1956年は、ジョージ・ハリスンがギターを手に入れた年です。そしてこの年、現在のロンドンを象徴する2階建てのバスの祖となる「ルートマスター」がAEC社にて生産開始となります(しかし、バスという乗り物の起源はイギリスではなく、フランスが発祥ということは皮肉でもあります)。

 やがて1958年2月6日となると、この2階建てロンドンバスでジョージ・ハリスン(当時14歳)はジョン・レノンに出会います。15歳の誕生日を迎えるまで、あと19日に迫ったこの日ジョージは、グループ3人目のメンバーを決定するためのオーディションを受けたのでした…。

 そしてその日、ジョージが演奏したのはアーニー・フリーマンのアレンジによって、さらに大衆化されたビル・ジャスティスの「Raunchy(ローンチー)」でした。この曲は、1958年2月6日のビルボード リズム・アンド・ブルースランキング1位を獲得した当時のヒットソングだったのです。

 ジョージはこの楽曲を正確に演奏し、14歳にして彼はギタリストとして、そしてミュージシャンとしての才能を披露したわけです。そうして、イギリス・リヴァプールのグラマースクールのクオリー・バンク校で、ジョン・レノンを中心に結成された「The Quarry Men」のメンバー入りが即座に決まったのでした。

 このとき、誰が「ローンチー」を選曲したのかは定かではありません。しかしながら、「彼の潜在的な音楽の才能を確信していたポール・マッカートニーが選んだ」という説が有力となっています。

 それでは、若きジョージがあの寒く曇った木曜日に2階建てバスの最上階で演奏している姿を想像しながら、「ローンチー」を聴いてみましょう。

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 オーディションを受けるように誘ったポールは、ジョージにこう誘いかけたのです。

 「なぁジョージ…、ジョンに会わないとな」

 当時ポールはジョージに対して、まるで音楽の一節を歌うかのようにそう言ったと伝えられています。

The Silver Beatles
Michael Ochs Archives//Getty Images

 ポールはその前年の夏から、「The Quarry Men」の正式メンバーに加わっていました。もちろんジョンはジョージの演奏を聴き、快く加入を認めました。すでにそのときにグループのギタリストは、ジョンとポールの2人だったのです。が、ジョージは他の2人よりも多くのコードを知っており、さらにどんな曲でも耳から聴いただけで演奏することができるという才能の持ち主…グループにとって実に貴重な人材でした。 

 そう彼はすでに、このバンドにとって必要不可欠な存在となっていたのです。だからこそ、彼が「ローンチー」を完璧に演奏することができ、メンバーに加わることができたのは、のちの「ビートルズ」の歴史を鑑みるに実に大きな意味があったと言えるのです。

 ジョンはジョージの加入に関して、賛成はしてはいました。ですが、自分と2歳しか若い年齢でしかないジョージが、まるで少年のように…かなり若く見えていたことに関しては気なっていたようです。ジョージは大人っぽく見せようとし生やしていた口ひげが、逆に若さを強調したのでしょう。

 「ジョージは、ポールよりもずっと若く見えた。ポールは10歳くらいの子どもの顔をしていたんだ」と、ジョンは後にインタビューで話しています…。

Source / ESQUIRE ES