柔道×サスペンス
世界選手権金メダルをかけて勝負に挑む、女子柔道家の試合の1日を追ったこの物語。モノクロの世界も相まって、試合シーンは浦沢直樹の『YAWARA!』、河合克敏の『帯をギュッとね!』、恵本裕子/小林まことの『JJM 女子柔道部物語』などなど歴代名作柔道漫画すら彷彿とさせるものに。なんの前知識もなく観に行ったとしても、そのドキュメンタリーのようなリアリティと劇画タッチの映像、そして迫力あるカット割りによって、スポーツ映画として楽しめる作品です。
緊迫感で息が詰まりそうなほど興奮するこの映画。残念ながら現時点で日本での上映は決定していませんが、公開されることを期待してここでその魅力を紹介します。
ヴェネチア国際映画祭上映後のインタビューで海外の記者が、「これはレスリング(※)の映画ですが…」と口を滑らせると、監督のひとりガイ・ナッティヴ(2019年『Skin』でアカデミー賞短編映画賞獲得)はすかさずこう訂正しました。
「これは柔道の物語です。レスリングと柔道は全く別のものです。その厳格さにおいて、他のスポーツとは一線を画しています」
※ ときに柔道は“Judo wrestling” “jacket wrestling”と説明されることもあるためかと思われる
実際の柔道コーチに協力を申請し、精密に試合のリアリティを追求したそうで、取材時も監督2人は一貫して選手のことを「Judoka」と呼んで柔道という競技に対し真摯な姿勢を見せていました。また、主人公レイラ役のアリエンヌ・マンディの背筋には、柔道選手を演じるための鍛錬が垣間見えます。
本格的柔道映画と言える作品ですが、試合が進むにつれだんだんとサスペンスの様相を呈していくところがこの映画のユニークネス。
※以下、作品の内容に触れる記述があります。
実在の柔道家による亡命事件が下敷き
柔道がサスペンス? 不思議すぎるとんでも設定に思えますが、実話が下敷き。
2021年の東京オリンピック・柔道男子81キロ級で、銀メダルを獲得したモンゴル代表サイード・モラエイ選手が実はイランから国籍を変更していたというニュースは、日本でも報じられました。この亡命事件によってもよく知られる通り、イラン柔道連盟はイスラエルによるパレスチナ問題への抵抗として、またイスラエルを国として認めないという態度を表明するため、同国選手との対戦を禁じていたのです。
本作ではスポーツへの政治の関与を隠すために取られた、狡猾かつ強引な方法が描かれます。トーナメント最中にイスラエル選手と対決する可能性が出てきたら、選手個人に怪我や病気を装わせ、自然な棄権に見せることを強制。それでも「故郷に初めての金メダルを」と望み試合を続ける選手たちには、家族を人質に脅迫すら行う非常に暴力的な手段に出ます。これが国際的に問題視され、イランは国際試合から一時期排除されたわけです。
国家とつながった競技連盟は暗殺者のような圧力集団を会場に送り込み、遠く離れた母国では家族を拘束し、脅迫電話でコーチを操り、あらゆる手段で主人公を追い詰めていきます。アスリートを操作することで、国の姿勢を見せつけるプロパガンダにする行為がどれだけ個人を恐怖させるのかを緻密に表現していくこの柔道物語は、ついには故郷にいる夫と子どもの命を懸けた逃走と、遠くポーランドの会場で国際柔道連盟が彼女を守るため仕掛けた企てへと静かに転換し、政治スリラーとしてのゴールへと向かっていきます。
抑圧者に与する罪と罰
アスリートが政治に加担していく。歴史的に見てもよくある事象ですが、この作品では連盟に操られるコーチのミリヤムが見事にヒール役を引き受けています。「選手の勝利」と「連盟=国の指示」を天秤にかけて、「合理的な判断」として八百長に加担することになる人物です。
このよくあるタイプの、しかし同時に難しいキャラクターを演じるのは、アリ・アッバシ監督『Holy Spider(邦題:聖地には蜘蛛が巣を張る)』で第75回カンヌ映画祭女優賞に輝いたザール・アミール(旧名ザール・アミール・エブラヒミ)。コーチとしての合理的判断に迷いがなかったはずが、あまりに暴力的な連盟側の攻撃に次第に疑問を抱くようになり、ある瞬間をもって「目覚める」役です。この過程の生々しさは、アミールによる功績。自身もイランからフランスに逃れた亡命者である彼女は、本作に共同監督として参加しています。
レイラとミリヤムの視点を通し、イラン女性を取り囲む「性差別」でまとめるにはあまりに激しく残酷な弾圧も、丁寧に描かれる『TATAMI』。今まさに世界が注目しているこの問題が決して突発的なものではなく、長い時間をかけて個人の生活を蝕んできたことを思い知るのに十分な演出が施されています。
プロデューサーも務めるアミール監督は朗らかに握手をしながらも、この内容でプロデュースをするのは相当大変だったのではないか?と尋ねると、大きく頷きました。
「内容もそうですが…そもそも私は根無し草です。イランからフランスに逃れて映画に関わっていると、一方では『フランス人じゃないでしょ』と言われ、別の場所では『イラン人ではないよね』と。そんな人間に資金を提供する人は多くはありません。でも、やってやりましたよ(笑)」
2023年発表されたアミールの参加作品は本作だけでなく、ほかにも仏独共同制作ドキュメンタリー『Sieben Winter in Teheran』、オーストラリア映画『Shayda』などがある。
それでも柔道を極めたい主人公と、それでも映画づくりを続けたいアミール監督。抑圧に屈することなく飛び出した彼女は、映画を舞台に国境も海も超え続けています。それは劇中、ヒジャブ(ムスリマ<女性のイスラム教徒>が頭や身体をおおうスカーフ状の衣類)の中に押し込めようと、何度押さえつけても跳び出してこようとするミリヤムの前髪のように。