—— 27歳で起業された後の、37歳での作家デビュー。「待ちに待った」というような感慨深さがおありでしょうか?

酒井 聡さん(以下、酒井):実は、「老後に作家になれたらいいな」くらいに考えていました。ところが、僕よりずっと高みにいる師匠のような存在の方が40代で現代アーティストに転向なさったり、研究職に就いていた大学時代の友人がいつのまにか作曲家として転職していたりと、考えさせられる機会が重なりました。

「今でもありなんだ」「考えてもみれば経験を積んだ今の自分なら面白い小説が書けるかもしれない」と思って、去年からまた筆を執り、半年くらいで今回の好機に恵まれました。

——そもそも小説を書き始めたのはいつ頃ですか?

酒井:中学3年のときです。当時人気だったライトノベルの作家の文体を真似つつ、短い小説を書いたりしていました。インターネット上に投稿してみたら、「すごい」「それっぽい」なんてフィードバックがけっこうあって…。うまい具合に調子に乗って、短編だけでなく原稿用紙400枚くらいの長編まで、いくつもの作品を書き上げていきました。

——小説を書く以前に、小説が好きになる環境にあったのでしょうか?

酒井:両親が本好きだったというのは影響しているかもしれませんが、一番は、中高の6年間。片道1時間かかる私立に通っていて、毎日、行き帰りはバスの中で本を読んでいました。幸いスマホもなかったですしね。本はお小遣いで買ったり、学校の図書館で借りたり、もちろん、両親の本棚から持ち出したり。そのうちに「純文学作家になりたい」と、強く思うようになったんです。

——なぜ、純文学だったのでしょう?

酒井:太宰 治の小説を初めて読んだとき、クラクラしました。純粋にすごいと思いました。確かそのとき、太宰は没後60年くらいでした。亡くなって60年後に中学生や高校生を感動させるような小説を残せるって、カッコ良すぎるじゃないですか。

映画やテレビドラマで映像化されるようなエンタメ寄りの本ももちろん読みましたが、ストーリーとしては面白いものの、文学表現として優れているわけではないじゃないですか。自分で小説を書くうえで、「意義のあるのは純文学かな」と。

コミュニケーション下手からの転換

——学生時代の酒井さんがどんなだったのか? 興味が湧きます。

酒井:あまり自分に自信がありませんでした。特に中高時代はコミュニケーションをとるのが下手で、協調を求められる学校生活がすごく嫌でした。なので、会社に入っても活躍できる気がしなくて。作家でなかったら、デザインか何か手に職をつけて、「少人数の職場で働くのが自分には向いているのかな」と考えていました。

大学は九州大学芸術工学部で、アートとエンジニアリングを学びつつ、さまざまなサークルで活動しました。例えば「デザイン」を発信するフリーマガジンを制作するサークルでは、大きな企業にスポンサーになってもらい、取材もしっかりとした20~40ページほどの冊子を年に2冊のペースで完成させました。

僕は主に、文章と構成を担当。自分でも書いたりエディトリアルデザインしたりしましたが、メンバーたちが書いた文章にケチをつけるのも役目です(笑)。チームには優秀な先輩や同級生もたくさんいたので学びが多く、「ひとりじゃできないことを、こうしてみんなで形にしていくって楽しいかも」と初めて思いました。

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira

——卒業後は?

酒井:2009年に、大手の人材・広告企業に総合職として入りました。配属されたのは高校生向けの進学情報媒体を編集・校正する部署。初日にピアスを着けて行ったところ、部長に呼び出され叱られました。今なら抗議したと思いますが、当時はそういう時代でした。あとになって聞いたのですが、「やばい新卒が入ってきた」と事業部では騒がれていたそうです。

ウェブメディアも紙媒体も担当して、2年目以降は大きな予算の仕事も任されました。個人的には必死に勉強をして中小企業診断士の資格を取り、身につけた知識を社内業務にも積極的に展開しました。それまでは、社内政治や根回しをくだらないことのように思っていたのですが、人の協力を得てお金を動かし、ものごとを進めていくにはそれも大事なことだと肌で感じました。ここでの3年間が、社会との接続をちょっとずつ馴染ませていくような、僕にとっては「リハビリみたいな期間」になったと思っています。

そういえば、配属初日にピアスを外すよう指示した女性の部長は自身がピアスを揺らしていました。その映像は今でも鮮明に脳内再生できます。これ、僕の強みだと思うのですが、3歳頃からたくさんのしょうもない出来事が映像で残っているんです。

——〝部長のピアス”もいつか小説のワンシーンになるかもしれない、というわけですね。その頃も、小説を書いていたのでしょうか。

酒井:はい、書いていました。ただ、投稿サイトなどを見ていると、「その辺のプロの作家よりずっとうまいのに、なんでアマチュアなんだろう」と思うような人がごろごろいるんです。そういう作品といくつも出合ううちに、次第に作家として食っていくということに自信が持てなくなり、社会人1年目、資格勉強をきっかけに書くことをやめました。

——それで「老後に作家になれれば」となったわけですね。

起業のきっかけと目標

——起業に至る経緯を教えてください。

酒井:社会人4年目の2013年に、(異なるWebベースのシステムやアプリケーションを統合し、シームレスな機能を提供するプロセス)Webインテグレーションを事業とする企業に転職し、ウェブアプリケーションやスマホアプリケーションの企画や開発に携わりました。

その2年目、社長に任せてもらった新規事業の立ち上げの準備をしていた最中に、サイバーエージェント主催の新規事業立ち上げを実践化する社会人向け講座「アントレプレナー・イノベーションキャップ」が開催されることを知り、何となく申し込みました。

その講座の最終日に参加者が全員で競うプレゼン大会があったので、何となく全力で臨んだところ優勝し、起業のための出資を受けられることに。勤め先の社長に報告したところ、「やってみれば!」と背中を押してくれました。そうして仲間を集めて、僕を含む3人で2014年に「ニューロープ」を立ち上げました。

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira

——今年、10周年ですね。「ファッションAIのニューロープ」と謳(うた)っていますが、現在、特に注力していることは?

酒井:ニューロープは、独自開発による画像認識AIをアパレル関連企業向けにSaaSの形式で提供しているスタートアップです。画像認識、トレンド予測などの領域で技術開発やデータの収集を続けることで、業界が抱える多岐にわたる課題と向き合っています。

その課題のひとつで、今、ニューロープの大きなテーマとなっているのが「アパレルの在庫問題」です。大量廃棄や収益性の圧迫をもたらし、長らく業界の大きな課題のひとつであり続けました。

僕たちニューロープは人とAIの有機的な連携を通じて、売れる商品はしっかりと売りながら、売れにくい商品も適正量をつくり、必要とする人に届けていくことを目指しています。僕個人としては、「在庫をつくらないことで得ることができた利益を、ブランドが次のクリエイションを育むための資金源にして欲しい」と考えています。

——次のクリエイションを育むとは?

酒井:売り切るために、売れない商品はつくらずに、売れる商品だけをつくる。このような統計だけに頼った取り組みは、ファッション業界から多様性と発展を奪って、業界をつまらないものにしていきます。

街中が画一化された様子は、誰も想像したくもありませんよね。僕が学生の頃は裏原系、アメカジ、チョキチョキ(※)、お兄系と、雑誌やファッションがまだ元気でした。「あの頃に巻き戻したい」ということではなく、今のファッション業界にあのときくらいに利益があふれて、”遊び”があったらクリエイションはもっと早く次に進みます。そういう「未来に資するプレイヤーでありたい」と思っています。

※雑誌『CHOKi CHOKi』(2015年に休刊)に由来するワードとされる。東京・原宿近辺の美容師や美容師アシスタント、美容系専門学校生などに多く見られる、カジュアルでありスタイリッシュな着こなしをする男子たちのこと。

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira
「実際にブランドを運営することで知見がたまるはず」と、柄シャツ好きのためのブランド「8eration(エイテレーション)」を2021年にスタートします。


——社長としての酒井さんは、どんな人物なんでしょう。

酒井:うーん。会社を大きくするということを軸にすると、あまり優秀な社長(代表)ではないかもしれません。儲けることを目的化するなら、ビューティーとか金融とか、もっと打率の高い領域を選ぶでしょう。実際に他の業界に身を転じていったスタートアップは数え切れません。

一方で賢い起業家たちが資本の論理で見限っていくからこそ、僕が取り組む意味があると考えています。また、サイエンスもクリエイションも好きな人間だからこそ、10年以上かじりついてくることができました。

作家デビューの意図と二刀流の展望

——そんな社長のプロフィールに、「作家」という肩書きも加わりました。文学賞である金魚屋新人賞で佳作を取っての作家デビューですが、なぜウェブ情報誌である「文学金魚」の文学賞に応募なさったのでしょう?

酒井:「書籍系」か? 「ウェブ系」か? といった考えは、特にありませんでした。ただ、文学金魚は正統な文学に比重をかけながらも格式張るわけではなく、新人の売り出し方一つとっても貪欲でしたたかなんです。

小説を上手に書ける人はいっぱいいるわけですから、マーケティングでより複雑な付加価値をつけていく営みは健全なのではないでしょうか。そもそも起業家で大学の准教授も兼務している僕って、作家としては色ものじゃないですか。そういう「僕ならではのパブリッシングを支援してくれそうだな」とは思いました。


◇作品紹介

題名:透明のヨルーベ

第15回金魚屋新人賞 辻原登奨励小説賞 佳作

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira
受賞作の『透明のヨルーベ』は書籍化を予定。その装丁のイメージを、この記事のために酒井さん自らがデザインしてくれました。

作者からのメッセージ:

恋人や家族、親友や恩師でなくとも、会ったのが一度きりであっても、ほとんど話したことがなくとも、あなたに大きな影響を与えた人、あるいは深くつながれたように感じる人は何人思い浮かぶでしょうか。距離や時間やお金に比例しない関係性に僕は惹かれていて、スケッチするように小説を書きました。その妙が伝わる短編集にしたいと思っています。

書籍発売予定時期: 未定


——2024年1月31日に酒井さんはFacebookで、受賞と作家デビューに向けた報告をしていらっしゃいます。その中でこうつづっています。

《「小説家」というプロフィールを使い倒してマーケティング活動を展開していきます。 全部やる。端っこの端っこまで人生をおいしく平らげる。それが僕の生き方です。》 この発言には、どういう意図があるのでしょう。

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酒井:メッセージとしては、2つの意図を持っています。

僕には「突き抜けた才能がないこと」がコンプレックスで、20代まで本当に悶々(もんもん)としていたのですが、ビジネス、編集、デザイン、小説、アートをはじめ、自分が関心のあることをそれぞれ掘り進めていると、それが交互作用を起こした。

つまり、それぞれやっていたからこそ、意味らしいものが徐々に立ち現れてきました。一見あれこれ節操ないように映る可能性があるものの、これが僕のやり方 であるということを伝えたかったのが1つ目。

もう1つ。僕は会社経営をしていて、多くのステークホルダーに支えていただいています。このステークホルダーの皆さまに、事業にも相乗効果の見込める活動として取り組んでいるということをお伝えして安心していただきたかったという。これが2つ目です。

補足すると、人生をバリバリとビジネスができる前半のフェーズと体力が衰えてくる後半のフェーズに分けたときに、僕はもともとそんなに体力のあるほうではないので、「後半でもパフォーマンスの出しやすい創作や教育に軸足を移していくための布石」とも考えていて、それが「端っこの端っこまで」という言葉に表れています。

——では、最後の質問です。AI小説はライバルになりうるのでしょうか?

酒井:あ、考えたことありませんでした(笑)。興味はあると言えばあります。試しに使ってみたこともありますが、結局全文書き換えました。ストーリーとしてめちゃくちゃ面白い小説はそのうちできるでしょう。ただそれは、自分の創作活動からは遠く離れたところにあります。

僕が純文学にこだわるのは、自分の経験や心の機微を乗っけられるからです。フィクションとは言え、ノンフィクションの要素が大きい作風であれば自分が書く意味があるじゃないですか。例え同じものをAIが書けたとしても、人生と苦労を重ねてきた僕が書くのとは意味合いがまるで違います。

AI小説はこれからどんどん育つでしょう。僕は業務でそのAIと携わりながらも、創作活動においてはAIと原理的に交わらない領域に注力するだけ――そう思っています。

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira
プロットや人物設定など、小説の第一歩はこんな手書きのメモで始まるとのこと。


——ありがとうございます。これからのご活躍を楽しみにしております。


お話をうかがったの

酒井 聡

金魚屋新人賞『透明のヨルーベ』の酒井聡インタビュー
Naonori Kohira

[プロフィール]

ファッション特化のAIをEC、小売、メーカー、メディア等にSaaS提供するスタートアップ、ニューロープ代表。トレンド分析、レコメンド、需要予測などバーティカルに取り組む。国際ファッション専門職大学 准教授を兼務。

九州大学芸術工学部でアートとサイエンスを学んだ後、2009年より(株)マイナビでマーケ、広告、編集、オペレーション、営業支援等を担当。2012年より(株)ランチェスター(現: MGRe)でウェブ・スマホアプリの企画、情報設計、デザイン、PM、運用に携わり、2014年に起業。純文学作家、グラフィックデザイナー、中小企業診断士。ソフトバンクアカデミア所属。


◇作品案内

2024年4月3日に公開された酒井さんのデビュー作は、こちらで読むことができます。

題名: 私小説-先生よりもまともな猫 / コラージュ(短編2編)

作家の言葉: 僕には欠けているものが多い。例えば絵を描く才能や歌う才能がない。集団行動が苦手で場を盛り上げる陽気もない。頭も良くない。それでも自分の中から何かを捻り出すには「ない才能」を認めてポーカーみたいに捨てるしかない。そんな欠落の向こう側を描きたいと思いました。

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