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Jean Catuffe/Getty Images

神の子の夜。

12月18日(日本時間19日)、FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会は決勝戦が行われ、史上3カ国目となる大会連覇を目指すフランスと、36年ぶりの優勝を狙うアルゼンチンが激突しました。

W杯の決勝戦は守りを重視した“負けないためのサッカー”で、ガチガチの固い展開となることも珍しくないのですが、この日は全く別次元の決勝戦となりました。とにかく熱く、痺(しび)れる一戦。実にオープンな展開で、サッカーのスペクタクルが凝縮されていました。できることなら、このまま永遠に試合が続いてほしい…。そう願ったのは自分だけではないはず。

結果は延長戦まで戦い、3-3の同点でタイムアップ。PK戦の末にアルゼンチンが勝利を収め、通算3回目のW杯王者となりました。今大会が最後のW杯と公言していたリオネル・メッシは、唯一獲得していなかったメジャータイトルを獲得。大会は大団円を迎えることとなりました。

メッシ、ディ・マリア、エムバペ、エムバペ、メッシ、エムバペ…。決めるべき人がゴールを決めたこの日の試合ですが、個人的に最も感動したのはアルゼンチンの2点目。フランスの攻撃を封じ、自陣からスタートした流れるようなカウンターからの得点でした。

ボールはまるで、自らの意思を持ってピッチを転がり続けているかのようでした。最初から決められていたコースをボールがたどり、それに引き寄せられるように選手が関与していく。相手陣内を「鋭く切り裂く」という表現はカウンターを説明する上での常套句かもしれませんが、アルゼンチンが魅せた見事なカウンター攻撃は鋭く切り裂くのではなく、優雅でなめらかな筆致でピッチ上にひとつのアートを生み出すかのようでした。

さて、1986年のメキシコ大会以来の戴冠となったアルゼンチンにとっては、前回優勝時の立役者ディエゴ・マラドーナという“亡霊”から解放された日でもあります(これまで何人の選手が「マラドーナの後継者」として期待され、夢破れていったことでしょう!)。

マラドーナの後継者。その答えがメッシだったのかは、わかりません。

13歳という早い段階でアルゼンチンからスペイン・バルセロナへ渡ったこともあり、期待どおりの結果が出ない代表チームでのパフォーマンスに対して、「(スペインへの)移民!」などと自国サポーターから揶揄されることもありました。

そんな苦い思い出も乗り越えて、 今大会のメッシは母国のために戦う姿をこれまでのW杯以上に体中に滾(たぎ)らせながらプレーしていたように見えました。もちろん、自身最後のW杯という影響も否定できません。それでもなお、カタールにはこれまでとはひと味違うメッシがいたように見えたのです。

大会を通して「幸せだよ」と柔和な表情で語っていた神の子は、チームメートだけでなく、アルゼンチン国民とも心を通わせながらトーナメントを勝ち進み、試合を重ねるたびにメッシを包み込む優しい愛情の束は強固なものとなっていくように見えました(ちなみにその様子を眺めるのは、アルゼンチンの戦いを観るうえでのささやかな喜びとなっていました)。

それはメッシ本人にとっても、マラドーナと比肩(ひけん)する選手として永遠に語り継がれるに勝るとも劣らない価値を、実感しているように思えてならないのです。

1986 fifa world cup in mexico final in mexico city argentina 3 2 germany argentine captain diego maradona with the world cup trophy amid photographers
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