクラブ(Diners Club)」の協力を得て、“能の魅力”について迫ります。

「ダイナースクラブ」では、日常ではなかなか経験のできない「学び」・「体験」・「出会い」の場として、シーズンごとに「ダイナースクラブ カルチャーラボ」を開講しています。今回、能楽観世流(かんぜ-りゅう)・山階彌右衛門(やましなやえもん)師による「能楽」特別講座が開かれるタイミングで、山階師にインタビューをさせていただく機会を得ることができました。

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「エスクァイア日本版」東京特派員であるクリストファー・ベリーが独自の視点で、“日本のいまの姿”“日本の社会”をニュートラルに見つめるコラム連載「セント・オブ・ジャパン / 日本の香り」。生粋のニューヨーカー…マンハッタンのアッパーイーストで育ち、ペンシルバニア大学で日本語の修士課程修了したのち東京で働く彼が愛を込めて、ときに彼なりにクリティカル(多様な角度から検討し、論理的・客観的)な視点で「日本の香り」を求める放浪記となっています。ぜひお楽しみください。

「能楽」とは何か?

「能楽」とは日本の伝統芸能のひとつで、「能」と「狂言」(および「式三番」も含め)から構成される舞台芸術です。その中で山階彌右衛門師が継承するのは、観世流の「能」になります。

古典的な物語や神話を基にした舞台芸術であり、ちなみに「能」の合間に演じられるのが風刺的で滑稽味を洗練させた笑劇として展開されるのが「狂言」となります。この一連の「能楽」は、平安時代の宮廷文化を起源とされており、日本の伝統文化の中でも特に格式が高く、世界的にも高い評価を受けています。

「能」および「狂言」に関して、社団法人能楽協会の公式サイトには『室町時代からおよそ650年以上、途絶えることなく演じられてきた、日本を代表する舞台芸術です』『古くは豊臣秀吉や徳川家康など多くの武将に愛され、現代ではユネスコの無形文化遺産に登録され、海外からも高く評価されています』としています。

能楽の舞台の入り口 狭い 理由
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能楽の舞台の入り口は、茶室の入り口のように高さが低く造られています。そうすることにより、舞台役者は、必然的に舞台にお辞儀(礼)をすることになり、舞台への敬意を示すのです。
観世流
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「シテ(仕手/為手)」(=俳優)の歌舞を中心に、ツレやワキ、アイ狂言を配役とし、伴奏である地謡(じうたい=舞台の端にいてうたうこと・人)や、囃子(はやし=笛、小鼓、大鼓、太鼓でもって謡や能をはやしたてる)などをともない構成された音楽劇・仮面劇ということになります。「能楽」の歴史をさらに知りたい人は、コチラへ。

《Profile》
山階彌右衛門
(やましなやえもん)
…能楽観世流 山階家十二世当主。能楽師シテ方観世流職分 重要無形文化財総合指定保持者。二十五世観世宗家の観世左近 次男。平成19年十二世山階彌右衛門を二百年ぶりに襲名。室町時代より続く近江猿楽の名門、山階家当主となる。令和2年「第四十回伝統文化ポーラ賞」優秀賞受賞。観世会副理事長 観世文庫常務理事 国立能楽堂能楽養成講師。

能楽観世流
山階彌右衛門師
インタビュー

寒くて灰色の空が広がるとある水曜日、私(筆者ベリー)は「GINZA SIX」の地下3Fにあるという「観世能楽堂」に向かいました。ガラス張りの高級ショッピングセンターの中に能の舞台があるなんて、想像もしなかったのです。

しかし、大理石が敷かれた近代的な建物の地下3Fにエスカレーターで下っていくと、玉石が敷かれた縁側に囲まれた(後に『白洲(しらす)』と学ぶ)檜(ひのき)舞台が、まるで何百年も前から誰かの住居として存在していたかのように、静かに…そしてひっそりと私の目の前に現れたのです。

席に着くと、能楽観世流・山階家十二世当主の山階(やましな)師が出迎えてくれ、簡単な自己紹介の後、「徳川家康と観世大夫」お話と謡(うたい)のお稽古をダイナースクラブ会員の参加者と一緒に、つけていただきました。まるで夢の中の出来事のような展開です。

能楽観世流 山階彌右衛門師 インタビュー
CEDRIC DIRADOURIAN

地謡(じうたい=舞台の端にいてうたう人)が謡に身を投じ、熱狂へと移り変わると同時に山階師は薙刀(なぎなた)を振り、老松が大きく描かれている「鏡板(かがみいた)」を背に舞うのです。私は幼少期の頃、母に連れられニューヨークでオペラやくるみ割り人形をよく観て育ったのですが、山階師の舞いを観ているうちにその記憶がふとよみがえってきたのです。

実はこの日まで、能楽堂の公演を観たことがありませんでした。「百聞は一見に如かず…」、アメリカの大学院で日本語の古典を授業で勉強した経験があったとしても、実際に能楽の舞台で山階師の舞いを観た瞬間には、これまで私が机上で勉強し、準備したものは何の役にも立たないのではなのか…と思ってしまうほど、圧倒されてしまいました。

ストイックでエレガントな演出は、舞台上で繰り広げられるひとつひとつの所作には、私の想像力を膨らませる余地を与えてくれました。同じ時代のヨーロッパの演劇を観たときよりも、現代(いま)に通ずるような…時間の流れを感じる気がしたのです。

「何もわからなくても良いんです。怖がらずに、まずは『能楽』を観に来ていただきたいです」――山階師

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エスクァイア編集部クリストファー・ベリー(以下、編集部):「能」ならではの“様式美”というものに圧倒される人も多いと思いますが、限界のある「身体(しんたい)」という人間のカラダを使って表現する難しさ、苦悩を、もしこれまでに感じたことがあるとすれば、それは何でしょうか?

山階彌右衛門師(以下、山階師):能の表現で一番難しいことは、“能面というマスク”をつけておりますから、自分の素顔を出すことができません。素顔が出すことができれば、「楽しい」「悲しい」「苦しい」…という表情を出すことができるのですが、「能面」というマスクは木でできていますので、感情を表現するには心からの表現を出さなければいけないという点が非常に難しいところです。

編集部:ビジネス、エンターテインメントなど…世界のモノゴトは、「共感性」ということが重要視されがちです。「能楽」と聞くと、どうしても一般の社会、日常から断絶された芸能であると、とらえる現代の人も多いかと思います。

山階師:能というモノは、「自然を大切にする」「ヒトとヒトとの交流を大事にする」という理念があるのですが、現代社会の…特に都市の中では、そういったものを感じることが少なくなってきていると思っています。

この銀座エリア周辺は高いビルに囲まれていますので、森や山を観られる機会が少ないですよね。ですが人間には、そういったことが重要であり、本来心に宿っているものだと信じております。

編集部:私たちが、「能楽」に触れたとき、そこから何かを学び、日常に落とし込むことができるとお考えですか?

山階師:「能」の舞台に上がるまでの所作からも、多くが学べると思っています。

例えば先ほど、ダイナースクラブ会員の皆さまと一緒に楽屋に入るとき、ベリーさんは靴を脱いでから上がったと思います。そして、能の舞台に上がるときは足袋(たび)を履きましたね。もちろん畳の上などに上がるときに靴を脱ぐことは、日本人にとっては当たり前な習慣なのですが、私がフランスに訪問したときの話です。フランス人の友人のご自宅にうかがったとき、フランス人の友人もみんな玄関で靴を脱いだんですね。つまりは日本の習慣というのが、衛生的にも良いということで、海外でも日常的に取り入れら場面があるワケです。

また、先ほどのお稽古で皆さまと「正座」をしましたが、この「正座」も最近見直されている面もあります。例えば、テレワークやデスクワークで一日中、椅子に座りっぱなしで腰痛をうったえる人もいるかと思いますが、正しい「正座」をすることで左右非対称な足の使い方によって起こる血流の悪さを改善し、腰痛対策に期待ができるとも言われています。

編集部:なるほど。舞台の上でなくとも、「能楽」の理念や所作からも日常的に無理なく取り入れらるということですね。

山階師:いま「能」が、教育現場でも活用されることがあります。例えば、「能」では侍が刀を持って出て来ても実際に、演者に向かって“人を殺める”という場面・演出をしてはいけない決まりがあります。

編集部:どう演出するのですか?

山階師:刀を人に向けるのではなく、誰もいないところ、前方を向いて刀を振りかざします。それで、人を斬った演出をしているのです。それが、「能」という芸術のマナーなのです。

編集部:とても面白いです。暴力的な行為をいかに「能」として昇華するということですね。

山階師:私が今後行う演目も、「戦争というものは悲惨なものです。絶対に行ってはいけないことです」というメッセージがある「能」を行う予定になっています。これは、「能楽」の世界だけでなく、「バレエ」のような芸術にもある普遍的なテーマですね。

編集部:最後に、現代を生きるわれわれが、初めて「能楽」に触れた際に、どのように楽しんでもらいたいですか?

山階師:今日の「ダイナースクラブ カルチャーラボ」の講座でも説明しましたとおり、「能楽」には語りだけで魅せるという高度な技術が必要な「能」と、道具をたくさん出して視覚的に分かりやすい「能」と、二種類あることを学んだと思います。

私は現代の方々にはまずは視覚的に楽しむ、それから音楽や衣装などを楽しむ、舞というダンスを楽しむことから、「能」鑑賞に入っていただくと良いのではないかと思います。

先ほど「バレエ」について言及しましたが、初めて「能」を観る方でしたら「バレエ」を鑑賞する気持ちでご覧になってもらうと、楽しみやすいのではないかと思います。

編集部:と言うと?

山階師:「バレエ」にはセリフがありませんよね。「能」に関しては昔の言葉でセリフがあります。なので、現代の方が聴いていても何を言っているのか分からないかもしれません。ですので、「能」を鑑賞の際はセリフにとらわれるのではなく、「バレエ」のように身体の動きに注目して、身体で表現しているモノを感性で受け取っていただけたら、初めての方でも楽しめるのではないかと思います。

分からなくても良いんです。眠くなってしまっても良いんです。恐れずに、「能楽」を一回でいいですからぜひ観ていただきたいと思っています。

「『能楽』は“人間性”を取り戻す装置」

編集部:自分の感性を磨く…、とても難しいけど大切なことですね。

山階師:われわれの舞台というのは、いわゆる“アナログな”舞台です。世界はいま、どんどんこの“アナログ”というモノが私たちの生活の中で無くなってきています。

メタバースのような仮想空間が日常化したとき、身体など動かすことなく、全部仮想空間で済んでしまう時代になることだってあり得るわけです。なんでも、デジタル化したときに、冒頭でお話したように「能楽」の根源になる「自然を大切にする」「ヒトとヒトとの交流を大事にする」というコトが一体どうなってしまうのか…人間性が失われてしまうのではないか? という危機感を抱いてもいます。

編集部:デジタルとアナログ、その境界線がとても曖昧になっている現代において、とても難しいテーマですね。

山階師:先日、ワークショップで高校生に会う機会がありました。彼ら彼女らに話を訊くと、高校生活の3年間近くマスク生活でしたので、「友だちの顔に関して、下半分がイメージできない」ということもあるわけですよね。

でもそこで、「能」に必要となる感性というものが役に立つかもしれません。私はその高校生に、「能のマスクをつけていても、心でコミュニケーションを取ることができる」という大切さを話すことができました。

編集後記

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取材を終えて…私(筆者ベリー)がとても印象的だったのは、「一回でいいから、ぜひ観てほしい」という、山階師の言葉でした。この日の短い講義の中でさえ、「能楽」の奥深さを感じることができたのですから…。

「能楽」は、きっと多くの人にとってわかりづらく、とっつきにくいものかもしれません。ですが、そのキャラクターやストーリーは、言語的な知識や文脈がなくても理解でき、本質的な美しさを表しています。一度でも能楽堂に足を運び、数時間でも自分の感覚を開放することができれば、きっと一生モノの強烈な思い出を得ることができるでしょう。