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1986年の大ヒット作に対する待望の続編である『トップガン:マーヴェリック』が、とうとう公開となりました。映画というものは、必ずしも続編が必要と言えるものばかりではありませんが…(『スピード』は特に)。オリジナルの『トップガン』と言えば、とてもかっこよく、ジェット戦闘機を操る方法は知っていても、なぜか自分の顔の汗をうまく拭くことは知らない男たちのお話。

いくつかの要因から、『トップガン』は1986年の夏を席巻しました。要因というのは、レーガン時代の愛国主義だったり、ケニー・ロギンスの歌う『Danger Zone』であったり、若きトム・クルーズの絶対的キラキラ感であったりします。それはビッグでアツい社会現象でした。

しかしながら『トップガン』は、私たちの心のどこかの完全に違うゾーンに刺さっています。私たちのうちのごく何人かは、シネコンに踏み込むやいなや、おそらく仲間たちとは違う理由で興奮している自分に気づいたことでしょう。さらにその中のうち何人かは、そのときの感情を今でも、そして今後もずっと、明快に説明し続けることができるはずです。

伝説のバレーボール・シーン

もちろんここで私は、“あのバレーボール”のシーンについて話をします。あの1分40秒のシークエンス…。トム・クルーズ、ヴァル・キルマー、そしてリック・ロソヴィッチが半裸になって(プラス、真面目にシャツを着たアンソニー・エドワーズ)、かなり大胆な賭け試合をしたあのゲームです。

そこに流れるのが、ケニー・ロギンスが歌う『Playing With The Boys』のサウンドとくるわけです。(現在は結婚していて、4人の子の父になっている)10歳上の私の兄が、あの1986年の夏に『トップガン』を観に連れて行ってくれたのですが、私たちが最高に盛り上がって劇場を後にしたときに兄は「男の子を…」と口を開くと、「映画館の外でリクルートすればいいのに」と言ったのです。私は、「ほんとだよね、そうすべきだよね」と応えたわけですが、あのとき兄が「リクルートするべきだ」と言って想像していたものと私のそれは、全く別のものであったことを私はわかっていました。

もし1986年当時、ある一定の10代男子ならば、『トップガン』のあのビーチバレーのシーンはダイレクトにこう囁いたことでしょう、「やあ、君はゲイだ。幸運を祈る」と…。

それでは、そのシーンを観てみましょう。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Volley Ball Scene - Top Gun (1986) [HD]
Volley Ball Scene - Top Gun (1986) [HD] thumnail
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ほら、わかったでしょ?

シャワーを浴びたかのように、いつもより多めに汗ばんでいるトム・クルーズが指一本でボールを回転させた―誰もあんなことできません―かと思いきや、すぐさま「レッツゴー!」と叫びます。きっとある一定の男子は、「イェス! やろうぜ」と思ったはず。するとその直後、むさくるしい男たちのギラついた視線が彼らを追って賭けの吟味をします。これはもう大胆すぎます。誇り高き汗まみれの男たちは、海軍戦闘機兵器学校の同僚たちに舐めるように見つめられているわけですから…。

彼らが見つめる理由と、観客側のあなたが見つめる理由は違うかもしれないかもしれませんし、同じかもしれません。とりあえずこの映画では、その辺りを明確に表現はしていません。

雄叫びはアフレコですし、ゲームが進行すればするほどフェイクの汗が大量消費されていったことでしょう。サンディエゴのうだるような暑さの中、4分の3人がロングパンツでビーチバレーをやっている不思議さに、今となっては気づかされます。

「イカした男は、ショートパンツなどはかない」または、 「彼らは、(あれだけ鍛えておきながら)“脚の日”の筋トレはサボっている」とでも言いたかったのでしょうか? またもやその答えも、霧の中です。とにかくここで確認できることは、1986年にトム・クルーズの僧帽筋は、「現在の6割くらい」ということだけです。

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上のYouTube動画のちょうど40秒のところで、(アイスマンの相棒スライダーを演じた)リック・ロソヴィッチがフレックス(※)をします。その理由はわかりません。この映画の監督、今は亡きトニー・スコットも同様のようでした。なぜこのシーンを撮影しインサートしたのかわからないでしょう。もちろん当のリック・ロソヴィッチも…。ですが実際に、彼らはあのシーンを演じ、このように残しまたのです(しかもスローモーションで)。こうして彼らはあの夏、伝説の『ジム』を創造したのです。

※筋肉を収縮させて見せつけること。

ゲイアンセムとなった「Playing with the Boys」

トニー・スコットはこのシーンで、ケニー・ロギンスらしくないトラックを選んでいます。角度を変えた曲を、まるでケニー・ロギンスの球を違う方向にトスするかのように。私たちこそが“playn’ with the boys”していたことを思い出させるあの曲は、私たちの魂から聴こえていたハイピッチな呼吸のグリッサンド(=一音一音を区切ることなく、隙間なく滑らせるように流れるように音高を上げ下げする演奏技法)をも想起させるものです。

「Playing With The Boys」という曲は、あのシーンに流れていなければ意味を成しえません(※)。試しにアレクサにあの曲をかけてくれるよう頼んだら…「曲だけですか? 映像ナシでですか? すいません、それはできませんデイヴ」とのこと。人工知能もその状況をよ~く理解できているようです。「Playing With The Boys」はシングルとしては発売されず、その後、サントラ版に収録されようやく“カムアウト(発売)”されたのです。

※この曲はそのシーンと合わせて、その後「ゲイのアンセム」と呼ばれるようになっており切っても切り離せない。

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かなり脱線してしまいました。ゲームはトム・クルーズとアンソニー・エドワーズが勝利し、ほかの男たちは試合を続けます。そして残りの群衆は、観戦しているだけで幸せそうに見えます。しかしトム・クルーズだけは他の予定があるらしく、真っ白な新品のTシャツにボマージャケットを着てバイクにまたがり、飛び立つ戦闘機と並走し興奮しながら叫びます。興奮したトム・クルーズの雄叫びは、飛行機すら飛ばすことができるようです。

そうしてケリー・マクギリスの家へ向かった彼は、唐突にディープキスをかまし、ゆらめくカーテンの前でシルエットセックスをかますのです。そのあとは、アンソニー・エドワーズが脱出時のドア・アクシデントで亡くなり、トム・クルーズは飛ぶ勇気を失います。そしてヴァル・キルマーが、Best New Airplane Guy(最優秀新人飛行機野郎賞)を受賞します。

やがてトム・クルーズは復帰し、ロシアのミグ戦闘機にターゲットにされるも無事撃ち落とし、みんながハッピーになるわけです。そしてあの夏、新興宗教団体「サイエントロジー教会」は「ヘイ、トム・クルーズ。ブランチしない?」と声をかけたのかもしれません。

そうです、この映画は実にすばらしい作品なのです。

あのシーンはホモセクシュアル

今ではあのバレーボールのシーンは、“ホモエロティック”(※1)だと言及されます。ですが、あのバレボールの光景はホモエロティックと言われるものではありません。“ホモセクシュアル”です。あのバレーボールのシーンは、サーキットパーティ(夜通しのLGBTダンスイベント)が理想としてきたものなのです(少なくとも私は、そう聞いています。私はずっとアンソニー・エドワーズだったので、行ったことはありませんが…)。

思春期真っただ中、あんな開けっぴろげモノを映画館の大スクリーンで観てしまうということはルール違反と言えるかもしれません。でも私は、影響などされませんでした。当時、自分のセクシュアリティに関してはすでに自覚していましたし…。でもこのシーンが、私の覚悟したものとは大幅に違っていたため、この状況は恐怖と興奮を同時にもたらしました。ですが私と同年代±10歳のゲイ男性たちは、異口同音にこう言うでしょう…「あれで堕落した(※2)わけではない(だって元からそうだったのだから)」と。

このバレーボールのシーンは、私たちがしている「グルーミング(※3)」の議論に対する最高の反駁(はんばく=他人の主張や批判に対して論じ返すこと)となるでしょう。この映画を観た当時の少年であった私の知り合いは皆、ストレートのままなのです。

これを事例にすれば、「性的指向とは紛れもなく不変の特性」と言えるはずです。あのバレーボールシーンは、当時の少年たちをゲイになるよう導くものではなかったのです。単に、「腕立て伏せをしなくちゃ」とたきつけただけだったというわけです。

『トップガン:マーヴェリック』は、2022年5月27日に世界公開されました。この機会にぜひとも、かつてオリジナルを観た10代の頃の自分と向き合う時間とスペースを設けてください。そして当時の10代の自分は、どのように考えたかを思い出してみてください。

※1. “ホモエロティック”は同性の性的魅力、特に外見に魅了されること。ギリシャ彫刻などに惹かれることも指す。男性そのものや人格、文化を含め性的魅力を感じることを言う“ホモセクシュアル”と区別される。
※2. キリスト教で悪魔の誘惑に負け宗教的罪を犯すこと。この場合、罪とされる同性愛に「染まる」こと。
※3. 子どもの悩みやナイーブさにつけこんで、巧みに性的に加害すること。本来は性犯罪用語だが、近年米国保守派が転用。映像におけるLGBTQ+のキャラクターや表現が子どもを巧妙に性的マイノリティに導いているとして、反LGBTQ+運動にこの言葉を利用している。


※この翻訳は抄訳です。

From: Esquire US