アクション、SF、ミステリーなど多くのジャンルが映画にはありますが、最も安心して観ることができるのがロマンス映画ではないでしょうか?

 しかしながら最近の映画ファンは、映画にロマンスを求めなくなっているようです。今回はその理由について、お話しましょう。


 ノア・アイゼンバーグの新著『We’ll Always Have Casablanca』では、クラシック映画のスター、ハンフリー・ボガートとポール・ヘンリードの確執について書かれています。

 こんな話があります。ある映画の撮影中だったにもかかわらず、映画のエンディングがまだ描き上がっていませんでした。その際両者は、揃って女性とのハッピーエンドを望んだそうです。それはプライドからくる問題だけではなく、彼らのキャリアにおける賭けでもあったようです。

 ノア・アイゼンバーグとは、ハンフリー・ボガードの息子であるスティーブンの言葉を引用しています。その内容とは、「父にとって困難な映画だったと思います。最初は、自分の役に満足していませんでしたし…。父はその役柄で女性を手に入れたいと望んでいて、それはポール・ヘンリードにとっても同じだったのです。“望んだ女性を手に入れた者”が、当時のスターの座を意味していましたから…」、ということ。

 それも昔話となり、最近では極端な話をすれば、映画スターといえる存在もほとんどいないようなものです。そして、誰も望みの女性もしくは男性を手に入れることもありませんから…。ロマンス映画は過去のものとなったのでしょうか。

 このように、昔であるなら鉄板のジャンルであったロマンスを、ハリウッドが放棄してしまった理由は複雑なのです。今回、いくつかの説をここでご紹介いたしましょう。

ラブコメは政治的に時代遅れ(!?)

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BUENA VISTA PICTURES

 およそ30年に渡り、映画界で優位なジャンルとされていたロマンチック・コメディ(ラブコメ)。その黄金期は、恐らくその成功自体がサプライズだった『プリティ・ウーマン』に始まり、2003年に公開された、キュートな偶然とひどく感傷的な愛の告白におけるラブコメの頂点といえる『ラブ・アクチュアリー』までは、少なくとも続いていたと言えます。

 しかしその後から、状況は一変しました。過去10年で映画と映画ジャーナリズムはかなり政治的となり、ラブコメに対して批判的な見直しと根本的な拒絶が芽生え始めたのです。

 ラブコメにおける数々の決まりごと、例えば拒否された事実を受け入れられない失恋男など。そんな役を演じた俳優は女嫌いとして評価され、そうした役に再配役されるようになります。俳優側がそこでの役柄にリスクを感じ始めたことによって、ラブコメは後退したのでは…とも言われています。

 最近でも『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』、『トレインレック』、『ワタシが私を見つけるまで』などがありますが、それらは男性に負けない非ロマンチックな振る舞いをするパワフルな女性をシンボル化した、ラブコメというよりは“俗コメ(俗ものコメディ)”と言ったほうがいいかもしれません。それはそれで重要なジャンルへの改訂となりますが、決してロマンスではないのです。

スーパーヒーローものは、愛のためではない

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MARVEL

 2016年にヒットした映画といえば、スーパーヒーローものなかり。ラブストーリーはサブプロットとして取り込まれている程度でした。

 『デッドプール』は、ロマンスが軸にあったかもしれません。が、全体からするとその時間的な割合はわずかなものでした。『スーサイド・スクワッド』、『ドクター・ストレンジ』、そして『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』においては、ラブストーリーは気持ち程度なものでした。

 最後の例として、『アイアンマン』に触れましょう。主人公トニー・スタークにとって、ロマンスの対象であるペッパー・ポッツの存在から判断してください。スタークの「ペッパーが去ってからというもの.....」というセリフで、再び彼女が現れる可能性は薄いことが察することができるはずです。※でも、可能性がないわけではありませんね。

 それぞれのスーパーヒーロー映画が、続編の量産とシリーズ化を意図したものである以上、ロマンスは単純にその方程式に当てはまらないのかもしれません。スーパーヒーローのロマンスを成功させるには、その役柄の感情にまつわる生活のニュアンスを、数本の作品をかけて理解する必要があります。

 本質としては、リチャード・リンクレイターが手がけた「ビフォア」シリーズのスーパーヒーロー版のようなものです。マーベルとDCコミックの重役にとって、登場人物の展開はそれまで優先事項ではなかった分、それはとても困難だったに違いありません。

 このような視点からスーパーヒーローのロマンスを見てみると、数々の映画のロマンチックなサブプロットが見えてくるのではないでしょうか。例えばハルクとブラック・ウィドウは、互いに気のある素振りを見せながらも、決して一緒になることはありませんね。

 『アメイジング・スパイダーマン 2』では、メアリー・ジェーンが大胆に殺されたことに沢山の評論家が賞賛しましたが、それはある意味、彼女を生かしておくよりも簡単だったからと推測できます。コミックでも初期の映画においても、スパイダーマンの最初のガールフレンドはルイス・レーンでしたが、実はそれは別の女性(彼の母親であるマーサ)であった、と『バットマンvs スーパーマン ジャスティスの誕生』で明かされています。映画を観て、自分自身と結びつけた子供たちも少なかったことでしょう。

非難されるべきはミレニアル世代

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
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 すべてにおいて若者を非難するつもりはもちろんありませんが、単純な現実として、近年のロマンス映画への興味の欠落は、アメリカの若年層の価値観を直接反映しています。ミ

 レニアル世代は他のどの世代よりも婚期が遅く、かつ真剣な交際に対して特別な興味をもっていません。最近の「ギャロップ世論調査」の結果によれば、2004年には52%だったシングルで独り住まいの若年層が、2014年には64%にまで増加しています。若者が彼らの両親世代と同じように、愛とロマンスに価値を感じていないという発想は決してコジツケではないのです。

では、彼らが気にかけていることとは、一体何でしょうか?

 別の世論調査によると、ミレニアル世代が最も価値を見い出していることは、「目的のある人生、活発なコミュニティと社会的繋がり、そして安定した収入」でした。言い換えると、ロマンチックに対する達成感は仕事人としての達成感に置き換えられたことになり、これは映画の世界でも同じようです。

 2015年の『オデッセイ』でたとえると、この映画はほぼ全編に渡って仕事場でのドラマが展開されており、ロマンチックな部分は最小限に抑えられています。最も重苦しいシーンでは、主人公のマーク・ワトニー(マット・デイモン)が同僚に向かって、「もし命を落とすようなことがあれば、両親には自らの使命を果たそうとしながら死んだと伝えて欲しい」と話しています。そこに配偶者、彼女もしくは彼氏に関する言及はなく、すべては仕事に関することのみです。

 2016年のヒット作『ドクター・ストレンジ』、『ヒデン・フィギュアーズ』、『ジェイソン・ボーン』、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』、そして『ゴーストバスターズ』などでも、ほぼ全編に渡り、登場人物が仕事場で自らのアイデンティティを確立することにフォーカスしているという点では、同じことが言えるのです。

ロマンチックに対する達成感は、仕事人としての達成感に置き換えられた

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SUMMIT ENTERTAINMENT

 しかしながら、アイデンティティを確立していることに、例外もあります。

 それは本年度のアカデミー賞で大旋風を起こした人気作、『ラ・ラ・ランド』です。ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが演じた役は、現代版のハンフリー・ボガードとローレン・バコールとも言えますが、彼らがハッピーエンドを迎えることは許されませんでした。『ラ・ラ・ランド』では目の中に星がキラキラとしているような場面も多数ありますが、彼らが仕事のために愛を諦める決断によって、物語の終わりにその星々はバラバラに散らばっていきます。

 最後のシーンでは、人混みの部屋の中で彼らはお互いに向かって微笑みかけていますが、その表情から読み取れるのは、「関係が犠牲になってしまったことは、決して無駄なことではない」といったものでした。

では、ロマンスとは私たちにとって、そんなにもちっぽけなものなのでしょうか?

 映画というのは我々がもつファンタジーの集合体で、そういったファンタジーはロマンスへの満足感を得るため、長年に渡って頼られる存在でした。ファンタジーの中でさえも、ハッピーエンドを迎える価値を見い出せないとは一体どういうことなのでしょうか。

ロマンス映画は安易なターゲット

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 昨年、ロマンチックな映画のヒット作が多く見られましたが、マスコミはまるで希望の光の中に(影を落とす)雲のようなものを見つけ出そうと、固く決意しているかのようでした。SF映画『パッセンジャー』が、世界中でおよそ3億ドルという少ない利益しかあげられず、さらにはどれほどの非難を受けたかご存知でしょうか?

 評論家たちはクリス・プラットの役柄が、120年におよぶ宇宙の旅で睡眠中のジェニファー・ローレンスを起こし、彼自身の淋しさによって彼女の人生を根本から壊してしまう、という不気味な筋書きを激しく責め立てました。この映画が受けた批評には、女性をモノとして扱い、男性のストーカーまがいの振る舞いが歓迎されているといった、ラブコメ映画に対して放たれるような典型的な悪口も含まれていたのです。

 2.7億ドルを稼ぎ出した『世界一キライなあなたに』(制作費2千万ドル)においては、過度の感傷主義、もしくは四肢麻痺の描写が恩着せがましいと書き立てられました。そして、もちろん『ラ・ラ・ランド』も、「ジャズが誤解されている」から始まり、「人種的に性差別や女嫌いに関して無知だ」といったものまで、嫌になるほどたくさんの批評を受けています。

 これらの批評はある意味妥当かもしれません。が、ロマンス映画が文化的な攻撃の身代わりとなってしまったという気持ちは否めません。フェアな立場から言うと、本来の真面目さと正当な男女間の問題が支えているという点で、ロマンス映画は攻撃するのに安易なターゲットなわけです。

 ただ批評をしても、私たちはこういった映画が、人々をほんの2時間でも幸せな気持ちにさせてくれるという事実を忘れてはいけないのです。

 ミレニアル世代にとって、ロマンスは大した意味はなく、失うものは何もないのかもしれません。が、それ以外の人にとって、愛のない世界やバレンタインの晩にディナーとラブコメ映画がないなんてことは考えられないのではないでしょうか!? どうやって時間を満たしたらいいのか、困ってしまう人は少なくないはずです。

 ただ、ここしばらくの兆候が、一部の世代でなく世の中全体の現実となりつつあるのだとしたのなら、私たちは徐々にそれに向き合う準備を始めたほうがいいかもしれません。

Source / ESQUIRE UK
Translation / Spring Hill, MEN'S +
※この翻訳は抄訳です。